きみさんの学校では、ちょこちょこ”ご家族がPCR検査を受けることになった”というご家庭がいるようです。
 その度に学校から私の携帯にお電話がきます(いや、それ意外でもちょこちょこきてるけどw)。
 そんな情報をもらったら当然ですが、「うちはそのご家庭の検査結果がでるまでお休みします」といって、きみさんをお休みさせています。

 学年が違っていても、学校という建物のどこで誰が媒介して感染源を拡大させているかは未知数。
 covid19の潜伏期間もよくわかっていない以上、厳密にいえば「PCR検査を受けます」という情報が得られた時点で、すでにそのお子さんがキャリア状態ならば学校内に感染源があると考えるのが妥当です。だから、正直きみさんがお休みしても、手遅れな可能性は高い。だとしても、学校としてはきみさんがお休みしていることは一つの安心材料かなと思っています。

 先週も自主欠席していて、ようやく週明けに学校いったきみさん。なのに、またお休みになってしまい・・・そりゃ親心としてはかわいそうだな~って思い・・・・。
 私:「よし。大学行くか。」
 きみさん「うん!!!」
 といって、お弁当つくって、ゲーム持ってww、下の子にはおもちゃも持たせて、いざ大学へ。

 現在大学も、遠隔講義などになっていて学生はほっととんどいないし、事務の人たちも在宅勤務の人がいて少ない。そのくせ、敷地は広いwww

 とりあえず、用事を先にすませて研究室へ。
 子どもたちは放牧し


 お弁当タイムをし

 

 下は体力おばけなので階段昇降しつつ散歩しつつ飲み物を買いに行き

 

 帰りはベビーカーをおす役の争奪戦を少ししつつも(きみさん敗北しすねすねモード)

 

 でも、外ではお花をみつけたりしてのびのび

 

 
ポカリ(♂)にも途中途中報告してたら「幼稚園みたいだねw」と。

 

 まぁ、公式にいざという時は大学に子どもを自由につれてきていいよ~っていうとこがあったらいいのにな~。
 きみさんを産んでからのながい付き添い入院と術前術後の感染予防で籠る生活・・・。
 正直、covid19で自粛だの籠れだの言われても、あの入院生活・術前術後生活はすでに似たようなものでした。いや、危機感という意味ではほんとうに大差ない。病原体は違ってても、常に感染のリスクにおびえて対策しているという意味では、我々の生活は変わらないのです。

 仕事も正直辞めようと何度も思いました。
 ただ、少し特殊?な仕事なので、立ち止まったら先がない。辞めたらもう本当にこの業界から去ることになると思っています。だから、ある意味必死に育児も治療も仕事もしてきました。いや、みなさんそうだと思うんです。与えられた環境の中で、何を優先して何を調整して、どうやってフォンタンまでを過ごすか。たった数年?いや、それはこの子達の命にとってかけがいがなく、同時に妻夫双方の個人のキャリアにとっても決して短い時間でもない。どれも大事で、どれもかけがいがない。それらをどう考えるか、見えない数年後のために今どう動くか。なんども悩んで、話合いながらここまできました。
 今回のcovid19の流行でも、再度考えたのは、健常者が圧倒的大多数の中で、この子が「自分はどうすべきか」をどう理解させるか、どう導いていくべきかという点です。
 「かかってもきっと軽傷だから」。基礎疾患のない子からよくこの言葉を聞きました。そう、大多数を占めいる人はそう。重症化は「運が悪い人」の話なんです。その感覚を否定するつもりはない。極めて少数の重症化する人、そしてさらに少数の重症化しやすい基礎疾患の人。少数派のために大多数が気をつけろなんて正直社会を維持する上で効率がよくない。
 社会学研究のセオリーである「大多数にとっての利益があるなら、少数派は捨象する」というのは社会機能で考えると納得できるんです。少数派にはいる自分の子どものために、社会が動くとはおもってません。だから、この子がこの子にとって都合が悪いことが多いであろう社会でどう生きていくべきか、何を考えて言動を決定し、行動するのかという、価値基準と価値判断と行動決定ができるようにこれから話して、考えさせていかないといけないんだなと思いました。

 誰だって、自分に都合が悪いことは嫌いです。でも、自分にとって都合が悪いだけなんです。