特定秘密保護法成立となりました。


今回の問題の本質は、

一言でいうと、「『知る権利』の侵害につながる」との懸念だろうと思っています。


パブリックコメントとして寄せられた9万件の意見の実に8割以上が反対で

世論調査を観ても反対意見が大多数です。

それなのに与党自民党は審議を早々に打ち切り、数にモノを言わせての強行採決。
その真意は与党自民党以外にはわかりません。


日本国憲法が保障する情報アクセス、

表現の自由を適切に守る措置がないまま法制化を急ぐべきではありません。


何にせよ、ここのところでの説明が全くなっていないから、
ターゲットの4領域を既成事実に、なし崩しに広く情報統制体制を構築してしまうのではないか、
「往年の『治安維持法』の復活か?」
と一部ジャーナリストから勘ぐられる基になったのです。


内容や範囲が不明確な「秘密」という言葉が独り歩きし国民が誤解しているなら、

与党はちゃんと誤解を解けばいい。
「4領域((ー) 防衛 (2). 外交 (3) 特定有害活動 (スパイ ) 防止 (4) テロ防止一の4分野)に限定」

「国民の公知の事項まで関知しない」と説明すれば、こんな騒ぎにはならなかったのでは・・・。


今回のことで明らかになったのは、

国家議員の横暴を食い止める合法的手段は残念ながら今はないということです。


一方で国会議員に値しないような人物に投票し、立法という絶大な権限を与えてしまったのも、

私たち国民なのです。


私たち有権者は憲法や法律について、もっと学び知る必要があります。

今後は特定秘密保護法の違憲性を問う裁判も起こせるし、

特定秘密保護法に反対する政治家を次の選挙で当選させ、

国会で特定秘密保護法を廃止させる、ということもできるはず。


私たち国民がきちんとチェックし政府を監視するんだという決意が今こそ必要なのです。


【まずは政治に関心を持ち、選挙に行くことからすべては始まります】



PEACE ACTION! in KOBE



メンバーから質問がありました。

『反原発・脱原発主張する人は必ず人権活動といいます。人権がよくわからないんですが・・・』

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私たちが考える人権と原発について結論から先に言いますと、

「原発問題」=「広義の公害問題」=「生存権もしくは環境権の侵害」=「政府の不誠実さ」

というロジックではないかと考えます。


日本国憲法では、「基本的人権」は大きく分類して5つに分類しています。

すなわち平等権、自由権、社会権、請求権、参政権、です。

このうち、社会権はさらに3つに分類されます。

生存権、教育を受ける権利、労働三権です。

今回、問題意識を持ったのは、おそらく生存権に関することでしょう。

これは憲法25条に規定されています。


●憲法25条

① すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない。

とあります。


原発問題を人権と絡めて論じる人は、その根拠をこの25条第2項、

とりわけ「公衆衛生の向上および増進」に置いていると思われます。


放射能汚染の防止および汚染地の復旧に対する政府の不作為は、

憲法で規定される生存権の侵害にあたる、こういうことではないでしょうか?


あるいは、現憲法制定後の出てきた新しい概念ですが、

基本的人権には「環境権」を含むとする立場もあります。

現憲法が制定された頃、環境問題はあまり深刻には捉えられていませんでした。

しかし高度成長期に工業化が進み、その過程で公害により住環境が脅かされるようになりました。

そこから、人間らしい環境で生活する権利である環境権が主張されるようになりました。

環境権は現憲法で規定されていませんが、過去の裁判で公害問題について争われた時、

現憲法で規定されている似たような権利が、その条文の精神を踏まえつつ類推解釈され、

判決が下されました。

環境権については13条の幸福追求権と、25条の生存権がその根拠です。


●憲法13条

すべて国民は、個人として尊重される。

生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、

立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


つまり憲法には「環境権」という言葉はないけど、

「幸福追求権」があるのならば、幸福な環境を追求する権利もある。

さらに「生存権」という人間らしい最低限度の生活を保障してもらう権利があるのなら、

人間らしい最低限度の環境も保障してもらう権利もあるということ。


というわけで、裁判ではこのような言い方で環境権が主張されてきました。

また、これを踏まえた個別法令として公害対策基本法、

そしてその発展的解消の後にできた現行の環境基本法で、

環境保全の考え方の総論が規定されています。


環境基本法は、いわば環境行政における憲法的位置づけで、

これにぶら下がる各論として大気汚染防止法、

水質汚濁防止法など約30ほどの環境法体系が形成されています。

しかし環境法体系の中には、放射能汚染に対する規定が事実上ないに等しく、

これは今後、福島原発の問題を受けて法的整備を進めて行くべきものと私たちは考えています。


しかしながら政府は、原発の制御技術を過大評価し、

放射能関連の規制法令の制定や事故の後処理に対する不熱心さ、配慮のなさ、
不誠実さが、環境権確保に対する不作為という「人権問題」とされる所以ではないかと思います。



PEACE ACTION! in KOBE


女性が教育を受ける権利を訴え、銃撃された、パキスタンの少女マララさん の
記憶はまだ新しいと思います。

その後も同国や隣国アフガニスタンで過激派による女性活動家の殺害が相次いでいます。
日々命を懸けながら女性の人権向上にとりくむ女性活動家の一人
パキスタン女性人権活動家・ルクシャンダ・ナズさんの講演会に行ってきました。

パキスタンも女性の自由がきわめて制限されおり、
婚前・婚外交渉が発覚した場合、親が決めた相手と結婚しなかったり、
DVに耐えかね離婚を申し出たり、あるいはレイプの被害を受けると
「家名を汚した」として親族が殺害<名誉殺人>することが多くあります。

また児童婚(5歳~13歳)が蔓延しており、
その結果、少女たちは、教育を受ける機会を奪われる他、健康を害され続けています。
しかも、法律すら伝統的価値観によって彼女たちを守る盾にはなっていないのが現状です。

日本では考えられないような女性への差別が、この時代においてもまだ
現実に行われている国があることを知りました。

女性への暴力は「自然」でも「避けられないもの」でもありません。
それは、歴史的・文化的につくられた価値であり基準なのです。

ルクシャンダ・ナズさんに聞いてみました。
Q:なぜそこまで女性を抑圧するのでしょうか。

何と言っても宗教的・悪しき慣習(女性に対する伝統的価値観)。
地方になればなるほど、女性は家にいるべき という伝統的価値観が強く、
そのため男性は家族を守らなければならないというプレッシャーを強く持つため
女性が伝統的価値観から少しでもはみ出た行為に対して、過激な行動にでるそうです。

Q:日本にいる私たちは何ができるのでしょうか?

ルクシャンダ・ナズさんは、日本の国、JICAの支援・援助で、
例えば、「学校を作る」となった場合、どんな学校を作っているのかを
日本の国民が知りチェックしてほしいとお話されました。

なぜならパキスタンの現状は、一般に学校を作るとなると男子学校になることが多いそうです。
(特に地方においては女子学校が破壊され、そのため学校に行くことができないそうです。)
確かに学校を建てればいいっていうものではありませんね。
日本の「箱モノ行政」と何ら変わりません。


ご自身も身の危険にさらされながら、
自由と権利を求めて闘い続けているルクシャンダ・ナズさんの講演は
本当に重く心に響きます。


日本もかつては女性の地位は低く、今から67年前までは参政権すらありませんでした。
今では、当り前にある参政権。私たちに与えられた一票はただの一票ではありません。
先人たちが、命を懸けて闘い勝ち得た一票です。 それだけの重みがあるべきものなのです。
私たちはその先人たちの思いや事実を知る必要があります。
そして選挙に行かないということは、その先人たちの努力をムダにしていることなのです。

過激派、女性活動家相次ぎ殺害=「マララさん同志」襲撃急増-パキスタン・アフガン

 

園遊会で天皇に手紙を渡したことが物議をかもしているようですが、

手紙の内容は、原発被害に関するものだったとか・・・




明治の頃、

日本初の公害と言われる足尾銅山鉱毒事件に関しての国会論戦において、

議論が堂々巡りでちっとも進展しない事態を打開するために、

時の衆議院議員、田中正造氏が明治天皇に直訴したケースはありました。



あの当時の天皇には強い権限が与えられ、今の天皇とは位置づけが全く違います。

現「象徴天皇」に直訴しても何の効果もありません。



それを知らなかったのなら

「議員になるなら憲法の基礎くらい知っておけ」と言われても仕方ありません。



天皇も困っているはずです。



どれほど「愛国の気持ちから」と言ったとしても、

国会議員の手紙ですから、


まさか「日本シリーズで巨人が勝つか楽天が勝つか」なんてことを書くわけはなく、


どう考えても国政上の話であるはずでしょう。




ならば山本太郎議員の行為はどれほど釈明しても、


「自己の政治理念の実現の為に天皇を利用しようとした」と


解釈されても仕方ありません。




国会議員という立場ならもっと違う形で原発の実情を訴える事ができるはず。




政治家の言動は、決して100%ではありませんが「ある程度」


その国の国民の意識を反映していると考えます。



今回の神戸市長選挙の話とも一部重なりますが、

投票率35%と有権者の関心の低さも、一種の不見識さの現れです。




その現象自体についてあれこれ論じるのは簡単ですが、

なぜそのような「有権者の不見識、無関心が生じるのか?」


これは日本の民主政治の質的レベルの維持を考える上で大切な観点だと思います。


このあたりの構造を正しく捉えることこそ、私たちPEACE ACTION!の活動だと考えます。




PEACE ACTION! in KOBE