あしたのおと

あしたのおと

えそらごと。

日記、思考の切れ端、詩とエッセイ。過去の書き物の保管庫としても使っています。


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ささやかな転轍

 

 東京で高校生をやっていたころ、満員電車が何よりも嫌いだった。血眼になって立ち位置を獲得しようとするスーツ人たちのフィジカルアタックはしょうじき痛かったし、車内に充満する香水やら汗やら体臭やらがブレンドされたカオスなにおいに何度むせかえったかもわからない。縁もゆかりもないサラリーマンの通勤カバンと降車ドアとの間で縮こまって、独り秘かに『ドナドナ』を口ずさみながら登校した朝もあった。
 だから、というわけではなかったけれども地方の大学に進んだ。憂鬱な登下校から解放されたこと、それは、心の底から祝福すべきことだった。しかし、数週間も経つと心のどこかに物足りなさを感じるようになっていた。人込みのない生活に憧れて東京を出て来た部分もあるはずなのに、自己紹介で「シティーボーイ」とそやされると嬉しくなっていた。納豆を一人で一パック食べられる幸せに浸った直後に、茶碗についたそのぬめりが洗い落とせなくて腹が立った。思いのほか、孤独に耐性がないことに気づいた。故郷・東京が思ったよりもずっと早く恋しくなっていることに気づいた。
 一か月たって人生はじめての帰省。山手線で人の波にもまれた。乗車するとき、うまくペースをつかめなくて誰かの革靴に足を踏まれた。隣に立っていた高校生のイヤホンから音が漏れていた。巣鴨で降りた女の人は、うたたねで頭を揺らす隣の男の人に舌打ちしながら口紅を差していた。そうやって袖振り合いながら、互いに干渉することは決してない。けれども、きっとその一人一人がそれぞれに固有のドラマを生きている。その困憊やら虚無やら希望やらが、枕木の規則的な音がこだまするその小さな車内にたまたま集合して一時に抱え込まれていること、その偉大さに唐突に感傷的になってしまう自分がいた。満員電車がいとおしく感じられた瞬間でもあった。
 高田馬場で私鉄に乗り換える。ホームでは発車メロディーの『鉄腕アトム』が誰の意識にのぼるともなく鳴り響いていた。
   ♪空をこえて ラララほしのかなた
    ゆくぞアトム ジェットの限り

 

文章:タコのマリネ

 

タコのマリネ氏とのリレーエッセイ。お互いの文章に緩く触発されて、さりげなく連続するような文章を交互に書き繋いでいきます。

のんびり続けていきますのでよろしくお願いいたします。 ゆうき

 

 

  行方、

 

  入江        縁石

 

 

木と木の隙間に海が見えて、極小の海だ、と思う。

 

 

 

 

 

 

関係はひとみを灼いて崩れていった

 

 

 

 

 

 

(車が通り過ぎる音)左じゃないすか(服が擦れる音)(風が流れる音)住むなら山の上住みたい。なんで山の上なんですか。(服が擦れる音)坂の多い街が良いですね。(二人の足音)縁側ほしいな、家に。(車が通り過ぎる音)定食屋みたいな床屋!生姜焼き定食がオススメそうではある。(鉄製のなにかを踏んだ音)(誰かの歌声)(車が通り過ぎる音)僕こないだあそこに居たんですよ。羽黒山公園。あーはいはい。轟音が聴こえて、飛行機でもとんでんのかと思って。でも何も見えなくて。あとで父親に聴いてみたらたぶん自衛隊の基地の(トラックの通り過ぎる音)あら猫ちゃん。飼い猫?跳ぶのか?跳ぶのか?跳ぶのか跳ぶのかそのモーションで…あ、跳んだ。(小鳥の鳴き声)祝福のチュンチュン。クララが立った、みたいな。わかんない、今日ずっとチャレンジしてたのかも。(風が流れる音)めっきょめきょの一年生。めっきょめきょの一年生。めきょめきょって何?めっきょめきょの一年生。めきょめきょの謎は教えてくれないのね。(二人の足音)あれ、モリヤですよ。フレッシュフードモリヤ?そうそうそう。ほんとに。(車が通り過ぎる音)アニメージュって見に行ったの、そういえば。行ってないっすね…行きたいっすね…。(車が通り過ぎる音)(誰かの鼻歌)このあとは車で移動でしょ?はい。(車が通り過ぎる音)(店から聴こえてくる音楽)ここでも良いですか?うん、何でも良いけど。(車が走っている音)いま無理

 

 

 

 

 

 

都市

が見ている夢のなかにいる

 

 

 



起きもしない

外はまばゆい

何だか静かに

失はれてゆく

 

(原民喜「四月」)

 

 

 

 

 

 

歩道橋のうえを歩いている。立ち止まって、空を仰いでみれば夕焼けが崩れて

記憶に焦点が合わない

崩れて

繰り返す。生まれてきたときのことを夢に見ている。光みたい

海鳴り、  今までごめん、謝ってばかりだったね

息ができない

空は見たことがない火

消え残る柑橘類の香りこれは明確な殺意

机に落としていた視線を少し上げてみれば窓の向こうで洗濯物が揺れて

暗い生活の隙間

寄り添ってくれるひとをちゃんと突き放したい

叫ぼうとしても、声が出ません、出なくて、

おなじ赤い火がまた吹き込むから

そうやっておなじ地獄へとゆく

 

 

 

 

 

 

(水の流れる音)(機械音)なんでネット張ってるんすか。いやぁ、暗いところが好きな生物がいるからじゃない。日陰の当たらないとこ。なるほど。岩陰が作れないから。(水の流れる音)(機械音)(虫の鳴く声)ホースの動きキモいなぁ。(機械音)(水が勢いよく流れる音)(二人の足音)(機械音)父親に、車のあそこパコパコしてるよ、って言ったら、仙高の駐車場でぶつけたやつだドンマイ、って言われました。ふふふ。どんまい。(機械音)(誰かと誰かが喋っている声)ありがとうございますー。(機械音)何枚撮れるんでしたっけこれ。20枚くらい。(フィルムを巻く音)(二人の足音)こっからどうしますか。僕のみたいものは全部見ました。たまには先輩の要望を聞かせてください。

 

 



 

はなしたいことなどひとつもない

僕に触れないでください

口をひらけばたぶんすべて暴言になる

でもほんとうのことだから

ひとりであることを切に願う






 


 

バックグラウンドに揺れている

 

 つくばで生活していた頃、アパートの近くに「ジェーソン」というディスカウントストアがあって、飲み物やお菓子が極端に安かったからよく行っていた。本当によく行っていたから、店内にかかっている音楽が耳に染みついてしまって、いつの間にかメロディを口遊みながら買い物ができるようになった。四つ打ちリズムの上にシンセの独特な音色で軽妙なメロディが乗っていく、〈フュージョン〉風打ち込み音楽。そのサウンドのチープさはともかくとして、微妙に捻った楽曲展開が面白くて思わず聴き入ってしまうことも度々あった。店内BGMとして「買い物」という行為の後景に退くはずの音楽が、僕の場合は割と前面に浮き出てきて、「お、気持ちいいコードの動き」「なんだその展開は…」といちいち気になってしまうことが多い。

 フュージョンバンドやポップなインストバンドをYoutubeで調べると、「スーパーの店内BGMにありそう」という書き込みを高確率でコメント欄に見つけることができる。このコメントを音楽に対する解像度が低いものとして捉えることは簡単だが、むしろ〈フュージョン〉音楽がいつの間にか日常のなかで後景的に現れがちであること、押しつけがましさがないため実際にBGMとして使われやすいものであることを改めて気付かせてくれるような書き込みとして捉えることもできる。

 商業施設の店内音楽は予めBGMとして、つまり「気にならない」「聴き流せる」ことを念頭に置いて、作られ、選ばれ、流されている。〈アンビエント(環境音楽)〉的な色合いを帯びて、作家性はある程度稀薄になり、さらに鑑賞の楽しみよりも実用性を重視される。しかし、例えば僕がそれを音楽的に聴いてしまったり、どこか懐かしさを感じて愛着を覚えたりするように、あるいはもっと深いところへ降りてゆくようにして、そういった音楽に強く惹かれて情熱を注ぐ人たちもいる。

 

 

 

 

「架空のスーパーの店内BGM」を集めたコンセプト・アルバム『MUSIC FOR SUPERMARKET』(2007年)は衝撃的な作品だ。このアルバムを作ったBEST MUSICの小田島氏・細野氏は「近所のスーパーにマイクを持ちこんで店内BGMを録音していた」「2年くらいかけて作った」という。キャッチーなんだけど絶妙に薄味のメロディ、ダサさと気持ちよさの間を掴むキメ、一瞬であの空気感を創り出すサウンド。凄まじく高いクオリティで〈聴き流すための店内BGM〉が再構築されている。

 音楽ライターの柴崎祐二氏は〈俗流アンビエント〉という新ジャンルを開拓し、掘り始めたきっかけとして、このアルバムの存在を挙げている。柴崎氏によれば、〈俗流アンビエント〉とは、実際に音楽的に評価されている正統派アンビエントとは違って、むしろもっと実用性に重きが置かれ、ある別の目的に向かって「聴き流す」ために作られた音楽を指す。買い物や店舗作業を妨げることなく居心地の良さを演出するために使用される店内BGMをはじめ、ヒーリングミュージックやイメージトレーニングのための音楽など、柴崎氏は今まで音楽的に主題化されることのなかったものを敢えて掘り起こし、主題化しようとしている。

 既に評価されているもの、音楽として主題的に認識されているものたちを掻き分けて、ようやく辿り着く僻地の一部に〈俗流アンビエント〉はあるのだろう。そこではもはや音楽家の顔は見えてこないし、音楽を「聴かせてくる」作為も殆ど感じられない。

 実は生活のなかで前面化して聴かれている音楽は、音楽全体のほんの一部分でしかない。日常の流れの後面においても音楽は豊かに鳴り続けていて、それは時折ゆらゆらと前面に顔を出す。店内BGMのカッコいいフレーズが不意に気になってくることも、〈俗流アンビエント〉が音楽的に主題化されてくることも、後方から前方へ現れ出てくる音楽の揺らぎとして捉えられる。普段後方で息を潜めているそれを音楽として捉え直し、突如として揺らいでくることを受け入れるかまえを持ち得る限り、私たちはまだ聴いたことのない音楽を聴くことができるのだ。

 

【参考】(最終閲覧日:2021年5月10日)

・『MUSIC FOR SUPERMARKET』商品紹介ページ

 

・「BEST MUSICは社会学!!小田島等+細野しんいち=BEST MUSICがコロナ禍の大復活」

 

・「ポスト・ミューザック考 第二回:俗流アンビエント」

 

・TBSラジオ『アフター6ジャンクション』「俗流アンビエントミュージックとは?」2018年11月13日

(以下、内容総括的なブログ記事)

 

 

文章:ゆうき(@taka_yu_45)

 

タコのマリネ氏とのリレーエッセイ。お互いの文章に緩く触発されて、さりげなく連続するような文章を交互に書き繋いでいきます。

のんびり続けていきますのでよろしくお願いいたします。 ゆうき