おはようございます☀

今日で東日本大震災から10年ですね。

わたしは当時9歳、下校途中でした。

わたしは海の近くに住んでいて、もしあの震災の起こる場所が違ったならば…わたしのこの命はなかったでしょう。

わたしは富山県に住んでおり、幸い大きな被害は受けませんでした。

2.46分、私は歩いていました。
外にいると震度3ほどの揺れはほとんど感じませんでした。家に帰ると、多くの家や人、車全てのものが一気に並に飲み込まれていく津波の映像が流れていました。

とても衝撃的でした。しかし私はその日その震災が起こり多くの人の命の火が消えている中、友達の家に遊びに行きました。当時9歳の私は日本で起こっていることとは思っていなかったし、何かあったら逃げればいいと思っていました。

しかし、大きくなった今、もしあのとき私が住む富山県も大きな災害に巻き込まれていたら、今こうして家族と普通の暮らしはできていないと思います。そして友達全員が生きていないかもしれません。たまたま、東北が襲われただけで島国の日本にはどこにでも起こりうることです。本当にたまたまなのです。しかしこのたまたまがどれだけ多くの人を傷つけたのか。悔やんでも悔やみきれません。

私は春から学校教員を目指し、大学に進みます。この3.11の日を迎え、私先生になる頃、学校に通う生徒のほとんどはあの日を知らないんだと思いました。どれだけ人が必死に伝えても、どんな映像、資料を見ても実際被害に遭われた方々の悲しみや苦しみを100%理解することはできません。
しかし私は、私ができる限りの精一杯で子供達に命の大切さ、災害の怖さ、そして自分の命の守りかたを伝えていきたいと思っています。
大切な大切なお子様を亡くされた方もたくさんいらっしゃると思います。同世代の私が生きていいのか、もっともっと生きるべき人がいたのではないかと思うことがありますが、私は災害によって命を無くされた同世代の友の分まで、未来に3.11、友が一生懸命頑張ったことを伝えたいと思います。
大きな被害を経験していない私がこんなことを発信していいのかとも思いますが、微力ながらわたしにも何かしたいと思い投稿しました。




私は絶対に3.11この日を忘れません。
今小さなお子様がおられるみなさま。
わたしは当時震度3の地震の中、どうすることもできませんでした。地震だと言われたら身を守ることは理解できます。しかし、先生がいない下校途中。テレビなどの情報機器がない状況下で、サイレンの音、揺れで身を守る判断はできませんでした。子供だった私にとってサイレンの音は消防車の音にも聞こえるし、屋外での地震の揺れは、強い風が吹いたときくらいにしか感じませんでした。

どうか家の中にいるときだけでなく、1人でいるときいろんな状況での避難の仕方、集合場所を話してください。

東北の子供達の中には、1人で震災に巻き込まれ、どうしたら良いかわからず親など家族を求める中で波に巻き込まれた子もたくさんいると思います。私たち子供にとってやはり親は1番です。大好きで大好きで絶対に亡くしたくない存在です。その中で勇気を出して、集合場所に行けばお父さんお母さんが待っている、と決断し避難できるようにお話ししてあげてください。

もしもはいつなのか誰もわかりません。でも3.11はたくさんの教訓を教えてくれました。少なくともすぐに判断し避難することは、小さな子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで万人にとって大切なことです。
あの日生きたくても生きれなかった命のためにも今ある命を大切に過ごしたいと思います。
#ありがとう