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 博士の愛した数式

 

 

 このタイトル、比喩かと思っていたんですが、本当に、「博士の愛した数式」でした(笑)
 
 
 数学者で、交通事故で記憶が80分しか持たないという博士と、家政婦とその息子のお話です。
 私は数学は得意というほどではなかったけれど、好きな分野であれば文系よりは成績が良かったです。学校を卒業すると、日常的に簡単な算数程度のことしかしませんが、昔から数値的なことに興味がある・重きを置いていて。
 身近なものだと、気温とか。
 カレンダーの日付けとか。
 もろもろの周期とか。
 時刻とか。
 お金とか(笑)
 お金なんて一番いいですよね。能力や努力が数値化される。
 テレビの音量とかなんかも、数値、数字で決めちゃうんですよね。
 「24」が好きですね(笑)
 
 
 で、そういった数字は、ただ量や具合を表すためだけにあるのではなく、ひとつひとつに個性があり。素数など学校時代に聞いたことがあるものから、専門的に学んでいる人にしか聞いたことがないようなものまで、様々な観点で数字を仲間分けすることができますが、博士はそれを、数字ひとりひとりの個性と捉え、そしてそのひとりひとりを愛していました。
 リアルでそういう人と対面したら、もしかしたら引いてしまうかもしれませんので、博士の愛はどこか幻想的な感じがあり、それでいて数学というかなり現実的で客観的にも証明された物事であり。そこに小説としての日本語の美しさが加わって、今までに読んだことのない感じを受けました。
 例えば、数字の「1」は「1」、「2」は「2」であって、そういう数字の集まりによって、主観的ではない、誰がどう見ても平等に扱うことのできる表現ができます。
 でも、日本語は違う。
 ひとつの文章をどう受けるのかは、人によって違うし、特に小説であれば同じであることを求めていない。
 誰がどう捉えても同じであるはずのものを、その人独自の解釈で美点を表現すると、よりいっそう、愛情が際立つように感じました。
 
 
 計算式が最低限ですっきりしているから美しい、みたいなのはちょっと分かるけど、数学そのものに対する美しさ、魅力は、私は分からなくて。文系の大学出身の私と博士とでは、全く真逆の分野を勉強してきたと言っても過言ではありませんが。
 その真逆のものが、小説という形で一緒になる。
 後の解説文では、「数学と文学を結婚させた」と書いてありますが、まさにそのとおりだと思いました。
 
 

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※この記事は、ヤフーブログで1月11日に更新した記事を、加筆修正したものです。

 

 

 

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