機嫌が悪い人がいると

機嫌をとろうとしてしまう。



いつからそんな自分になったんだろう。

性格なのかな。


んー。

違う感じがするなぁ。



確かに、両親は不仲で

家庭内はいつも荒れていたから

いつ、父親が暴れるか

いつ、喧嘩が始まるか

いつ、ガラスが割れるか

こっちに火種がきたらどうしよう

あんなに殴ったら死んでしまうんじゃないか



などなど

ハラハラしていた家庭であったことは

確かに経験した事実だ。



やっぱり、そこが根深いのかなぁ。



怖い経験を長くしてると

いつか、自分の何かが

プツンと切れる時ある。




急に、

びくびく、ハラハラ、おどおどしてる

自分が馬鹿らしいと言ったらいいかな、



フッと抜ける感覚。



暴れてる父親

殴られながらも火に油注ぐ母親

止めに入る祖父母

反抗期真っ盛りの兄弟

物が壊れていく風景

それを見ている自分



嫌だ。


こんな家、嫌だ。



シンプルな本音が出てきて

その時から、おどおどしてた自分が

ズルりと脱皮したように

違う自分が誕生したような感覚があった。



ヒト騒動終わると

みんなよそよそしく朝を迎えて



父親は

虎の着ぐるみを脱いだのか

狸の着ぐるみをまた着たのか



背中を丸めて罰悪そうに静かに

テレビを見ている。



母親は

そこを針のむしろの勢いで

父親を責めてから、仕事に出ていく。



全てが私から見えた私の記憶だから

強く残った記憶と記憶を

繋げているのだと思うし


本人たちは全く憶えてなかったり

同じ場面にいた兄弟さえ

全く違う見方をしていたりする。



脱皮した感覚の私は、荒れた。


それでもずっと恐かった。


暴れてた父親ではなく

必ず仕返しをする母親が恐かった。



私達にも厳しくて

私達は父親には殴られなかったけど

母親には八つ当たりのように殴られてた。



恐怖を圧し殺すように

強がりで生きるようになった私だけど



ずっと生きづらさを感じていて

人間関係がうまくいかない度に


私は駄目だ、と自分を責めてた。



それでも

色んなきっかけで

色んな学び的なものを

聞いたり、受けにいったりしてるうちに



寂しい、とか

本当は恐かった、とか


素直に言葉に出きるようになって

だいぶ生きやすくなってた。



でも、

結婚して、子供を生んでも


どうゆう訳か


恋愛をしてしまう。



既婚者になって

恋愛することを


私自身、悪いことだとは

思ったこともなくて


こんなに人が生きてる世界で

こんなにも好きになる人と出会えるなんて

奇跡としか思えない。と

いつも、感動してしまう。



そんな人と出会う度に

自分自身を深く深く、知っていってる。


恋愛は


受け入れることが出来ていない

自分で駄目だ、としている思いや感情を

浮き彫りにしてくれる。



いま

旦那が不機嫌で。


私が離婚したいと言ってから

ずっと不機嫌ではあるけど


私と彼が

今でも続いてることも

ずっと疑っているから

不機嫌なのは当たり前なんだけど



この状況が重苦しくて

何度も彼と終わらせようかと考える。


そうかと思えば


彼と終わりにしたからと言って

旦那と暮らすことの苦痛は変わらず


離婚したい気持ちも変わらない。


私が彼と終わらせることは

旦那の機嫌を取ることとおんなじことなんだ。



子供の分際で、生意気言うな。

ひとりで食えるようになってから言え。


って親に言われてたように


養ってもらってる分際で、男つくりやがって。

俺が許してやったんだ、おとなしくしてろ。



全く違うことなんだろうけど


似てる感情が出てくる。



なんで、お前の許可が必要なんだ。

なんで、誰かの許しを得なければ

ヤりたいことが出来ないんだ。



子供の頃は仕方ないにしても


旦那との関係を

そう作ってしまった自分に腹が立った。



ずっとずっと

旦那の機嫌を、無意識に伺っていた。



親のせいでもない。


自分で責任取りたくないから

人の機嫌とって生きてきたのかもなぁ。


旦那のせいでもない。


どんな生き方をしたかったのか

もっともっと、思い出したい。