10日前に幼なじみのおばあちゃんが92歳で亡くなった。
死因は心不全。かかりつけの病院では老衰との診断でこれといった以上は見つけてもらえなかった。
様子が急変したのは亡くなる3日前の夜10時頃。
その日は朝から何も口にせず暑さも加わって見るからにかなり衰弱していた。
往診に来てもらうこともできず、点滴などの生命維持する最低限の処置さえできないでいた。
目がうつろになり、浅く速い呼吸。骨と皮だけの体で必死に息をしていた。
「救急車を呼んだ方がいいか」と幼なじみから家に連絡があり、直ぐにおばあちゃんの元に駆けつけた。
救急隊が来て救急車に運ばれたが、なかなか受け入れ先の病院が決まらず私は焦りと不安でいっぱい。幼なじみは落ち着いていて救急隊の質問にハキハキと答えていた。
ようやく受け入れが決まった病院までは一時間以上かかり、そこからMRI・MRA・CT・血液検査・その他検査が翌明け方3時までかかり、一緒に同行していた幼なじみと私の母が帰ってきたのは朝の4時。
母は3時間の睡眠でいつも通り仕事に行った。
検査結果は肺水腫、脳にも腫瘍が見つかった。他にも色々異常が出てきた。
幼なじみのM子はその日から3日間毎日面会ギリギリの時間までおばあちゃんの側についていた。
「今日は目を開けてくれなかった…」
「今日は手を握ったら握り返してくれた」
「今日は私の名前じゃなくてお母さんの名前を読んでいた…」
そして入院3日目にして、孫と娘に看取られておばあちゃんは永遠の眠りについた。
3日間、必死に懸命に生きることを頑張ったおばあちゃん。
そのおばあちゃんから一瞬たりとも目を逸らすことなく励まし続けたM子とその家族。
入院当初に決断を迫られた気管切開での延命措置。
おばあちゃんを苦しませたくないからと迷うことなく断っていた。
自宅での介護を全面的にしていたのは孫であるM子。もちろんデイケアに通ってはいたがM子も重度のヘルニアで常に痛みに襲われながらの介護。
精神的にも肉体的にも相当の負担がかかっていたにも関わらず、おばあちゃんに関して一切手を抜かない。ほんとうに献身的に看ていた。
M子曰く、「初めはね、嫌で仕方なかった。ヘルニアのせいで仕事を休むことになって
自分の体を治すどころか、痴呆の入ったおばあちゃんのお世話。冗談じゃない!
昼だろうと夜中だろうと関係なく起こしに来て睡眠は取れないし、徘徊するので常に目が離せない
神経が休まる時が全くない」と愚痴ばかりこぼしていた。
タフなメンタルの持ち主のM子もさすがに参ってしまい
(健康上の問題でM子以外におばあちゃんを介護できる家族が他にいなかった)
頭には10円玉ハゲが何十個と出来ていた。自分の体が痛くて動かない日でも、気力でおばあちゃんの
介護をする毎日。そんな孫に子どもの様に甘えるおばあちゃん。そんなおばあちゃんを段々と愛おしく思いはじめる孫。いつしか二人に間には特別な絆なのようなものができているようだった。
火葬の日、「みんなに思ってもらえておばあちゃんは幸せだよ」
「ヘルニアで辛かったけど、この体に、この病気になってこういう経験が出来て良かった。。。」
ビックリした。私と変わらない歳で、こんな風に思えるなんて……
あんた、いつからそんな大人になったんよ!?
私ならとてもこんなこと言えない。
こんなに祖母を想える孫を持てたことが何より幸せなんじゃないかと思った。
介護生活約2年。
最後の最後までM子が失わなかったもの・持ち続けていたものは、『愛情』 『努力』 『責任感』
同じような介護・看病という経験をした自分に足りなかったものが何なのか、改めて考えさせられてます。
(人間と一緒にするなって!?犬で悪かったね。大切な家族にかわりないんですけどね…)
おばあちゃん 92年間 お疲れさまでした。
M子、あんたは本当によくやった。がんばったよ。
近いうち、亡きおばあちゃんに会いにいくつもりだよ。
あ!借りっぱなしのEXILEのLIVE・DVDちゃんと返すから心配すんな――――ヽ(゜▽、゜)ノ(大うそ)
とか決して決して


