2017年11月8日発売 シングル「Doors~勇気の軌跡~」
そういえばここでまとめていなかったなあ、と。
過去ツイートをまとめつつ、PVのお話をメインで。
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「Doors~勇気の軌跡~」の嵐の王道ミディアムバラードで曲の世界観ゴリゴリなPVと
「NOW or NEVER」のキャッチーなアップテンポな溢れ出るTHE・B面なハッピーに満ち溢れるPVが私のストライクゾーンをドーンと。
ちょっと前の嵐って感じする。ほんのちょっとね。
メイキングの作り方も。安心感がある。
何度も言うけれど、すごく安心するの。
Doors~勇気の軌跡~もNOW or NEVERも、とにかくすごくなぜだか安心する。本当に。安心感がすごい。
別にここ最近の嵐に安心感がなかったわけではないのだけれど、なんというか、これがナチュラルなんだなあ、と。
ナチュラルというか、やっぱり自分の中での嵐って決まっちゃっているというか。
笑顔に溢れ、圧倒的なチームワーク、連携プレーで周囲を魅了し続けている。
それは多数の人と同じなんだろうけれど、私の中での嵐の好きな部分みたいなものは確立されているよなと思う。良くも悪くも。
「untitled」で感じた、「この人たちの姿勢に無条件降伏しなければ」的な嵐ではなく、
ほとんどの人が笑顔になれる、「嵐といえば」、の嵐が詰まっていたように思う。
そういえば、テレビ誌で二宮さんがアルバムとシングルとで
シングルの方は落ち着くというか馴染みあるみたいな言い方していて、似たようなこと言ってるなあと。
嵐の「嵐感」ってみんな思い描いているものは一緒だと思う。
その嵐が、私は一番好きなのだ、という話。
PV撮影の演出で、全て受け止めて、なんてこと言っていたけど、
そういうなんというか、
広い心と一歩遠くから、っていうその勇気が
今よりほんの少しだけ世界を開いてくれるのかな、なんてことを思った。
だから、「Doors」。
今より少しだけ拓けた、扉の向こうへ。
優しく包んでくれそうな勇気の形が好き。
Doorsのメイキングは、まさしく撮影風景と、インタビュー、という王道構成、
NOW or NEVERのメイキングは同じく撮影風景、ただし、こうなんというか嵐が嵐たる所以というか、より近いところでの風景、わちゃわちゃ、感をメインに撮っていて、
まあ要するにそれが安心につながるということかな。
PV撮影の時期を時系列で並べると、おそらく
Doors~勇気の軌跡~→「未完」→NOW or NEVER
ってなるんだろうけれど、
今回の嵐のいわゆる王道っぽいPV2つの間に
あれだけ攻めた「未完」PVがあるのが良いなって。
王道というか"いつも"があるからこそ攻められた、この感じが。
Doors~勇気の軌跡~にとっても、「untitled」にとっても、相乗効果があるというか。
良いタイミングで2作品(PVは3作品)リリースしたなあと思った。
PVメイキングを見て思ったことといえば、
今の芸能界というかクリエイティブの現場における
スタッフと演者の微妙な距離感は私はすごい嫌いだなあと。
クリエイティブに遠慮はいらんと思うのであります。
遠慮が見えてしまった。
スタッフも演者もその"創作活動"においては1ピースな訳だから、必要なのは遠慮ではなく配慮だよね。
Doorsの寄りのカットで他のメンバーがその場で待機するところや、NOW or NEVERのフリーな動きの撮影の部分など、
きちんと1ピースとして動く人が目立つようになっている現場が私は嫌いで。
贔屓とかでなく、きちんと"創作活動"に携わる嵐を見て、間違いなくこの人たちが好きなんだなあと再認識した。
そして、スタッフは遠慮ではなく配慮をしなければいけない。
そうして1つの作品を完成させて欲しいなと思ったなあ。