IQが低い人の頭の中(お年寄り編
自分の価値観で生きていないと言う人は、子どものころの宗教観がまったく変わっていません。
他人から操作された情報を元に生きているので、自分で生きることにかなりの負荷がかかります。
よって、自分で生きるという意味がまったくわからない人になってしまい、一生、死んだまま、つまり、過去の情報に束縛されたままとなってしまうのです。
私が主張したいことは、真の自由を手に入れられるために、夢を持ち、それに向かって邁進していくと言うことこそが真の自由を掴みとる唯一の方法であり、社会に対しての貢献であり、自分役割を満たすということでもあるのです。
よくIQの低いお年寄りなどは、少し自分の行動を咎められたり注意を受けると、無視するか、すねるか、怒るかのいずれかの方法しか行いません。
これの元となる原因は、過去にその人が体感してきた「他人の人生から来る宗教観」がポイントになっています。
自分の価値で生きたことがないということは、自分の宗教観そのものが他人の考えや価値観なので、自分の価値観を否定されても自分で対処することは事実上不可能と言っていいでしょう。
宗教観というものは、人間を根本的にコントロールする価値観です。
人間の脳は、脳幹が元になっており、その上に大脳の皮が覆いかぶさっている状態です。
その皮の前頭前野の頂点、論理的に物事を考えることのできる脳の部位は前頭前野外側部と呼ばれる場所です。
その場所は、内側部が論理なのに対し、外側部が宗教をつかさどる場所になっています。
この脳の仕組み上、論理よりも勝っているのは、人間の宗教観なのです。
では、なぜその宗教観が論理よりも勝って情報処理を行うことができるのでしょうか。
それは、「クオリア」が関係しているからです。
論理というものは、何かを切り離している情報処理のことを言います。
言語なんてまさにそうでしょう。
たとえを出せば、あなたの目の前にりんごがあるとします。
そのりんごを人間が言語によって情報処理を行うには、りんごと、りんご以外を切り離すということをすることによって成り立ちます。
それは、りんごをゲシュタルト化(世界を統合的に見るという認知心理学の専門用語)することによって、言語で情報を操作できるという仕組みになっています。
一方、クオリアの方は”感覚”です。
クオリアとは、
「青春のあの甘酸っぱい感じ」
「快晴の空のあの青々とした感じ」
などという意味合いで使われる認知心理学の用語です。
そのクオリアは、言語と違って物事を切り取りません。
つまり、”圧倒的な体感”というわけです。
クオリアは言語よりも抽象度が高いので、前頭前野の内側部よりも外側にあるクオリアをつかさどる部分が優位にたつことになるわけです。
そして、その部分は宗教観をつかさどっています。
つまり、宗教観をつかさどる場所を子どものころからの価値観で変わっていないと言うことは、そのときに支配された宗教観から脱しなければ、大人になっても自分の行動が社会に対する影響を客観視することができず、他人から自分に対しての責任に対する注意などを「無視、怒る、すねる」のいずれかの反応しかしないようになってしまうと言うことです。
子どものころから他人の人生を生きて年をとると、簡単に言うとバカになってしまうということです。
その打開策は非常に単純です。
自分で物事を考え、行動することです。
そのためには、暫定的な夢や目標をつくることによって、過去の束縛から自由になり、その方向へと人間が進化していくことを実行することです。
人間にはホメオスタシスという、生命を維持し、環境に最適化するという機能を持っています。
あなたの心臓の鼓動を一定に保ったり、瞬きの回数や、呼吸数が一定なのも、そのホメオスタシスが生体に働いているからなのです。
よって、人間は1つの人格を維持することができ、日常生活を生きることができるのです。
そのホメオスタシスは人間のすべての身体につながっています。
夢を達成できる方法論というのは、まさにそれなんです。
自分の現状よりも夢の方が臨場感(リアリティー)が強いと夢にに対して恒常性を維持しようと、する働きが生じ、夢を達成しなくてはイライラするという状態が成り立ちます。
そのホメオスタシスについての具体的な方法論はいずれ詳しくかこうかなと思っています。
これだけの情報で夢を達成しようと思っても片手落ちになるだけでなく、中途半端な知識を知ることによって、余計わからなくなるという現象も起きますので、実行することはおすすめしません。