ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM
Record of Memories
(タイトルは文字数足りず省略してしまった)
映画を観た後、
タイトルが「Record of Memories」であることに納得する。
間違いなくこの映画は、
私の「Record of Memories」だった。
3年前に始まったARASHI Anniversary Tour 5×20。
50本の本公演と、1本のshooting公演。
1年かけて回った嵐の20周年ツアー。
ファンにとって、思い入れがないわけがない。
私もそのうちの1人である。
以下、冷静さを欠いた、ほぼ殴り書きの文章。
人生初めてのドルビー上映。
劇場は、会場だった。
今や"普通の光景"ではなくなってしまった約5万人の歓声が、私の心を包むのだ。
私は彼らの声と間違いなく共鳴していた。
会場だった。
まさしくそれは、夢の続きだった。
あの日あの場所で見た嵐が、
スクリーンに映し出される。
あの日の嵐が、こうして新しい形で見られる日が来たことに感謝する。
これ以上の幸せはないな、と噛み締め、この夢を楽しむ。
心が色々な感情でいっぱいいっぱいで、
こうして懲りずにまた、何も考えずに書き始めてしまったな。
2019年12月23日。
多分、私だけではなく参加したたくさんの人が感じたと思うが、
あの日のファンの歓声は尋常じゃなかった。
あの日の東京ドームは、過去一なのではないか、と本気で思えるくらいの大きな歓声に包まれていた。
あの歓声が、あの歓声が。
この映画には存在しているのだ。
それが本当に嬉しくて、
私は涙を堪えるのに必死だった。
あの日嵐を包んでいた大歓声が、
映画でもはっきりと分かる。
凄かったあの歓声を思い出しては、
私は涙が止まらなかった。
頑張って声出してよかった。
あの嵐ファンの歓声があるのが、
嵐のコンサートなんだよね。
嵐のコンサートには、あれが必要なんだよ。
あれがないと、ダメなんだよね。
そう思いながら、私は涙を堪え続けた。
スクリーンの嵐を一瞬たりとも見逃したくなくて、
苦しくなるくらいに堪えては見続けた。
嵐を呼ぶ、ファンの声で終わる映画。
私たちは明日からもああやって嵐の名前を呼び続ける。
自分の記憶にある嵐を抱きしめながら、
これからも名前を呼び続けてしまうんだろうな。
嵐は、「夢の続き」と言った。
夢なのかなあ。夢であって欲しいなあ。
休止なんて、夢であって欲しいな。
そんなことを思ったりしながら。
Shootingに参加して、あの日の空気まるっと全部知ってる身としては、
これは「映画だなあ」と思うし、「コンサートの映像化」ではないと思う。
何を期待していたかで変わるのだろうが、
この映画を見て抱く感情は人それぞれなんだと思う。
Shootingに参加した人はなおさら。
私個人の感情だけで言うと、正直物足りなさは、ある。
だってShootingは"+1"であり、
間違いなく「ARASHI Anniversary Tour 5×20」だったから。
バカみたいだけど、「全公演映像化しようよ」と大声で言えるくらい大好きで残したい空間だから。
嵐の良さは、歌って踊る、だけじゃないから。
でも、それ以上に何より「映画」だった。
今の時代で一番のライブ映画だった。
そしてそれは言うまでもなく、夢の続きだった。
どうしたって作り手の想いが伝わりすぎてしまう。
だから受け手の私はどうしても嬉しくて、
映像で見たかったはずのLove so sweetやHappinessを聴きながら、
自分がファンとして出会うことのないスタッフの皆さんの名前の数に感動する。
映像で見たかったはずの嵐の表情を思い浮かべては、夢を見る。
あの音を聴いて、思い出す景色がたくさんある。
間違いなく私の「Record of Memories」であり、
ファンとの時間の記録だった。
嵐とファンとたくさんのスタッフの皆さんと作り上げた映画だった。
感謝の気持ち溢れるファンの声と、
嵐とスタッフの皆さんの強い想いが、
映画中に響き渡っていた。
言い方正しいか分からないけれど。
私たちは間違いなく、
あのツアーで嵐に感謝の気持ちを伝えられたと思っている。
その証の1つだなあ、と調子に乗れるくらい
なんというか、嬉しかった。
一方通行じゃない、気がして。
別に現実は一方通行で、ただの思い込みでいいけど。
あの日の色々な「ありがとう」の思い。
100年先も、この「ありがとう」が残り続けますように。
夢の続きを、ありがとう。