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 小手鞠るいさんの作品は、これでふたつ目。
 
 まだいろいろな作者さんのものを読んでいた、3年前、初めて読んだ小手鞠るいさんの作品が、「エンキョリレンアイ」でした。
 
 それが好きになれず、もう読まないだろうと思っていた方でした。
 
 
 
 当時のレビューのアメブロ記事を、今さっき、3年振りに読み返してみました。
 
 「出逢わないほうが幸せだったのではないかと、思ってしまった」
 
 ――文末が、これでした。
 
 感動の恋愛小説なのに、「起承転結」の「転」のショックが大きくて、ヒロインと共に傷付いて、感動できませんでした。
 
 しかも、確かたった2回しか会えていなくて、会えていない間に失恋する形になって、途中、別の人との結婚や離婚を挟んで、数十年振り? くらいに再会して、ハッピーエンドという・・・。
 
 たった2回しか会っていないのにそんなに想えるものなのか? ファンタジー? と思ってしまいました。
 
 
 
 でも、今なら分かります。
 
 
 
 そう、少し前から思うようになっていて。そんなある日、作者ごちゃまぜで並べてある、返却されたばかりの本が並んでいるところにあった、たまたま目に付いたのが、「私の神様」。
 
 「神を信じることができないのであれば、せめて愛を信じなさい。神を信じることと、愛を信じることは同じことなのです」 
 
 「本当に幸せな人間とは、愛する人を心の中に棲まわせている人間です」
 
 ――過去の私のように、純愛を信じられなかった、まだそういう経験をしたことがなかった主人公に放たれた言葉が、私にとても突き刺さりました。
 
 広い意味では、たとえ「愛する人」から愛されてはいなかったり、会うことができなかったり、もういなかったり、実在しなかったり、あるいは自分だけのものにすることができないような人だったりしても、、、
 心の中にそういう存在がいて、そのおかげで生きていける人が、幸せなのでしょう。
 
 狭い意味では、人を愛する気持ちは尊いものであり、皆が皆幸せとは限らないように、そういう人に出会えているだけで奇跡のようなものなのでしょう。
 
 
 
 愛を信じるって、どういうことだろう?
 
 それはまだ、体感できていません。
 
 でも、神様はいると思います。
 
 去年の秋、「これは神様からのメッセージなのかな?」ということがあった少し後に、良い変化があって。
 
 最近またそれが起きたので、もうしばらく、愛を信じてみます。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

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