映画「浅田家!」公開おめでとうございます。


私は夜の初日舞台挨拶中継回を観に行きました。

 

 

舞台挨拶の感想としては全体的にあたたかい雰囲気でよかったなというのと、

笠井さんが二宮くんにコスプレ話振るのを忘れちゃうくらいコスプレ話がめちゃめちゃ濃かったのと、

妻夫木くんが二宮くんの扱い方を完全に覚えていて面白かったのと、

二宮くんのおふざけねっとりめなウインクが最高だったというとこですかねー!笑

 


リアル浅田家の皆さんに手を振るのも、

リアル中野家の皆さんに手を振るのも、

この映画が家族のお話だからなんだよなあ、と思ってあたたかくなりました。

私もあそこにいたら家族に手、振りたいもん。

それが許される映画。

 

 

 

 

 


以下、感想。

ネタバレは、、、まあ多分あるので避けたい方は避けてください。






 

 

 

映画「浅田家!」、とてもあたたかい映画でした。

 


個人的には、「生だなあ」と思って見てしまいました。

 

この、「生」というのは、本物、リアル、現実、ドキュメント。

 


お芝居を見ているのだけれど、お芝居を見ていない時に感じるようなものを感じました。


 

これが私の語彙力じゃうまく表現ができなくて、

二宮和也、妻夫木聡、風吹ジュン、平田満という【家族】が、そこでちゃんと家族してた、って感じ。

 

 

どう見ても家族でしかなかった。


本物の家族だった。


なんだあの家族。


なんなんだあの家族。

 

 


 

政志と若菜ちゃんの関係値がある種、あの写真を撮った時から変わってない、というのも愛しかった。

幼なじみ、良き理解者。

遠慮がなくて、遠慮がち。

本物の関係。

結ばれるべくして結ばれた尊い関係がそこにあった。

 

 


なんだあの家族。

 

 

 

 

 

 



後半の東日本大震災パートへの導入、

政志の運転する車が道路を走る、特記するようなシーンでもない、あのシーン。

 

私は、こんなにも綺麗で心地の良い場転を今までに見たことがあっただろうか、と冷静に考えてしまう余裕があるくらい丁寧な場転だと思いました。


 

後半への心構え。



そして、突き刺さる現実への導入。


「まもなく目的地周辺です。」

のカーナビの声は、東日本大震災と向き合わなければならない第一歩。





 

多分きっと、私含めあの東日本大震災は"当事者"だったからこそ、こんな印象を抱いたのだと思います。


 

 

この映画は"現実"だから。

ずっと"本物"だから。





後半の東日本大震災パート。

政志が車を走らせるシーンが丁寧だったと感じたから、感じる余裕があったから、

自然な形で後半パートに入ることができました。





 

 

菅田将暉も渡辺真起子も北村有起哉も生きてた。

あそこで生きてた。

なんとか頑張って生きてた。

 

 

その姿に、どうしても涙が溢れてしまう。

 

うまく言葉にする必要なんてなくて、

彼らがあそこで生きてるから、私たちは涙してしまうのだ。

 

 

"現実"だから。"本物"だから。

 

 

 

伝わるかなあ。

上手く言えないんだよなあ。

 

 

多分、東日本大震災が"当事者"だからなんだと思う。

ただ、お芝居が上手い人たちが集まっただけじゃないから。

自分自身が生きてきた、見てきた現実のひとつだから。

 

多分そういう個人的な感情込み込みで、

私はこの人たちが映像の中で生きてるのだと、本物なのだと錯覚するんだと思う。

 

 

でも、言葉を選ばず言うなら、

めちゃめちゃ芝居が上手くてめちゃめちゃ本物として生きてたなあ、という印象が勝ってしまうんだよなあ。


 

これが芝居であり"現実"であるということに胸が苦しくなる。

 

 

 

こんなに"綺麗な"お芝居を初めて見た気がする。

そんな気がするなあ。とただただ思ってしまう映画。



 

うまく言えないけれど。

 

「これが本物かあ」、みたいな。

 


 

これが現実かあ、みたいな。




 

多分、あの現実をいまだに突きつけられたくないから、

冷静にこれが芝居であることを認知するんだと思う。

そう、認知しようとして観てしまうんだと思う。


 

うまく言えないけれど。

 

 

 

 

 

 

 




 

家族の話。家族の形。

子が親を思い、親が子を思う。

ただそれだけの、家族の姿。

 


 

桜はどうしたって綺麗だし、

虹はどうしたって綺麗だし、

 

あの海はどうしたって綺麗なのだと思う。

 

 


どれだけ雨風に打たれても、

どれだけ霞んでても、

 

 

 

どれだけ広くて、何もかもを飲み込んだとしても。

 


 

どうしたって海は綺麗で、

いつだって"永遠の思い出がある場所"なのかもしれない。

 

 




 

写真は切り取るから残る。

 

切り取らなくても残るように、

私たちは普段見逃しがちな大切なものに気づかなくてはいけないのだと思う。

 

 

家族の優しさ、あたたかさ。

日常の尊さ、ありがたさ。

 

気づいているはずだけど、気づくのはいつだって"切り取られた"時だと思うから。

 

 

今、こうして生きてること。

誰かと笑ったり泣いたりして生きていること。

 

家族と、同じ時間を共有できること。

 

 

ただ、そのあたたかさを携えて。

私は今日もあしたも生きなくてはならない。

 

 

 

だから、「ありがとう。」

 

 

 

 

 

 

 

 




浅田さんの世界の広がり方はとってもドラマだなと思います。

 

自分が好きでやってきたことが、

家族のためになる、自分と関わった人のためになる、世界のためになる。

 

自分ひとりの世界で生きていた人間が、

家族と交わり、恋人と交わり、世間と交わり、自分の世界が広がっていく。

 

広がっていった先に、まだ知らないたくさんの世界があるのだと気づく。


そして、

自分ができること、自分にしかできないことと向き合うことになる。

 

自分にしかできないことで、誰かが救われるなら。

 


それ以上の幸せはないんじゃないか、と。





 

そんなドラマ、たっっっっくさんあるけど、

「浅田家!」は、

ただ、ただ、現実で、本物なのだと思う。

 



 

 

伝わるかなあ。伝わればいいなあ。