正直なところな

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斉藤一人さん斉藤一人知らないと損する不思議な話PHPより転載。
昔話で、大金持ちの子どもが迷子になった、っていうのがあってさ。
その子どもが乞食になって帰ってきてボロボロの服を着てた。
それ、ちっちゃいときに着せた服を、まだ着てたんだよね。
ところが実は、その人の着てた服の襟元に、一つの国が買えるぐらいの宝物を隠し入れていたんだよ。
その人は他からもがあるということを知らないで、乞食して歩いてた。
そういう話があるんだけれど、この話には、実は深い意味がある。
オレたち人間は、一人ひとり、とんでもない才能があるんだけど、みんなはそのことを知らないで生きているということのたとえ話で、一生懸命、あなたたちは垂フ子なんだよって、教えてるんだよね。
それで、私は愛と光と忍耐ですと言うのも、実は私は垂ナすと言うことなの。
オレたち人間は、天にいる吹Aいわゆる大霊という、大きい霊の愛と光を分けてもらってる。
それを分霊わけみたまと言うんだけど。
分霊をもらってるオレたちは垂フ子なんだけど、わかりづらいよな。
オタマジャクシだって、蛙の子は蛙なんだけど、蛙の格好をしてないから、わかりづらいのと同じでさ笑。
たいがいの人は、自分を垂フ子だとは知らないで、自分はつまんない人間だとかさ、自分で自分を低く見てるんだよね。
それが自分だと思ってる。
私はこういう人間だから、こういうことが起きると、こういうふうに応える、とかって思ってるんだけど。
自分の判断って、自分が判断し愛人生活てると思っていることのほんの数しか自分の判断ではないんだよね。
大半は、親から教わった習慣だったり、先祖代々、そこのウチに伝わってるような何かだったり、世間の意見だったり、なんだよ。
ところが、私は愛と光と忍耐ですと言っていると、自然と、正しい判断ができるようになってくる。
目の前に起きた問題に対して、自分は愛と光として答えを出そうと思った、そのときにはもう、その人は垂ニしてふるまってる。
自分では気がつかなくても、垂ニ同じ判断基準になってるんだよね。
だから、こずえさんが自分に自信をもって、毅然とした態度を取れるようになったら、相手が変わっちゃった、っていうのは、彼女が垂フ基準でものを考えるから。
そうすると、高みから見られるんだよ。
垂ニ同じ基準になった人ってさ、相当、高いからね。
それから、そのとき、人はものすごく強い波動を出すんだよ。
その波動で、相手が変わったんだ。