大前提読んで欲しいのはこっち。↑


こっちを読んで欲しい。
本人に読んで欲しい。



というか本人に一瞬でも見つかって欲しくて書いてる。


その動機で書いてる。

その動機だけで長々と書いてる。


その動機の割にはしょうもない感想をたくさん書いてしまった気がするし、
別に本人が読んでもなーんにも起きないけれど。






嵐〜!!!!!
見てるか〜!!!!!



頑張って書いたぞ〜!!!!!

嵐のエンターテイメント〜!!!!!


語彙力はないけど〜!!!!!
見ても何も生まれないと思うけど〜!!!!!





むしろ個人的には感想としては割とちゃんと書いてる方だと思っているけれど逆にどうですか〜?????笑



(はいはい、大体好き、としか言ってないですね)
(テクニカルな部分へのコメントも頑張ってはいましたけど基本装備が無知ということがダダ漏れですね)
(感想文としては小学生レベルで全然ダメですね)












はい。





こちらの記事は、前の記事では触れなかった挨拶について一応触れようかと。


一応ね?

一応ファンとしては触れなきゃかなみたいな使命感です。



と同時に、
もっと個人的な感想、というか。
想いというか、なんというか。








だから、「おまけ」。







なぜ前の記事で感想で挨拶に触れなかったかというと、
まあセットリスト順に書いていったから普通に忘れていた、というのもあるのですが、

挨拶は人によって捉え方がより変わってくる部分だろうし、
挨拶の思い出は2020.12.31に閉じ込めておきたいような気がして。




挨拶と嵐が作るエンターテイメントはまた別の次元の話というか。


まあそれでいてMCとかには触れちゃっているのですが。



私はただ嵐のエンターテイメントへの感想が書きたかった、っていう。


こんなこと感じたよー!を本人に伝えたかっただけで書いてた、っていう。





まあ単純に挨拶と向き合う元気がないだけなのかもしれない。


そう、元気がないだけ。



心がちょっとしんどいんだな、多分、、、(笑)



これだけ冷静に(?)感想を書いていても
所詮はただのファンなので。








嵐のエンターテイメントは何度だって楽しいし何度だって感動するけれど、
あの日あの瞬間生まれた言葉への価値は時間が経つほど下がっていってしまう、というか。

下がりはしないんだけど。

なんて言うかな。



あの日あの瞬間の私にとって最大の価値を持つものだし、これからも心に残り続けるのだけれども、
こうして振り返ってここに書くのはなんか違うかなあ、と言いますか。



今回は、なおさら。





嵐は、いつも、いつでも、「ありがとう」だもん。

これは雑でも大袈裟でも何でもなくて。

言葉を変えて、表情を変えて
ずっとずっと「ありがとう」を伝えてくれる。



その「ありがとう」は、受け取った瞬間が何より尊い時間だもん。





むしろ、この記事この場所はどちらかというと私が積極的に嵐に「ありがとう」を伝えないといけない番なのだと思うし。







私含む周りがあれこれ何を言ったって、
5人にしかないものは5人にしかないから、
それが見ていて分かりきっているから、
若干、悔しい思いがあるんです。




5人の間にしかないものを、他人は何も口出しできない。



挨拶は、5人がそれぞれ持つ「5人にしか分からないもの」に触れていて、
そこへの感謝だったり寂しさだったり誇りだったりを話していた気がしたから。






それをどう受け取るかはファンの私の勝手だし、
それをここで書く必要はないかなあ、と。





私はただ、エンターテイメントとしての感想を本人に届けたいだけ。





だから別に挨拶の感想は、、、、ね。
まあ個別では必要ないかなっていう。




カッコつけてますね。


無理してますね。

















「嵐」には、
たくさんのファンがいて、スタッフさんがいて、
関係者がいて、ジュニアがいて、先輩がいて。




どのつながりも大切にしてきた嵐だからこそ、
夢を見て、夢を追って、ただひたすら走ってきた嵐だからこそ、

今があるのだなあと強く思いました。





周りがどれだけ変わっても、その夢は変わらなかったし、
5人は変わらずずっとお互いの手を掴んで走ってきたんだなあ、と。





その夢は、間違いなくずっと「世界中に嵐を巻き起こしたい」だったし
「トップになりたい」だったんだろうな、と
私は思います。





言葉は違えど、5人が言っていることは多分ほぼ同じで、
どうしてこんなに同じことを言ってくれるのに、
5人は「嵐」から離れちゃうんだろう、活動休止しちゃうんだろうという思いがあったりなかったりもします。





でも、この挨拶たちは「人のため」だった結果なんですよね。


嵐が「みんな」を思った結果がこの挨拶だったんだろうなあ、と。




私はその中で、各メンバーのいくつかの「本音」を拾ったりしながら
この先は「嵐に似た何か」を追うことにします。






あー、私ったら、こんなこと書いちゃって、
しょーもない「おまけ」の記事ですね。






嵐さん。

感謝の気持ちを忘れずに立ち続けてくれてありがとう。

寄り添って、思いやりあって21年間走り続けてくれてありがとう。






私が好き勝手メッセージを伝えていい番なのだとしたら、
正直寂しい以外の感情はないです。



だって5人は、5人で並んでいる時が一番輝いていると思うから。



何で5人は手放してしまうんだろう、
自分たちが一番輝ける場所をどうして自ら離してしまうんだろう、と今でもずっと思っています。




でも、嵐についてきたから分かるんです。

嵐はずっとずっとたくさんのことに責任を背負って走ってきたのを私は見てきたから分かるんです。




自分が輝けるかどうか、みたいなものは関係なくて、

5人でいないと何もできない、みたいな自覚がしっかりある上でこの道を選ぶのだなあ、と。




そしてそれは「自分のために」ではなくて、
やっぱり「誰かのために」なのだと思います。




私はね。何となくそう思いましたよ。




この活動休止は「誰か」のためだと思っています。



それはメンバー同士のお互いのことを指すかもしれない。


「みんな」のために頑張れないから、
という理由で休むのだとしたら、それは「みんな」のためですよね。



誰かのために、自分の時間を大切にするわけですよね。



無責任じゃないから。
見ててそれが分かるから。



「人のために」は覚悟でも呪いでも何でもなくて、
嵐らしさなんじゃないかなあ。


ただ、それだけなんじゃないかな。




と、書きながらでてきた感情をただ言葉にしています。
キリがないですね。



これは私が勝手に思っていることです。






うん、そうだね、、、


「人のために」でしか頑張れなくて、
頑張れなくなって申し訳なさを感じるのだとしたら、
今もなお「人のために」存在している何よりの証拠ですよね。



それがしんどくなっちゃったのだとしたら、
それは見ている私たちのせいなんだろうな。



The Music Never Endsのところでも書いたけれど、
知らない間に嵐にたくさんのことを背負わせてしまっていたのだと思い知らされた気がして
今はうまく言葉にできないんです。




ごめんね。たくさんのことを背負わせてしまって。






これから先の時間は、
思う存分自分のために時間を使って欲しい。

でもそれは1人じゃなくても出来ることだと思うから
寂しくなったら戻ってきて欲しいな。




変わらないから。私は。
多分、5人とも。



私がそう信じたいだけです。



こんなファンでごめんなさい。



本当にありがとう。
お疲れ様でした。








ファンとしては、まあこんなところ。


これは感情的なものでしかないから
日記的な感じで残しておきまーす。


まとまってなくてごめんなさい。
まとまることなんて多分ないです。