最大のヒット曲はなんといっても「かえり船」

 

駅のホームで流れていると、うつむいて聴いていた復員兵の目に涙。

 

♪波の瀬の瀬にゆられてゆれて~

月の潮路の かえり船

霞む故国よ 小島の沖じゃ

夢もわびしく よみがえる

 

捨てた未練が 未練となって

今も昔の せつなさよ

瞼あわせりゃ 瞼ににじむ

霧の波止場の 銅鑼(ドラ)の音

 

熱いなみだも 故国に着けば

うれし涙と 変わるだろう

鴎ゆくなら 男のこころ

せめてあの娘(こ)に つたえてよ

 

 

飢えとひもじさの戦地、下級兵士は最前線

バタバタ倒れてゆく戦友をしり目に

陸大や士官学校出は安全な場所にいて命令するだけ

彼らは敗色が濃くなると真っ先に本国に逃げ帰る

 

残された下部の兵隊、開拓民

着の身着のままで船に乗る

目の前に見えるのは「故国」なんですね。

 

「故郷」であって「祖国」ではないのです。

 

自分は助かったものの、死んだ故国の友の顔、顔、顔

日本人は苦しかった思い出を

せつない歌で癒したのです。

 

自分の歌声が駅のスピーカーから流れてくる。

それを聴いて人々が涙する姿をみれば

「歌手になってよかったなぁ・・・」と思わずにはいられないでしょう。

 

私は、小学生の頃、この歌を歌っている大人を何人も見てきました。

我が町では十軒に1軒は戦没者でした。

1軒で2人戦死者が出た家もあります。

 

「名誉の戦士」とおだてられ

石ころ一つ入っていた遺骨箱を開けた

母親はどんな思いだったでしょう。

 

こんなに流行っているのに、年末の紅白には

バタヤンの姿を見ることはありませんでした。

「なんで?」とは思っていました。

 

なんか放送禁止に触れているのか?と思いきや

そうではありませんでした。

あまりに売れすぎで地方巡業に明け暮れ

スケジュールが詰まっていたようです。

 

バタヤンは子ども時代に母親に死なれて極貧の生活を送っています。

一番のごちそうは、「紅しょうがのふりかけ 」とかを、ラジオ番組で話したことがあり、その時司会者は大泣きしてしまったということです。母親の棺には、思い出の紅ショウガを花のようにして納めたといいます。

 

有名になるとあっちの方も派手になりました。

4度結婚しています。

バタヤンはステージに立つと、客席に向かって「オース!」と声を掛けますね?

 

客も「オース」と答えます。

 

そういえば当時、巷では「オース」と、だれもがあいさつ代わりに使っていましたね。

 

2オクターブを維持するために毎日1時間の発声練習

歌い方も同じ。

三橋美智也のような美声ではありませんが

「遠い昔の苦労」をしのび、おもわず涙してしまう声です。

 

生前、バタヤンはこう言っていました。

「同じキーで歌うことで声に張りが出る、苦しいからとキーを下げたら歌が沈んでしまうし、歌自体が別物になる。同じキーで歌えなくなったら歌手は辞める」

 

うならず、りきまず、たんたんとしかし、全節バイブレーションを利かすとバタヤンになります。