スマホを辞めてガラケーにしようかと思っている。

ガラケーと言っても今はもうガラケーと言わずに「ガラホ」と言うらしい。

ショップでお姉さんにその新出単語をサラッと言われてもその意味を聞き出す元気も起きず、ああそうなんですねで済ましてしまった


ガラケーにすれば、ネットサーフィンなんかのそもそもの携帯電話としての機能以外のもので家で充電を食って、外に出かけるときには携帯電話として充電が無くては大変だからとせっせと充電をする自転車操業みたいな生活を送らなくて住むのではと思うようになった。


スマホが無いと不便なのは自分なのかそれとも迷惑を被るであろう周りなのか・・という自意識過剰により一歩踏み出せないでいるのは事実だ。

マップがないから道を聞く、ウェブページから申し込めないから目の前の人に手を煩わせる、


でも昔はそうだったんじゃないか。それが本来の人間の業(ぎょう)というものだ。人が繋がりあってモノが生まれる。そこに電子チップで出来た物体をいちいち媒介させる事は、本末転倒の便利さではなかろうか。


今の世の中、スマホが無いので・・インターネットが見れなくて・・と言うと煩わしがられる事もあるだろう。爺さん婆さんならまだしも、この20代で「あえて」ガラケーにしている奴なんぞ、自分が考えてみてもいかにも面倒臭そうな奴である。ショップのお姉さんにもそんなような目で見られたことを思い出した。


もう少し、考えてみる事としよう。