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 最初は、違う本を借りようとしていました。別の作者の、ジャンルも違う本。だけど、借りるために持って歩いていて、なんか違うと思って。
 出勤前であまり時間はなかったのですが、その本は戻し、こちらの本がなんとなくしっくりきて、借りていきました。
 辻村深月さんの書棚は、ほぼ毎回のぞくんですが、こちらを見かけても、タイトルが幼くて今までは借りようと思ったことがなかったのですが。
 
 
 そしてこの作品は、私の好きな小説のひとつになりました。
 
 
 
 
 
 この作品のテーマは、「復讐」。小学校4年生の男の子が主人公ですが、児童書ではなく、大人が読んで考えさせられるもの。
 主人公・ぼくの幼なじみの女の子が大事にしている学校のうさぎが、ある日、引きこもりの青年に、ばらばらにされてしまって。
 手足耳首、切断。なかなかにえぐい描写でした。
 その実物を目の当たりにしてしまった彼女は、強いショックを受け、何もしゃべらなくなり、不登校になってしまって。
 犯人は、器物破損の罪で、刑務所に入ることもなく。そんな青年に復讐したいと「ぼく」が思い、どう実行するのか、するとしても本当にすべきことなのか、ということを、大学教授と話し合う物語です。
 
 
 「ぼく」と大学教授は、特別な能力を持っています。
 それは、相手に言葉の呪いをかける力。
 相手に「Aをしろ。そうしなければBをすることになる」と強い声で言うと、相手はそのどちらかましなほうを本当に行動してしまう、というものです。
 例えば、「今からグラウンド100周しなさい。そうしないと、死ぬ」と言われれば、言われた人は死ぬのが嫌だから、100周し出す。「屋上から飛び降りろ。そうしないと死ぬ」と言われれば、死ぬより屋上から飛び降りるほうがましだから、言われた人は飛び降りる。結局死んでしまう。
 そうやって、使い方を誤ると、人を殺すこともできる能力。
 作中では、それは魔法みたいな特殊能力といった感じで書かれていますが、それはフィクションだから存在するというものではないと思います。
 言葉は、使い方を誤ると、人を殺すこともできる。
 それは、魔法の能力を持たない現実の私たちにも、言えることだと思います。
 
 
 
 
 
 私は、夏に、職場の同期の女の子に、復讐をしてしまった。目には目を、歯には歯を、洗脳的呪いの言葉には洗脳的呪いの言葉を。
 結果、ブログにも何度か書きましたが、「今から自殺する」と言われてしまいました。
 結局彼女のその言葉は、どうやら気を引きたくて言ったようなものだったので、死なれることもなかったし、今後自殺して死ぬこともないと彼女の母親から言われましたが。
 それでも、言葉は使い方を誤れば凶器になりますし、その復讐によって私の心が満たされたわけでもない。
 
 
 
 
 
 作中に、こんな台詞がありました。
 「相手に対して復讐するということは、相手の人生に対して責任を負うということ。自分の人生と相手の人生をつなぎ合わせるだけの覚悟がなければ、復讐なんてしてはいけない。体ごと相手の人生に飛び込み、巻き込まれる決意ができないのであれば、復讐なんてしてはいけない」
 この考え方は、復讐に対する考えの中のあくまでひとつであって、「関係のない人間だからこそ復讐できる。関わりを持ったり責任を取ったりする必要なんてない」と教授のほうは言っていました。
 どちらの考えも正しく、そしてそのどちらの考えも一回は頭の中を通り過ぎる程度の冷静さがなければ、復讐を考えるべきではないんだろうな、と感じました。
 
 
 私はどうだろう。そもそも復讐心を自覚していなかったので、冷静さは皆無だったけれど、自分が傷付けて死にたがっても放置する、ということはできるわけがなかった。
 
 
 
 
 
 また、こんな台詞もありました。
 「分かり合えない者同士は、無理に一緒にいる必要はない。関わらず、住み分ける以外に道はない。何が正しいとか正しくないかというのは、それを話すのが人間同士である以上、簡単に変化していく。何が正しという正解はない。けれど、そんな中でどうすることが自分の心に一番恥じないのか。何を一番いいと信じるのか。それだけはきちんと胸に置いておく必要がある」
 
 
 私は、それができなかった。この4年、同期ちゃんから自分の考えを押し付けられ、私の考えを否定され、自分の自己肯定感が下がり、自分にとって大切な人のことを傷付けられても、心から否定しその人のことを信じることはできなかった。
 とにかく、私が正しいと思えることこそが私にとって正しいものだと、私が自分自身を信じて貫くことができていれば、そもそも復讐心は生まれなかった。同期ちゃんの言葉に惑わされることも、心をむしばまれることも、それに対して逆恨みすることもなかったわけだから。
 
 
 どうしても、私の元来の性格として、自分の意見と相手の意見が違った場合、「相手の意見のほうが正しいのかな?」と考えてみる癖があるんです。
 それ自体は悪いことではないのだろうけど、相手が自分の考えを肯定してもらいたいがゆえに威圧的な態度を取ってきた場合、強い信念がなければ、飲み込まれてしまう。
 「体良くするために、表面上は相手を肯定するけれど、自分の内側では相手の考えを受け入れずに自分を肯定する」ということが、どうしてもできなかった。そしてたぶん、今も難しいこと。
 だからこそ、そういう人間とは、住み分けるしかないのでしょう。
 
 
 
 
 
 本当に、このタイミングでこの本と出会えて良かったです。
 
 
 
 
 

 

 

 

 

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