スペインのガリシア州にある州都で

キリスト教3大巡礼地のひとつ

 

サンディアゴ・デ・コンポステーラ

 

 

星の導きで発見された

キリスト12弟子のひとりである

聖ヤコブの墓の周りに

 

 

 

サンディアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が

建てられました

 

 

1075年

レオン王国およびカスティーリャ王国の王

アルフォンソ6世の治世下に

 

 

 

大司教ディエゴ・ペラエスの指示で

建築を開始しました

 

 

 

12世紀に彫刻家マテオが作ったのが

聖堂正面の「栄光の門」

 

 

真ん中に柱があるんですね

面白い

 

 

 

その柱の上にいるのがキリストで

そのほかに200体の聖人の像が

彫られているそうです

 

 

 

門のお土産があるそうですよ

👇

 

栄光の門をくぐると

「聖ヤコブの柱」というのがあって

右手に巻物、左手に杖を持った

聖ヤコブがいて

 

 

 

巡礼者はこの柱に手をつき

祈りを捧げてから内陣に入る、

ということから

 

柱には5本指の跡のくぼみが

ついちゃってるそうです

 

 

 

ちなみにこの柱の裏には

「こぶのある聖人」の像があって

 

 

 

こぶに頭をつけると

記憶力と知力がを授かると

言われてるそうです

 

 

 

 

同じくマテオが作った

スペインバロック様式の主祭壇

 

 

すごっ‼

写真だけでもざわっと鳥肌立っちゃう!

本物見たら、動けなくなりそう~

 

 

 

彫刻家マテオについて調べたのですが

出てこなかった…

 

 

15世紀にイタリアに

マッテオという彫刻家はいたそうです

 

 

 

主祭壇裏側の階段を上ると

聖ヤコブ像のマントに触れるそうで

口づけするのが巡礼者の習慣だそうです

 

 

 

主祭壇左横の階段を下りて地下祭室に入ると

祠の中に銀製の棺桶に収められた

聖ヤコブの遺骸があるそうです

 

 

 

そこがまさに

聖ヤコブの墓が発見された場所だったとか…!

 

 

もうこんな所いったら

感激すぎて倒れちゃいます…

 

 

 

 

現在の大聖堂は

12~13世紀にかけて

ロマネスク様式で建造されたものだそうです

 

 

ラテン十字の平面様式に

三身廊の建物で

 

 

 

その後多くの拡張工事で

ロマネスク、ゴシック、バロック

プラテレスコ、新古典様式など

 

様々な建築様式が融合されていきました

 

👆

ラテン十字の様式が

良く分かるショットですね~!

 

 

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂

の写真を見た時

 

 

 

ロマネスク的でありゴシック的であり

バロック的でもある不思議な感じがしましたが

こういうわけだったんですね

 

 

 

調べてみると

あちこち修復中のことも多く

主祭壇や

ファサードも修復中のこともあったとか

👇

 

調べていて見つけたのですが

大聖堂では1年に12回ほど

 

 

天井から吊り下げた香炉を

振り子のように振る

ボタフメイロという儀式があるそうです

 

 

 

ただ、それも

修復工事中で行われていないとか…

 

 

 

修復中なこともありますが

さすがに3大巡礼地だけあって

 

いつでも観光客がいっぱいで

朝早くても並んで行列しながら

見学するような状況のようです

 

 

 

でも行ってみたいー!

 

 

 

 

ちょっと忙しくて

 

半年以上も

書いてませんでしたあせる

 

 

 

 

サンディアゴ・デ・コンポステーラ

 

って

聞いたことありますか?

 

 

 

サンディアゴ・デ・コンポステーラ

というのは

 

 

 

バチカン、エルサレムと並ぶ

キリスト教徒の

3大巡礼地

 

 

 

スペインの北西部

ガリシア州の州都のことです

 

 

「サンディアゴ」は

「サン・ディアゴ」

 

 

スペイン語で

聖ヤコブのこと

 

 

 

ちなみにフランス語では

「サン・ジャック」

 

 

 

「コンポステーラ」は

「星降る野原」の意味

 

 

 

サンディアゴ・デ・コンポステーラは

「星降る野原の聖ヤコブ」

という意味になります

 

 

 

聖ヤコブというのは

 

新約聖書に登場する

イエスの使徒のひとりで

 

同じ使徒であるヨハネの兄弟

 

 

父親のゼベダイとヨハネと一緒に

ガリラヤ湖畔の漁船で

 

 

網の手入れをしてた時に

イエスに呼ばれて

 

 

そのまま兄弟ふたりで

弟子になりました

 

 

 

イエスの使徒の中にもうひとり

「ヤコブ」がいるので

区別して

 

 

 

「大ヤコブ」あるいは

「ゼベダイの子ヤコブ」

と呼ばれてます

 

 

(もう一人のヤコブは

 「小ヤコブ」あるいは

 「アルファイの子ヤコブ」)

 

 

 

「使徒行伝」によると、ヤコブは

ヘロデ・アグリッパ1世に捕らえられ

44年ころ殉教したとされてます

 

👆サンディアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

 

 

 

9世紀に

ヤコブの遺体とされるものの墓が

この地で発見された、とされてます

 

 

 

当時は、

キリスト教徒がイスラム教徒から

イベリア半島を奪い返すための

レコンキスタの真っただ中

 

 

 

聖ヤコブの遺体とされるものは

キリスト教勢力を守護するシンボルとして

熱狂的に崇拝されました

 

 

 

これにより聖ヤコブは

スペインの守護聖人となったそうです

 

 

 

ローマのアグリッパによって

殺されたヤコブの遺体が

 

 

 

どうしてスペインで発見されたか?

というと

 

 

 

キリストの復活のように

ヤコブの復活を恐れた王が

その地への埋葬を許さなかった

 

 

 

あるいは

 

ヤコブの7人の弟子たちが

ユダヤ人たちを恐れて

その地に墓を作れなかった

 

などの理由があって

 

ピストイア大聖堂 銀の祭壇「ヤコブの殉教」

 

 

 

弟子たちがヤコブの遺体を

スペインに運んだ

と言われてます

 

 

 

どうしてスペインに運んだか?

っていうと

 

 

 

ヤコブが生前

スペインに布教しに来た

という物語があるからだそうです

 

 

 

コンポステーラ

「星降る野原」の名前は

 

 

 

ある修道士が

星の導きにより

森の中にある墓の場所を

知らされた

 

 

 

というヤコブの墓を発見した

出来事に由来してます

 

 

9世紀以降、盛んだった

サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼は

 

 

 

ペストや戦乱、巡礼の世俗化

キリスト教内部分裂、

宗教革命後の巡礼や聖人崇拝の禁止

 

などにより下火になりました

 

 

 

さらに16世紀後半に

イングランドとの戦いに敗れたスペインでは

 

 

 

教会が、

イングランド海軍の略奪を恐れ

 

 

 

聖ヤコブの遺骸を隠したものの

その場所を失念してしまい

 

 

 

巡礼の対象物を失くしたことで

サンディアゴ巡礼の人気は

地に落ちてしまいました

 

 

 

しかし、19世紀後半に

サンディアゴ教会の祭壇下から

聖ヤコブの遺骸が発見

 

 

 

時の法王レオ13世が、

正式に聖遺物と認めたことで

サンディアゴ巡礼が復活しましたクラッカー

 

 

サンディアゴ巡礼者は

毎年30万人以上にもなり

 

 

 

ガリシア州政府は

観光の目玉としているそうです

 
 

綺麗~✨

行ってみたい~💕

 

 

 

 

福音は「良い知らせ」

 

 

Name Theologyは途中なんですが

いきなり新約聖書について

 

書きたくなってしまいました

 

 

私もそんなに読みこんでるわけではないので

 

今まで新約聖書については

 

あまり触れてきませんでした💦

 

 

 

けど、イエスのエピソードなどは

 

興味深いものが沢山ありますので

 

そういったことについても

 

書いていこうと思います音譜

 

 

 

まずは新約聖書福音書からです

 

 

 

📙 新約聖書って何? 📙

 

 

新約聖書は、4つの福音書から始まっていて

 

時代的に言えば

 

イエス以降のことについて書かれてます

 

 

 

聖書についてはこちらをどうぞ👇

 

 

 

 

聖書は、いろんな書物が合わさって

 

成り立っているので

 

宗派の違いとかで内容が少し

 

内容が違ったりします

 

 

 

 

新約聖書の項目はこんな感じです

 

・マタイによる福音書

・マルコによる福音書

・ルカによる福音書

・ヨハネによる福音書

・使徒言行録

・ローマの信徒への手紙

・コリントの信徒への手紙

・ガラテヤの信徒への手紙

・エフェソの信徒への手紙

・フィリピの信徒への手紙

・テサロニケの信徒への手紙

・テモテへの手紙

・テトスへの手紙

・フィレモンへの手紙

・ヘブライ人への手紙

・ヤコブの手紙

・ペトロの手紙

・ヨハネの手紙

・ユダの手紙

・ヨハネの黙示録

 

 

 

📚 福音 

 

福音書は、エヴァンゲリオンという名で

 

知られていますよね

 

 

 

福音という意味のエヴァンゲリオンは

 

古代ギリシア語がもと

 

 

 

「良い(eu)」「知らせ(angelion)」

 

「良い知らせ」という意味で

 

 

 

 

もともとは「喜ばしいことを伝える手紙」

 

などのことを指していました

 

 

イエスの死後、弟子たちは

 

イエスのメッセージを伝えるために

 

布教を始めました

 

 

 

そのことを、弟子たちが

 

「良い知らせ」と呼んだのだそうです

 

 

 

 

4つの福音書を読むと

 

イエスの言行録のように感じられますが

 

 

 

イエスの死と復活こそが

 

福音、つまり「良い知らせ」であることを

 

語ることが目的となっているそうです

 

 

 

 

死と復活…つまり、救世主、救いですね

 

 

 

 

📚文学としての福音・福音書

 

 

救いを示す「福音」「福音書」という言葉が

 

現代のように、

 

特定の文学ジャンルを指すようになったのは

 

2世紀ころのことだったそうです

 

 

現在では「福音」「福音書」と聞くと

 

一般的には「聖書の中の書物のひとつ」

 

だと思う人が多いですもんね

 

 

 

「良い知らせ」「救い」と思う人は

 

あまりいないと思います

 

 

 

2世紀ころにすでに「福音書」は

 

宗教としての意味だけでなく

 

文学としての地位も確立してたってことですね

 

 

 

📚 4つの福音書

 

 

イエスの死後、「福音」のために

 

沢山の「福音書」が書かれた中で

 

 

 

正式に正典とされたのは

 

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの

 

4つの福音書だけでした

 

 

宗派によっては外典とされてるものや

 

1つの福音書しか認めないところも

 

あるらしいです

 

 

 

4つの福音書が特別だと主張したのが

 

最初期のキリスト教神学者だった

 

エイレナイオスという人

 

 

 

130年ころ~202年まで

 

生きた人らしいです

 

 

 

彼は、四という数字が

 

四方位を表す重要な数字だったり

 

 

 

聖書の「エゼキエル書」には

 

四つの生き物が出てきたりすることから

 

 

 

この4つの福音書こそが四つの柱であり

 

「四つ以上でも以下でもない」と

 

主張しました

 

 

 

📚4福音記者のシンボル

 

エゼキエル書というのは

 

旧約聖書のなかの書物のひとつで

 

 

 

イザヤ書、エレミア書とともに

 

四大預言書のひとつとされてます

 

預言者エゼキエルに因んだ書物らしいです

 

 

そこに出てくる四つの生き物

 

についての記述がこちらです👇

 

 

その中から四つの生き物の形が出てきた

 

…彼らは人の姿をもっていた

 

 

おのおの四つの顔をもち

 

またそのおのおのに四つの翼があった

 

 

この四つの者はみな顔と翼をもち

 

翼は互いに連なり、行く時は回らずに

 

おのおの顔の向かうところにまっすぐに進んだ

 

 

顔の形は、おのおのその前方に

 

人の顔をもっていた

 

四つの者は右のほうに、獅子の顔をもち

 

四つの者は左の方にの顔をもち

 

また四つの者は後ろの方にの顔をもっていた

 

 

 

記述はもっと詳しく書いてありますが

 

読んでいるとセラフィムなどの

 

天使の姿かたちとイメージが被りました

 

 

 

写真にもあるように四つの生き物とは

 

人、獅子、牛、鷲です

 

 

 

エイレナイオスは、この4つを

 

福音書4つを聖典にするべき由縁と

 

説いたんですね

 

 

 

この4つの生き物は4福音記者を

 

象徴するものとして扱われてます

 

 

 

 

 

マルコは、翼を持ったライオン

 

キリストの、王としての威厳を伝えたから

👇

 

 

マタイは、翼を持った人(天使)

 

キリストの系図をたどって

 

キリストの人間性を強調したから

👇

 

 

 

ルカは、翼を持った雄牛

 

キリストの犠牲を強調するために

 

古代の生贄の獣になぞらえた

👇

 

 

 

ヨハネは、鷲

 

神秘を深く見通し、豊かな霊感で
 

神の言葉を記述したから

👇

 

 

 

 

ちなみに、この4つの生き物は

 

同じく新約聖書の中の書物である

 

「ヨハネの黙示録」にも登場します

 

 

 

 

西暦のこよみでは

 

「紀元前」という言い方をする時があります

 

 

 

 

これは、キリストの誕生年を基点

 

その年を「紀元」として

 

 

 

 

紀元以前を「紀元前」

 

紀元以降は、日本ではそのまま年数

 

表すことが多いです

 

 

 

 

 

「紀元前」はキリスト誕生以前なので

 

Before Christ」=「キリストの前」として

 

その省略形の「BC」で表します

 

 

 


対して「紀元後」は

 

「AD」と呼ばれていて

 

 

 

 

キリストが誕生した年を

 

Anno Domini」=「主の年」と

 

ラテン語で表したものの頭文字です

 

 

 

 

「誕生1年」「誕生2年」…

 

といったふうに

 

呼んでいることになります

 

 

西暦というのは、530年頃に

 

神学者のディオニシウス・エクシグスが

 

 

 

旧約聖書の文章から

 

キリストの誕生年を計算して出して

 

その年を基点とした年数の数え方です

 

 

 

が、その計算は間違っていた、という見方が

 

今では有力となっていてます

 

 

 

ということは、つまり

 

「紀元」はキリストの誕生年ではない

 

ということになります

 

 


では、キリストの誕生年はいつなのか?

 

というと、説はいろいろありますが

 

ひとつは「ベツレヘムの星」によるもの

 

 

 

 

旧約聖書「マタイによる福音書」では

 

キリストが誕生した時に

 

「星が輝いた」という記述があり

 

 

 

この星が「ベツレヘムの星」と呼ばれていて

 

土星と木星の異常接近によって

 

星が明るく見えたもの、とされています

 

 

 

 

土星と木星の接近は非常に稀で

 

紀元前7年9月15日にあったそうです

 

 

 

 

一方、星が明るく見えたのは

 

木星と金星が重なり合った

 

紀元前2年6月17日だという説もあるそうです

 

 

あるいは、キリストが生まれた時に行われた

 

大規模な住民調査登録が

 

西暦4年に行われたものであり

 

 

 

そのことから西暦4年が

 

キリストの誕生年とも言われています

 

 

 

また、この時代、ローマ統治下の

 

ユダヤ王国の王であったヘロデ王

 

救世主の誕生を恐れ

 

 

 

星の出現によってその誕生を知ったあと

 

探し出すことができなかったので

 

2歳以下の男の子の皆殺しを命令しました

 

 

 

そのヘロデ王が亡くなったのが紀元前4年

 

その時イエスは2歳くらいだったことから

 

 

 

キリストが生まれたのは

 

紀元前6年から紀元前4年とも

 

推測されているそうです

 

 

説はいろいろありますが

 

どうやらキリストが生まれたのは

 

 

 

「紀元前」である可能性のほうが

 

高いのかもしれませんね

 

 

 

 

 

もうすぐクリスマスですね



ということで

クリスマスにまつわる聖書のお話を…

 

 

クリスマスの有名な話と言えば

聖母マリアが馬小屋でイエスを産み

 

東方から三人の賢者がやってきて

 

 

 

黄金、乳香、没薬の3つの宝を
 

贈り物として捧げた、という話ですね

 

 

 

この話は新約聖書の4つの福音書のうちの

 

「マタイによる福音書」に書かれてます

 

 

 

 

なぜマリアが馬小屋で出産したかについては

こちらの記事をどうぞ⇩

 

 

 

 

 

クリスマスがイエスの誕生日ではない

 

ということは

 

近年、知れ渡ってきているようです

 

 

 

その理由のひとつが、

 

クリスマスが冬だということです

 

 

 

ルカの福音書では

 

イエスが生まれそうな頃に

 

皇帝アウグストゥスから

 

 

 

「全領土の住民の住民登録をせよ」

 

と勅令が出ました

 

 

 

住民登録は、出身地に戻って行うので

移動が難しい冬には行われないそうです

 

 

なので、マリアがイエスを産んだのは

 

冬ではない時期ということになります

 

 

 

 

ではなぜ、12月25日が

 

キリストの誕生日とされているかというと

 

 

 

当時、ローマ帝国では、東方のペルシャから

 

太陽神ミトラを信仰するミトラ教が伝わり

 

 

 

太陽の力が1年で最も弱まるこの時期は

 

冬至を最弱として

 

 

 

これ以上弱まることはない

 

あとは栄えるばかりである

 

 

 

年に1度、冬至の時期に

 

太陽の誕生祭である「光の祭り」を

 

行っていました

 

 

ローマ帝国ではすでに、冬至の12月25日頃に

 

農耕の儀式を行う習慣があり

 

 

 

この2つの行事を合わせる形で

 

キリストの降誕祭を制定したそうです

 

 

 

キリストを光に例えて

 

「光=太陽の復活はキリストの復活」として

 

 

 

宗教間での対立を避けるだけでなく

 

キリスト教を広く民に浸透させる

 

きっかけになったそうです

 

 

「クリスマス」という言葉も

 

「Christ」は「キリスト」

 

「Mas」は「ミサ=礼拝」の意味で

 

 

 

 

「キリストの降誕を祝う礼拝」であって

 

「キリストの誕生日」というわけでは

 

ないのです汗

 

 

 

「降誕を祝う」って聞いたら

 

誕生日かな、って思っちゃいますよね

 

 

このクリスマスのように

 

もともとあった土着の慣習と

 

キリスト教の行事を合わせる

 

というやり方は



 

キリスト教を広く布教するときにも

 

民衆に受け入れられやすいということで

積極的に行われたと聞きます
 

 

 

 

あと「紀元」を表す「BC」

 

「Before Christ」つまり

 

 

 

「キリスト誕生以前」という意味

それ以降は「AD」つまり

 

「Anno Domini」=「主の年」と呼ばれて

 

 

 

キリストの誕生した年が節目に

 

なっているようなのですが…



実はキリストは、紀元の年に

 

誕生してはいないようなんですね

 

 

 

 

そのことについては

また別に書きたいと思います