初更新である。


前回の日記では私がゲイ・同性愛者であること、

お付き合いをしている彼氏がいることを述べた。


一応、公に出しているものであるということで、

自分に関する情報も少しはひけらかしていかにゃならんという

個人的な意識である。



今回もまた彼氏のMacで更新なのだが、キーボードの感度が

こんなに悪くて良いものだろうか??

とても使い勝手が悪い。



まぁ、それは良いとして、そもそも記録をつけたいという私の

ごくごく個人的な目的であるが、同性愛の恋愛ということに

いまいちどのようにこの先向き合っていけば良いのか、

自分なりの考えをまとめておく必要があると感じているからだ。


この先、結婚もない、子供もない。

あるのは結局自分の身と相方の身のみ。

形式的、外観的にはこれ以上代わり映えがしないわけである。

では何を求めたらよいのだろう。


精神的な成長、それだけではなんとなく自分勝手な生き方に

奔走しているような気がして、どうにもこうにももどかしい。

それに、誰にだって心の成長は加齢と経験によって訪れるべき

ものなのである。


これまた私欲の現れなのかもしれないが、人間てやつは、

何かしらの生きた証しを後世にのこしていきたいという

欲があるのだろうか。私は何かを残したい。


子供は難しい立場にあるので、

何らかのものを自分のない頭から振り絞って、

精製できないものか。


某取締役の方がおっしゃったことだが、

彼女にとって「子供」とは自分の立ち上げた会社のことだと言っていた。

実際子供はないが、事実上会社を育てているのである。


私には何が残せるだろう。

私には、取り柄らしい取り柄もないが、

言葉に関しては人よりも大切にしたいという気持ちが強い気でいる。


言葉を使って形にする。

執筆活動でもしたら良いのか?

文才があるかはわからない。

己からでた表現がどこまで私の意志をつなぐものとしてはたらくのかも

不確かで、絶対にわかりえない。


村上春樹さんだっただろうか。

言葉やストーリーは、人から離れてしまえば、

その後の解釈や扱いは受け取り手の任意に委ねられるという旨の

話をどこかでしてたような。


言い得ていると思う。

組取り方はレシーバーの自由であり、

その解釈され方が多義的な方向性を含むものであれば、

受け手がさらにそのものにオリジナルな付加価値を与えられる。

作家冥利にも尽きるはずだ。

この意味では、様々な場所で作者と読み手が

肩を並べ、共同で作品を作り上げているようなものである。


いつかそんな形の生産をしてみたいと思う。



人の心を動かす人となれるよう、明日も頑張ろう。



おやすみなさい。




初ブログである。

誰も知り合いがいないから、気負わず清々書ける。

人間関係は、かくも煩わしいものかと思うのだが、

一度気にしだしたら、他を気にして仕方ない性分なので

こればかりは個人の問題か。


さて、人間関係といえばいろいろある。

例えば私には付き合っている人がいるのだが、

その彼が、今日職場で自分の陰口を叩かれたという。


彼は外見上、ひどく小心者で鈍臭い雰囲気を醸し出している。

陰口を叩かれやすいといえば、そういうタイプなのだ。

でも、一段踏み込めばわかることだが、相当な芯を持っている。

正義感も人一倍強い。ただ打たれ弱い。


今回もかなり弱ってしまっていて、

明日仕事に行くことがどうにも後ろめたそうである。


本能的にしか動かない哀れな人間は、依然として弱肉強食の

感覚でもって行動するしかないのだろうか。

馬鹿は馬鹿、阿呆は阿呆と諦めることは容易いのだが、

それはそれで、自分の無力さを露呈しているようで心苦しい。


さて一方で、昨今の人間は、同性愛についてとても寛容なように思う。

まぁ、私自身実のところ、同性愛者なのだが、

それを告げた友人は、みな理解がある。

といっても、まだまだ少数ではあるのだが、それだけでも私の肩の荷は

随分と楽だ。


これからの社会、同性婚は認められないにしても

新たな制度として、パートナーシップを制度的に結ぶことができるように

ならないものだろうか。

普段の生活では支障をきたさないが、万が一という事態には備えたいのだ。

やっとこさ四半世紀を生きたくらいで何を言うと罵られそうだが、

もしもの大震災にカンパンを備えるくらいの心構えがあっても良いじゃない。


今日で付き合って3年と10ヶ月を迎えたようです。

「まだまだ」なようで、「もう」な気もするが、

これからも平々凡々な日常を一緒に過ごせたら良いと思う。



もにさんよ、明日があんたにとって良い1日でありますように。