「一歩進んで二歩下がる」=スローペース
になる、ありのままでの世界観が好き。
この言葉自体は別に後ろ向きではなくて、それも前に進むために必要なこと、となるけど、それをスローペースと捉える心の広さがなんか好き。
○
そこから1年と少し。
ありのままで、についてコンサートパンフレットを見たときの感想であったり、最近ツイートしたことを含め、ここにまとめておこうかと。
まとめておきたい気分なの。
○
パンフレットを読んで、
「ありのままで」の仮歌タイトルが「Master piece」だったと知り。
調べたら、一語でmasterpiece=傑作、代表作、また、模範例、のような意味だそうで。
少しくらいラフに行こう、の"スローペース"は比較的前向きな力強いものだったのか、とパンフレットを読んで思いました。
ただ、「ありのままで」というタイトルになることで、
どちらかといえばなんでもない日常や当たり前なもの、にもきちんと意味があって、
何気ない日常で、飾らない日常で、
とにかく肯定する幅が広げ、日常を豊かに彩っていく、というか。
おそらく当初は、
何もない日常も特別なもの、と
目の前にあるものに"特別"で色付けする意味合いが強かったと思うんだけれど、
そういう意味合いよりは、
たまには何もない日常もいいよね、みたいな、
別に特別にするわけではないけれども、
ただ、この"今"を受け止める、向かい合うその心の広さのようなものをただ大事にしたんだなあ、と思いました。
"当たり前"を当たり前ではない、
それはとても特別なんだよ、というメッセージを込めて歌われることは多々あるような気がするけれど、
とことん当たり前は当たり前でそばにあるよね、あなたのままでいいよ、それでいいんだよ、って貫いてくれる一息つけるような曲ってあまりないよなあ、と。
「ありのままで」も、最初に「Master piece」と題していただけあって、そういう要素はもちろんあるんだけれど、
結果として、「ありのままでいい」という結論に達したことがなんだか嵐らしくてすごく嬉しい。嬉しいの。
前に進むために必要、
今をただ今生きていくこと、飾らずに自分たちらしく過ごしていくこと、
つまり、スローペースでいいんだ、と発売の時に感じたことを
おやすみ発表した今改めて噛みしめてみる。
そうね、スローペースでいいね、それでいいよ。
と、今も思う。
遠回りもしながら、ありのままでいこうよ。って。
「ありのままで」の
この現在や現実に対する想いは、今でこそなんとなくしっくりくるけれど、
"「untitled」でやらなかった"ということが
おやすみ発表をした今になってしっくりくるというか。
うん、なんて言えばいいのか分からないけれど。
「untitled」で描きたかったことは多分もっとその先のことだっただろうからね。って。
「繋いでゆこうよ最高のFinale」と歌った
"デビュー18年目、「未完」の嵐。"
この時込められた想いは一時のものではないと強く思う。
もっと先を見据え、この先ずっと繋いでいくための。
ありのままでいこうよ。このままでいいよ。
描いていこう。綴っていこう。
ジブンだけのStoryを。