日本テレビ系日曜ドラマ「ネメシス」が無事に最終回を迎えました。
以下、感想です。
テーマは、エンターテイメントの難しさと存在意義です。
(超個人的な思いをしっかり書き綴るぞ、の心意気としてここにかっこよく宣言するだけで、文章は多分相変わらず下手)
大変申し訳ないことに、
・小説「ネメシス」を読んでいない
・【宣伝】全てを追えていたわけではない
・hulu特別版は見ていない
身分ですので悪しからず、、、、、。
(だからあくまで、"日曜ドラマ「ネメシス」"の感想を書きます)
第一声で言うことではないと思いますが、
私は、この「ネメシス」というドラマは「もっと面白かった」と思うんです。
「面白くなかった」のではなくて、
「絶対もっと面白かったはず」というような感情に近いです。
脚本・演出としての"やりたかったこと"が
視聴者に伝わりきらなかったのでは?と思っています。
多分原因はいくつかあって、
一番の原因は【宣伝】だったんじゃないかなと思います。
なので、まず宣伝の話をします。
(ドラマの話はどこ行ったの?)
このドラマは、宣伝する上で
「難解なトリック」というワードを使っていました。
ただ、「ネメシス」って、
"ミステリー的な面白さ"は決して秀でたものではなかったと思っています。
つまり、ドラマ「ネメシス」のミステリー要素、
=1話ごとの事件のトリックはさほど難解ではなかった、ということを指します。
そして、それは、
全話通して存在していた「アンナについての"謎"(20年前の謎)」も、さほど"難解"ではなかったということです。
で、これは単純に「面白くなかった」っていうことを言いたいのではなくて、
「ネメシスの面白さはミステリー部分にはあまり存在していない」という考えからきます。
私みたいなキャストのファンではない"普通"の視聴者がドラマを見るきっかけは大体予告を見て、だと思います。
その場合、ネメシスにおいては「難解なトリックとはなんだろう」という前提の上でドラマを観るわけです。
でも、上に書いた通り、個人的には
そこが入り口でこの日曜ドラマ「ネメシス」に触れると
「あれ?このドラマそんな面白くなくない?」と思いかねないのではないかと思いました。
公式の宣伝の仕方に難癖つけるのはいかがなものかとは思いますが、
ネメシスの面白さは"そこ"じゃないと思います。
日曜ドラマ「ネメシス」の面白さ(=魅力)は、
・個性豊かなキャラクター
・人と人との縁が生む感情
この2点だと思います。
1回見たら忘れないような、個性が強すぎるキャラクターが存在していることがこのドラマの魅力です。
誰かが誰かと繋がっている、
人と人との繋がりが持つ愛情や縁のあたたかさや醜さを色々な形で感じられるのがこのドラマの魅力だと、私は思っています。
個性あふれるキャラクターは、
最初から最後までそのまま個性あふれるキャラクターでした。
真っ直ぐに。
そこはただただ"真実"でしかなかった。
要はあれです。
難解なトリックっていうのは、
1発の衝撃でひっくり返されるんですよ、って話。
ネメシスにそれはなかったでしょ?って話。
朋美は黒幕という役割を担っていましたが、
「朋美が黒幕」である伏線は分かりやすく張られていました。
ネタバラシした時に、「でしょうね」と思う時は難解さを感じるわけないんです。
難解なら「でしょうね」にはならないから。
難解なトリックと謳うなら、例えば、
「実は風真のポンコツは嘘で全部芝居」
「実は栗田がアンナの実の父親」くらいのパンチが必要だったと思う、という話。
それを、例えば8話の最後とかに
「ごめんアンナ。実は俺が菅研なんだ。」くらいの台詞尺でネタバラシをすると見事に"難解"になるわけです。
(少なくとも私はこれくらいのどんでん返しを期待してしまっていた)
もし伏線を張るなら分かりにくくして
受け手に情報がない状態でネタバラシをしないと難解とは感じないのではないでしょうか。
「えぇっ!?!?」って驚きがないとね。
で、少し話を戻すと、
「ネメシス」の魅力はミステリー要素ではなかったと思うのです。
だから、
宣伝(="難解なトリック"や"全話通して存在する20年前の謎"、といったワード)を見て「ネメシス」にたどり着いた皆さんは
多分一生このドラマを面白がってくれないと思います。
もったいない。
もったいないよ。
めちゃくちゃエンターテイメントを楽しんでいたのに。
言い方が間違っていたかなと思ってここで訂正しますが、
このドラマは、トリックが難解ではない、というよりは
どちらかと言うと「そもそも難解に見せようとしていない」が正しいと思います。
日曜ドラマ「ネメシス」は、
アンナが謎を解く
→風真が解明する
→(加害者被害者含む)人間の関係性が垣間見える
→20年前の謎に近づく
がメインパートであり、
中盤までのアンナが謎を解き、風真が解明するまでの各事件パートはおまけなんですよね。
で、何がって、そもそも製作側が謎解きやトリックよりも
全体のテンポ感やキャラクターの個性を魅せる作り方をしていた(と思う)ので
尚更宣伝句であった「難解なトリック」とはズレているわけです。
各事件パートはおまけ。
本編は20年前の事件にまつわるアンナの話。
これがある意味ずっと明確だったから、
連続ドラマとして大事になるはずの各回の面白み(=各事件からの謎解きまで)が
「ネメシス」においては重要というわけではないんですよね。
(まあ連続ドラマをやるなら各回の惹きつけが重要なんですけど!)
20年前の事件が軸にあるだけで、
上にも述べた通り、キャラクターの個性の爆発度合いであったり、人と人との関係性であったり、
あとは全体的なテンポ感の良さが特徴的なドラマなんですよね、ネメシスは。
これは勝手な解釈ですが、
私、この「ネメシス」という作品は
出力としての形が「連続ドラマ」であっただけで、
連続ドラマである意味(必要性)は正直そんなになかったように思います。
少なくとも、受け手・私 はそう思いました。
連続ドラマだからこその面白さをあまり見出せなかったです。
連続ドラマで面白い要素になるからやるのではなくて、明確にやりたいことがあって、
で、完成形が連続ドラマだったから取った選択、生まれた演出もそりゃもちろんあってね、みたいな順番の印象。
やりたかったことは、「連続ドラマ」に囚われないもっと広義的な意味でのエンターテイメントだと思うんですよね。
・映画スタッフで連ドラをやる
・脚本協力小説家による「ネメシス」小説
・出だしの若手俳優を起用
・ドラマデビュー陣(初演技?)の起用
・HIPHOPぶちかます☆(音楽的要素)
(これはまあ櫻井翔がいることと主要スタッフの趣味趣向が反映された結果なだけだとは思うけど)
・タカとユージで遊ぶ(オマージュを楽しむ)
etc...
これって一言で言ってしまえば「遊び心」でもありますよね。
これだけの"遊び心"要素を盛り込むってチャレンジングですよね。
物語で勝負してないっていう。
(勝負っていう表現は違う気がするが)
(勝負してないこともないけど)
例えば。
このドラマは、奥平大兼さんら注目若手、
三島あよなさんらドラマデビュー陣がゲストとしても多くいたように感じます。
誰にだって「初」はあるわけです。
でも、その「初」の場所をキー局プライムタイムドラマで準備するってめちゃくちゃハードル高くて。
それを平然とやってのける「ネメシス」チームは
エンターテイメントを作るという面でめちゃくちゃ意義のあることをしているのではないでしょうか。
芝居の上手い下手は置いておきますが、
ドラマデビュー陣のお芝居、そんなに浮いてなかったと思うんですよね。私は。
何度も言いますが、
「ネメシス」の魅力は、キャラクターだから。
演じる上では濃いキャラクターほど魅せやすいものはないと思いますから。
そもそもオリジナルで正解はないですし。
"初めて"でも演じやすいんだろうな、と。
やっぱりドラマないし映画を作る上で芝居が浮かないことは大事ですから。
初めての人に浮かない芝居をしてもらうのは難しいですからね。
(もちろん初めてとは言ってもある程度実力のある各事務所の推しメンでしょうけども)
(お芝居が上手くても演出によっては浮いてしまうこともありますが)
若手に経験を積ませることが目的で、
磐石な現場と分かりやすいキャラクター像があれば、ね。
個人的にはめちゃくちゃエンターテイメントだなあと思います。
存在意義としては大きかったんじゃないかな。
だからこそ、もっと、もっともっとそこを楽しんで
視聴者に共有してくれればよかったのに、と思います。
また宣伝の話に戻ってしまうんですが、
もう1つのメインの宣伝句で「映画のような豪華なキャストで」っていうようなワードがありました。
私は、キャストに関する宣伝は結果的に良い宣伝だったと考えています。
(最初は何でこんなに豪華なのかついていけてなかった)
個性あふれるキャラクターを、
映画のような豪華さでやる。
これが面白いわけで、それ以上でもそれ以下でもない。
だから、役者陣は「映画のような豪華さ」だった。
(人数的にも役者的にも)
新キャスト発表!と
キャスト・演じるキャラクターを重視した宣伝は似合っていたと思います。
(ドラマデビュー!なんていうのも宣伝にはもってこいの要素ですから)
今思えば、細かすぎる相関図なんてものはキャラ立ちしてるから完成しますもんね。
普通、事件ものじゃやろうとは思わないと思います。
濃いキャラクターたちは連続ドラマだからこそ愛されていく部分があります。
1回で覚えられるようなキャラの濃さは、
連続ドラマでは武器だと思います。
だから、もっと振り切ってそこを活かした演出(と、宣伝)でもよかったのかなあ、と。
本筋の事件ももちろん大事なんだけど。
いっそこの点だけで押し進めても良かったんじゃないかなと思えるくらい難解要素要らなかったと思うんですよ、、、
(とにかく「難解なトリック」の宣伝が強く気になる私氏)
完全に余談ですが、
主人公・風真は19年前(20年前)の事件の真相に迫る時に役に立てるように、と
様々な職業を転々とし沢山の人との縁を作っていました。
上記で書いた宣伝での言葉とともに多く使われたのが「ポンコツ探偵」という表現。
風真は果たして「ポンコツ探偵」だったのか。
例えば、最初から「人と仲良くなるのが得意な人たらし探偵」みたいな情報1本で宣伝していたとしたら、
「あー風真くんに心奪われたキャラクターの皆様ね」みたいな先入観で個性豊かなキャラクターを受け入れられて、
キャスト発表されるたびに「風真、、、お前豪華な人たちと友達だな、、」っていうワクワクに素直になったのでは?と思います。
「人たらし」って、まあ、つまり1人では出来ない要素として存在している言葉で
誰かと誰かの関係性に直接関わってくるじゃないですか。
人と人との対話だったり、関わり合い、
人と人との縁の広がっていく感じとかを最初から重視して演出をつけていれば、
もう少しまとまりのあったドラマになったのではないかなあと思います。
(事実、無関係だったはずの星くんや姫ちゃん、お師匠らが風真を通して出会っている)
(最終回の星くんと姫ちゃん本当良い援護射撃コンビだったな)
撮影し始めた時期が早いかつドラマオリジナルで脚本の全体像がはっきりしていた作品だからこそ、
ミステリー要素を推すのではなくて、もっとポップにエンタメとして日曜22:30〜23:30の時間を楽しめるような時間として推してくれれば完璧だったんじゃないかなって。
濃いキャラクター達に
おまけで事件が降りかかってくるんですよ。
(おまけで事件が降りかかる世界怖いからやめよう)
とまあ、余談は置いておいて。
誰かが誰かを思う気持ちって、人の数だけ形があると思うんです。
富豪と愛人。
兄と妹。
先生と生徒。
仕事仲間。
教授と研究員。
親と子。
宣伝のせいで、
事件にどんな結末が待っているのかと思っていたけれど、
最終的に「ネメシス」が伝えたかったことって
人と人とが繋がることで生まれるパワー(マイナスな面でもプラスな面でも)だったり、あたたかさだったりしたわけじゃないですか。
血の繋がりとか、立場とか、そんなのではなくて、
目の前にいる誰かを思うだけで
その繋がりって多分めちゃくちゃ強固になるんですよね。
目の前の誰かを思うことができなかったから、
大和は"1人で"亡くなってしまった。
私は、日曜ドラマ「ネメシス」は、
決して"つまらない"ドラマではなかったと言い切れます。
もちろん、ここまで読んでくださった皆さんはご承知おきの通り、思うことは山ほどあります。
宣伝が〜とか
情報の出し方が〜とか。笑
エンターテイメントって難しくて面白いよな、と思います。
そして、私みたいな適当な視聴者がたられば言えるほど
エンターテイメントの可能性は無限大なんだよなあ、と思います。
だって、このドラマ、小説あるんですよ?
しかも別に原作でも何でもないからドラマと内容全然違うらしいですよ?
無限大だなあと思いますし、
結局は楽しんだもの勝ちだなあとも思います。
伝えることは難しいし、
面白がってもらうのは多分もっと難しいです。
その難しさが面白くて毎日エンターテイメントに従事している、
そんな人たちの作品を見たような気がしています。
エンターテイメントを心から楽しんでいた人たちの作品。
それが「ネメシス」だと思っています。
日曜ドラマ「ネメシス」の皆さま。
お疲れ様でした。