12月1日
12月2日
12月3日
12月4日
12月5日
12月6日
12月7日
12月8日 通院。
12月9日
12月10日
12月11日
12月12日
12月13日
12月14日
12月15日
12月16日
12月17日
12月18日
12月19日
12月20日
12月21日
12月22日 通院。
12月23日 忘年会に行った。
12月24日
12月25日
12月26日
12月27日
12月28日
12月29日 正月に備え通院。
12月30日
12月31日


○11月で主治医は転勤され、新しい主治医はニュージーランド人。丁寧で、親切で、患者の話をよく聞いてくださる先生で、すぐ気に入った。


○12月は余り特記事項なし。家でパソコンをしたり、カラオケで歌を練習したり普通の生活ができていた。仕事も一週間に数時間こなせるまでになっていた。


○日が経つにつれ微熱も平熱に変わり、2週間に1回の通院で水を抜いてもらっていた。


○左肩の亜脱臼のため何度か近所のクリニックにかよったが、神経ブロックの注射だけで効果がなくやめてしまった。


○その後、スポーツトレーナーに往診に来てもらい、腕の痛みは随分和らいだ。


○12月下旬は眠気が取れなかった。よく昼寝をした。

11月1日 MRI。放射線リニアック#19。
11月2日 MRIの結果、腫瘍は大きくなっていない事が判明。放射線リニアック#20
11月3日 歯医者に行く。噛み合わせチェック。
11月4日 放射線リニアック#21。
11月5日 外泊(一泊帰宅)。
11月6日
11月7日 放射線リニアック#22。
11月8日 放射線リニアック#23。左肩のレントゲンを撮る。
11月9日 放射線リニアック#24。
11月10日 放射線リニアック#25。
11月11日 放射線リニアック#26。
11月12日 外泊(一泊帰宅)
11月13日 
11月14日 放射線リニアック#27。
11月15日 放射線リニアック#28。
11月16日 放射線リニアック#29。
11月17日 放射線リニアック#30。MRI。
11月18日 10:00退院
11月19日 
11月20日 
11月21日 
11月22日 
11月23日 
11月24日 通院。
11月25日 
11月26日 
11月27日 
11月28日 
11月29日 
11月30日 


○11月1日に麻痺側の左腕をMRIの細いベッドから落とした。その後も麻痺があるため上手く扱えず、結局、亜脱臼を起こしてしまった。これに後々まで苦しめられた。


○放射線の影響か、入院中も退院してからも37度台の微熱が続いた。熱のため退院後も元気が出なくて落ち込んでいた。


○退院を控えて歩行練習は頑張っていた。右腕を支えると100Mくらい歩けた。退院後も家で毎日訓練した。


○退院後は通院の度に水を抜いて貰った。毎回10~15cc溜まっていた。

10月1日 外泊不許可(3日のオンマエ手術に備える)。
10月2日
10月3日 オンマエ手術(3:00~4:45)。
10月4日
10月5日
10月6日
10月7日 水を抜いた(20cc)。この結果で放射線再開を決めるMRI。
10月8日 外泊(一泊帰宅)
10月9日
10月10日 外出(帰宅)。
10月11日 抜糸。
10月12日 
10月13日 
10月14日 CT、来週より放射線再開決定。
10月15日 外泊(一泊帰宅)。
10月16日 
10月17日 
10月18日 
10月19日 
10月20日 放射線リニアック#11。
10月21日 放射線リニアック#12。水を抜いた(15cc)。慶応義塾大学病院にセカンドオピニオンを訊きに行く。
10月22日 外泊(一泊帰宅)。
10月23日 
10月24日 放射線リニアック#13。
10月25日 放射線リニアック#14。
10月26日 放射線リニアック#15。
10月27日 第三回カテーテルによる抗癌剤(ニドラン)治療。放射線リニアック#16。
10月28日 放射線リニアック#17。
10月29日 外泊(一泊帰宅)。
10月30日 
10月31日 放射線リニアック#18。


○水を抜いてもらって、脚は大分動かせるようになった。平行棒を使って歩けた。手は腕、肘は動かせるようになったが、手首から先は余り動かない。余り一生懸命リハビリをすると疲れて脳が痛くなる。


○以後定期的に注射器で水を抜いて貰っていた。水を抜くたびに麻痺が軽くなったが、1~2週間でまた溜まった。


○いつの間にか味覚障害がなくなり、食欲も出てきた。


○7日のMRIの結果、腫瘍は大きくなっていない。


○外泊の送迎の車がない時は車椅子でJRを利用した。かなり緊張したらしい。

9月1日
9月2日
9月3日
9月4日
9月5日 放射線科で放射線を当てるときに被るお面のようなものを作る。
9月6日 
9月7日
9月8日 第一回カテーテルによる抗癌剤(ニドラン)投与。
9月9日
9月10日 外泊(一泊帰宅)。
9月11日
9月12日
9月13日
9月14日 放射線リニアック#1開始。
9月15日 放射線リニアック#2。
9月16日 放射線リニアック#3。
9月17日 外泊(一泊帰宅)帰りに歯科に寄る。歯の炎症を診てもらい噛みあわせ調整。
9月18日
9月19日
9月20日 放射線リニアック#4。
9月21日 放射線リニアック#5。リハビリ用杖・靴購入。
9月22日 第二回カテーテルによるニドラン投与。
9月23日
9月24日 外泊(一泊帰宅)。
9月25日
9月26日 放射線リニアック#6。
9月27日 放射線リニアック#7。
9月28日 放射線リニアック#8。高額医療の手続き済み。
9月29日 放射線リニアック#9。MRI。
9月30日 放射線リニアック#10。MRIの結果、腫瘍の袋に水が溜まっていることがわかった。注射器で水が抜けるようにオンマエ手術を3日にする。東京の慶応義塾大学病院にセカンドオピニオンの紹介状を書いてもらう。


○味覚障害はまだ治らなかった。化学療法・放射線治療が始まり、副作用などもあり辛かったと思う。週末の帰宅を楽しみに一週間一週間乗り切った。毎週金曜日の朝に血液検査があり、許可が出ると喜んでいた。病院に戻る日曜日は朝から時間ばかり気にしていた。病院に戻る時間が近づいてくると「まるで牢屋に連れ戻されるようや。」と言っていた。

○放射線科は病院の地下にあり、呼ばれる時間も前もって知らされず、暗い気持ちになっていた。放射線を当てているあいだは、『腫瘍よ、木端微塵に飛んで行けっ!』って唱えていたらしい。

8月1日 9:30頃電車内で倒れ、救急車で病院に運ばれ脳腫瘍が見つかる。左半身に麻痺で歩行困難、車椅子を使用。
8月2日 麻痺側のリハビリ開始。
8月3日
8月4日
8月5日
8月6日
8月7日
8月8日
8月9日
8月10日
8月11日 成人病センターにセカンド・オピニオンを訊きに行く。
8月12日 成人病センターに転院を決め、病室の空くのを待つ。
8月13日
8月14日
8月15日
8月16日 成人病センターに転院。
8月17日
8月18日 2:30pmカテーテルによる検査
8月19日 5:00pm主治医より家族に説明がある。本人は予め聞いていたので不参加。
8月20日 尿道結石で苦しむ。不思議なことに2日で痛みがなくなった。
8月21日
8月22日
8月23日
8月24日 9:00am~定位脳手術
8月25日
8月26日 定位脳手術の結果報告。退形成性星細胞腫。神経膠腫(Glioma)の一種で悪性度(grade)はIII。
8月27日
8月28日 11:00am放射線説明
8月29日
8月30日 白血球の値が下がり9月1日のカテーテルによる抗癌剤治療は延期される。痙攣止め『エクセグラン』の副作用
8月31日


○この頃から味覚障害が出てきた。見舞いに来てくれる人それぞれに、好きな食べ物を○○○の○○○とメーカー指定で頼んでいた。しかし、何を食べても砂を噛むように味が分からなかったらしい。後に味覚障害は一番辛かったと洩らしていた。


○定位脳手術もワッカをねじで頭に固定する。手術そのものよりこのワッカは二度と付けたくないとも言っていた。


○カーテルは脚の付け根から動脈に管を入れ、脳まで届いたところで薬を流す。これはそれ程苦痛はないらしい。しかし、そのあとの3~4時間、止血するまで上を向いて寝たまま脚を動かせないのが辛かったらしい。腰痛も出たりした。

以後のページは母が毎日つけていたノートから抜粋した父の一年間の脳腫瘍の経過です。


本日、昼12時過ぎごろ父が亡くなりました。

東京からもどって15分ぐらいで息を引き取りました。


27日、19時~通夜。

28日、12時~葬儀を行います。


にぎやかなのを好む父だったのでお立ち寄りができる方はお待ちしております。


場所は大阪北 玉泉院 06-6353-0066となります。



再びピース君の息子です。


本人が入院している以上、代筆は私か母が行わなければならず、
グッドニュースがゼロでは更新しづらいので母と悩んでいました。


今月は大阪に帰れてないので、この一ヶ月の母から聞いたことをまとめてみました。


5月以降の展開ですが、テモダールはあまり効き目がなく本人が苦しんだだけで終わったらしいので止めました。


テモダールと吐き気止めとかを胃に流し込むらしいのですが、本人は食べれないので食事とかもそうですが、鼻からチューブを胃まで通してそれで食事やら薬を与えていたようです。

ただそれが本人には不快らしく、意識がほとんどない状態でも、手で引っ張って鼻チューブを外してしまうらしく、両手をベッドにくくり付けられていたようです。


そういった処置を母が非常に嫌がり、無理に苦しんだりいやな思いをさせて少し延命させるくらいならのんびり過ごさせてあげたいという事になりました。


故、病院からホスピスに変わりました。


それが6月初め辺りです。


環境が変わると不思議にいままで意識不明に近い状態だった本人が

-夜中ナースコールをしたり
-電話で少し喋ったり
-果物を与えたら少し食べたり、
と信じられないような日々が数日続きました。


病院にいたころは、母が「私誰?」って聞いても「わからない」とか返答されて訳わからない状態だったのに。

最近は、本人に一番負担のない程度の点滴や薬で日々過ごしているようです。


6月初め、奇跡的に父と電話で話した時は、
「しんどいし痛いとこだらけや」と言っていました。
母曰く微熱はあるが苦しんだりはしていないとの事で、それがせめてもの救いです。


7月には一度、大阪に帰れると思いますが、それまでにもちょくちょくこちらで報告させていただきます。



皆様、父の事を心配していただいてありがとうございます。


ピース君の息子です。


ピース君は26日から近くの病院に入院しております。


本人はかなり元気がなくメールやコメントも目を通しているようですが返事は一切できていません。


メールやコメント頂いた方、ありがとうございます。


先週までは肺炎もわずらい食べ物&飲み物も一切禁止でほとんど寝てました。


今週からは食事はできるようになりましたが食欲もなくほとんど寝てる毎日です。


あまり起きていられないようで喋りかけてもよく寝てます。


とりあえずテモダールって個人輸入の薬の到着を待ちつつその処方の仕方と医師を探す毎日です。


本人が書ける状態ではないのでしばらく私が状況をみなさんにお知らせするようにします。


~~~


3月の比較的元気だったときの、コンサートでカメラマンの方が撮ってくださった写真をUPしておきます。


たくさんの写真を撮っていただきアルバムにしていただきました。


ありがとうございます。。。。生写真を写メで撮ったのであまり綺麗じゃないですが・・・


お見舞いに来れる方はぜひ来ていただいた時でも見て上げてください。