ひとりぽっつり、息をしている。
息をしているものがここにいるということだけはよくわかる。
誰かが近くにいるという状況は
それほど特異なことでもない。
町に出れば誰かとすれ違い、
会社に行けば同じように働く人がいて、
暇があれば友人や家族に会うこともある。
生きていればひとりじゃないということは、
この目にはっきりと映る。
けれどもその目は、
ここに息をしているものを同じようにして
映すことができず、
逆に、ここにいるということをいちばんよくわかっている不確かな存在は、
そばで息をしているはずのものたちを同じようにして
感じとることができない。
要するにひとりぼっちだということだ。
それを教えてくれたのは、
他の誰でもない、
友人や家族だ。
ひとり部屋で暗い天井を見つめているのは、
実はどうってことないことで、
暖かな場所で特別な人たちのそばにいるときにふと訪れる、
ひとりぼっちという事実を突きつけられる瞬間が、
ここにいるものの輪郭だけを強く浮かびあがらせる。
他の誰もここにはいることなどできず、
ここにいるものも同じように、
他の誰にもはいっていけないのだと、
厳格な線を引かれたように、感じてしまう。
どうしようもないんだろうね。
ひとりぼっちなのは、誰だって同じ?
そんなことあるかい。
わかるわけがないだろう。
ここにいるものは所詮、ここにいるものでしかなくて、
そばにいるものではないのだから。
わけのわからないことを書くのは決まって、
酔っぱらって暇なとき。
いや決まっちゃいないが、8割方はそうだろう。
意味なんてどこにもないんですよ。
We are all alone
そう言えたなら楽だろうにね。
