「未完」PVと全体的なお話。

こちらもツイートをまとめつつ。だらだらと。




○「未完」PV


PVは難しすぎる、という印象。
攻めるコンセプトには合ってるけど、きちんと理解してくれる人って何人いるの?って。
回収したさにメイキングよりインタビューが多いんだろうけど。(そんなことないのかもしれないけど)
最終的に手元に届くのはファンなんだから、もう少しマイルドにする必要性はあったはず。
私の理解も合っているか分からないけど。

私が感じたことをつらつらと。

「何もない」を満足いくように表現するのって難しいんだと思う。
この「未完」って、「untitled」の象徴で、未だ完成されていないこと、枠がないことをテーマにしていて、
PVは、実像が伴わないとか掴めそうにない、それでもそこにきちんと存在している、っていうある種の矛盾っぽいことをテーマに作ったんだなあ。

だからカットインで現れてみたり、影が多かったりして、掴みにくかったりするんだなあ。

ずっとカーテン(そもそもカーテンでいいのか)に映されていたのを見るだけの「部屋」にいて、
その「奥」に最後かっこいいキメてる嵐がきちっといるんだよなあ。
そして一瞬だけ明かりがぱちっと点く。深い。深すぎて多分ほぼみんなついていけてない。
ついていけてない。


「無題」が「完成しないこと」を映像化して完成させるって相当難しいでしょ。
何もないものが完成してないんだよ?
頭おかしくなりそう。
まあ捉え方は、「完成していないから無題である」、でも良いけど。
どちらにせよ、完成していない、されるはずのないものを1つの完成形にするって難しすぎると思うのです。

「未完」のPVの最後、このカットで「完成」って時に、あの、かっこいい「嵐」がいるんだよ?
もーひれ伏すしかないよね。

PVの完成を告げるラストカットは、まだまだ「未完」の象徴にするしかない。完成してないよ、って。
その、「完成してないから」の象徴は嵐。あの、かっこいい嵐。
嵐は終わってないもの。
アルバムやPVはそれでパッケージ化されて完成形になるけど、嵐はまだ完成してないもの。

と、受け止めました。

何も飾らなくていい、伝えなくていい、ただ、彼らがそこに存在することが何よりも「未完」の象徴であるということに、心打たれる。
完敗だ。最強だよ。





撮影手法としてはとっても新しいことだったんだろうけど、出来上がったPVは最後は良いけど個人的な好みで言えばあまり刺さらなかったなあ。
メイキングにかける時間をPVそのものにかけてもっと見応えがある「MV」を作って欲しい、、、、、。

なんてことを思ってしまったりもしました。


にしても、最後の5ショットかっこよすぎですね。。。
あれだけで十分満足できたりもするのです。
それくらい、破壊力はあった。




最後に戯言コーナー。

サトシオオノだけ肌が黒くて茶髪なのがめっちゃ気になった。
大野さんが黒髪で白肌だったらそれはそれはカンッペキだったよ、ビジュアルが。言葉も出ないくらい完璧だったよ。
別に否定はしないし、それで良いんだけど。
それでこそ嵐なんだけど。
個人的な好みで言えば、白と黒のあの世界観で、黒髪色白イケメン5人が横一列に並んで誰が惚れないでいられるの?っていう。それだけ。(笑)


ただまあ、嵐はそういうところで勝負してないからなあ、と。嵐の一番の魅力はビジュアルじゃないから。
でも、あれ、黒髪色白ならカンッペキだったなあ、、(笑)







○アルバム全体のお話


ちらりと見たしょうもないツイートからつらつらと、の会。

そのツイートは、大意は「大野智のソロが少なくてつまらない」というもの。

一定数いるじゃない。そういう人。
否定はしない、私は理解できないだけ。
自分が感情的になっているのが腹立たしいけど、書いておきたいから書く。


大野智の歌声が、嵐随一の歌声なのはファンも本人たちも承知だと思うの。
ま、当の本人は分からないんだろうけれど。
きっと「まあ昔ちょっと練習はしたけどね」とか笑って言うんだろうけれど。

デビューして何年間はソロパートなんて大野さんしか担わなかったし、今だってきちんと決めるところを決めるのが大野智。間違いない。

でも今年は色々チャレンジしてるのかも、と改めて思う。

シングルやカップリングでの歌割りで、新しいなと思うことは今年は多かった気がするし、この「untitled」でもそう。

「untitled」に関して言えば、元々それぞれソロパートが多いこともあるけれど、こんな歌割り昔じゃやらなかったなと思うの。
フェイクはまず間違いなく大野さんか二宮さんだったし。

別にこの点を強く意識するのは本人じゃなくて音楽関係のスタッフなんだろうけど、多分おそらくコンセプト「untitled」が影響してるのかなあ、と。
言い方がすごく難しいけれど、大野智に頼らない歌割りになったのかな、と。
それでもゴリゴリ大野智は強いんだけど。なんて言うのかなあ。

嵐って本当にどの組み合わせでも歌声がきっちりまとまると思っていて。私はそれがすごく嵐の強みだと思うんだ。
誰かが出しゃばることなんてない。
編集で誰かの声が強く出てても、まとまってないわけではない。
(余談ですが、編集で常に大野智が濃く出る時代はちょっと前に終わった気がします。)

特徴は5人各々あるんだけど、みんなトゲみたいなものがないんだよな。多分。
トゲっていうのは決して悪いことではなくて、すごく武器になるもの。
今は「トゲ」以外の言葉が思いつかないからその表現をさせてください。

個人的には長瀬くんとか渋谷くんとか手越くんとかはそれを持ち合わせている。
彼らにとってこれはすごく強み。グッと引き込まれる歌声。グサッと心に刺さる、感じ。

良くも悪くも嵐にはそのトゲはないなあ、と。
大野さんや二宮さんの歌声が一番近いけれど、
大野さんはまっすぐグサッと刺さるというよりはぐるっと1回後ろまで行って包んでくれる感じ。
二宮さんは昔はなんとなくあるジャンルにおいてそういう歌い方多かった気がするけど、表現のレパートリーが増えてきて、なくなってきた気がする。

歌声だけで心にグサッと真っ直ぐ響かせられる人は凄いと思う。そんな人が嵐にはいない。

まっすぐ心にグサッ刺さるってすごいことなんだけど、
嵐からそうやって心に刺さる時って、演出とか色んなものが合わさって大きな総合芸術として成り立った時な気がする。
歌だけ、とか、ダンスだけ、とか、
1つ1つはすごく普通で特別上手いわけではないんだけど、きちっと全てがハマった時に人の心に刺さる。
それが嵐の特徴であり魅力であると思う。私は。


何が言いたいかというと、
5人それぞれどう掛け合わせたって、掛け合わせたからこそ生まれる色がある。
「トゲ」がない人たちだからこそ、掛け合わさった時に1人1人の普通さからは想像できないような特別なものになる。
その中でも、大野智はゴリゴリ出てくる。
5人まるっと融合させたって、彼の存在感は半端ないほどある。

昔は、その存在感に頼っていた。
頼ることしかできなかった。
でも今は違う。

そして、どんな風に掛け合わせたって、「リーダー大野智」は強く存在している。

それが魅力だと思うのです。
掛け合わせたってかき消されないトゲのない歌声は、そう誰しもが持っているものじゃないって思うのです。
嵐随一なのは、誰もが分かっていることなはず。


だから、平たく「ソロパートが少ない」なんてことでブツブツ言われると、一体今まで何を見てきたの?となるのです。

誰よりも真ん中できちんと支えている大野智の歌声。
他のメンバーの歌声で、「遊べる」ようになったのは、そのおかげだと思うのです。

今年は、その「遊び」の数が多くなったなと思うのです。
「untitled」もしかり、楽曲で言えば「Under the radar」、「Reach for the sky〜天までとどけ〜」とかかなあ。

昨年大野さんがプロデュースした「Miles away」が大きく影響しているのかな。


どう考えたって1番強く存在している歌声は大野智である。
でも、ソロパートが少ないと不満を言う人がいる。
不思議だな、という自分勝手な話でした。

散々「untitled」と言っているのにね。
伝わらないものかね。

そもそも、そこに意識があるかどうかは知りませんけど。


勝手な解釈万歳。
ただでさえ日本語がめちゃくちゃなのに、何が言いたいかすら迷走してきたのでここら辺で。