忙しい!笑
というわけで今から準備して被災地へ向かいます!
まだ乙(今回物資の送り先として協力してくれた渋谷のライブハウス)に行ってないので確認はしてないんですが、大量に物資が届いているみたいで。。。本当に感謝しかないです!
こんな短期間の募集にも関わらずたくさんの人達が物資を送ってくれて、一人一人の力が集まれば大きな力に成る、この事を改めて実感させられ、気がより一層引き締まりました。
今から出発しますが、随時Twitterにて近況報告していきますので是非チェックの方宜しくお願いします!
Twitterアカウント
THINK AGAIN チン→@think_again_btr
MEANING ハヤト→@EVILHAYATO
MEANING イノマン→@ino_man
です!自分は何故か画像がアップ出来ないという不具合が発生している機種らしく、たぶん画像付きのツイートが出来ないと思いますが、なるべく他のメンバーのツイートをリツイートしていくつもりなので雰囲気は伝わるはずです。
Twitterは登録してない人も見るだけなら出来るみたいなので是非見て下さい!
また帰って来たらこのブログでも事後報告していくつもりなので宜しくお願いします!
メールやコメントの返信出来てない人がいましたらごめんなさい!
追って消化していくつもりなので気長にお待ち下さい。
一先ず、渋谷乙に物資を送ってくれ、協力してくれた皆様
横須賀DELTA MARKETに物資を送ってくれた、また持ってきてくれた皆様
ライブハウスまで物資を持って来てくれた方々
物資以外にも募金で協力してくれた、竜、チマキ、タツノリ、ヨシキ、トオル、横須賀DELTA MARKET及びデルタマーケットに募金してくれた皆様、SEVENTEEN AGAiN、割愛させて頂きますがその他自分をサポートしてくれた皆様、協力の意を表してくれた皆様、THINK AGAINのライブでの募金箱に募金してくれたお客さん、本当に感謝します!
みんなの力があって自分らの活動が成り立っています。
皆様には本当に感謝、ありがとうございます!責任を持って被災地へ届けて参ります!
やばい、出なきゃ、、、それでは行って参ります!!
今回は皆様にご協力願いたく日記を書かせて頂きました!
今月の13日の夜から16日までまた東北へ救援物資支援活動の旅を敢行してきます!
と前回お伝えしましたが、詳細です!是非読んで下さい!
今回は
MEANING ハヤトくん
MEANING 川ちゃん
MEANING イノマン
反好旗 コウスケ
とワタクシの5人で行って参ります!(MEANING多いな)
今まで2回にわたって陸前高田や石巻へ物資を届けてきましたが、それの第三弾というわけで今回は冬対策グッズを募りたいと思います!
■電気毛布・電気カーペット(使ったやつでも可)
■冬用の衣類(服は新品に限ります!)
例)モコモコ靴下、ヒートテック(すげー重宝されるそうです)、スウェット(ヤンキー風なのでも可)等
■毛布(新品でお願いします)
■離乳食(食べかけじゃなければ…)
てな感じでこれから東京に居る僕らでさえキツい冬がやってきます。
気候の異常現象も多々見られた今年はどんな冬に成るのかも予想がつきません!被災した方々は僕らより環境の悪い中で、ただでさえダメージを受けているのに強く立ち向かっていかなければなりません。
僕ら一人一人が少しずつでも協力し合えば、大きな力になり、そしてその力はきっと被災地の方々の生活を少しかもしれないけど助けてあげられるものになります。
なにがどこまで出来るかはわかりませんし、微力なのもわかっていますがそれでもやりましょう!
変えようと思えばなんだって変えられる、同じ日本に生まれて今同じ時代に生きている人間に少しでも希望を。
送ってくれた物資は僕らが責任を持って届けます。
twitterや上記のブログに詳細もアップしていくつもりです。
なので少しでも何か感じてくれた方は是非協力して下さい!
そして肝心な送り先なんですが、
前回までは僕の自宅に直で送ってもらっていたんですが、嬉しい事に協力してくれる方々が増え、物資の量も半端じゃない数が届く様になりました。
たぶん、、、今回も自宅にしたら多分家が壊れるので以下のライブハウスが協力してくれましたのでそちらへ送って下さい!
〒150-0031
東京都渋谷区桜丘町3-3 第二岡崎ビル 5F
渋谷club乙
TEL: 03-3780-1010
■時間指定できるなら15時以降着にしてもらえるとほぼ確実に受け取ってもらえますのでよろしくお願いします。
もうこれで家が壊れる心配はないので、皆様じゃんじゃん送って下さい!
宜しくお願いします!
今月の13日の夜から16日までまた東北へ救援物資支援活動の旅を敢行してきます!
と前回お伝えしましたが、詳細です!是非読んで下さい!
今回は
MEANING ハヤトくん
MEANING 川ちゃん
MEANING イノマン
反好旗 コウスケ
とワタクシの5人で行って参ります!(MEANING多いな)
今まで2回にわたって陸前高田や石巻へ物資を届けてきましたが、それの第三弾というわけで今回は冬対策グッズを募りたいと思います!
■電気毛布・電気カーペット(使ったやつでも可)
■冬用の衣類(服は新品に限ります!)
例)モコモコ靴下、ヒートテック(すげー重宝されるそうです)、スウェット(ヤンキー風なのでも可)等
■毛布(新品でお願いします)
■離乳食(食べかけじゃなければ…)
てな感じでこれから東京に居る僕らでさえキツい冬がやってきます。
気候の異常現象も多々見られた今年はどんな冬に成るのかも予想がつきません!被災した方々は僕らより環境の悪い中で、ただでさえダメージを受けているのに強く立ち向かっていかなければなりません。
僕ら一人一人が少しずつでも協力し合えば、大きな力になり、そしてその力はきっと被災地の方々の生活を少しかもしれないけど助けてあげられるものになります。
なにがどこまで出来るかはわかりませんし、微力なのもわかっていますがそれでもやりましょう!
変えようと思えばなんだって変えられる、同じ日本に生まれて今同じ時代に生きている人間に少しでも希望を。
送ってくれた物資は僕らが責任を持って届けます。
twitterや上記のブログに詳細もアップしていくつもりです。
なので少しでも何か感じてくれた方は是非協力して下さい!
そして肝心な送り先なんですが、
前回までは僕の自宅に直で送ってもらっていたんですが、嬉しい事に協力してくれる方々が増え、物資の量も半端じゃない数が届く様になりました。
たぶん、、、今回も自宅にしたら多分家が壊れるので以下のライブハウスが協力してくれましたのでそちらへ送って下さい!
〒150-0031
東京都渋谷区桜丘町3-3 第二岡崎ビル 5F
渋谷club乙
TEL: 03-3780-1010
■時間指定できるなら15時以降着にしてもらえるとほぼ確実に受け取ってもらえますのでよろしくお願いします。
もうこれで家が壊れる心配はないので、皆様じゃんじゃん送って下さい!
宜しくお願いします!
まずはお詫びです、涙!
第二弾の救援物資の旅の記事を書いてアップしていたつもりだったのですが、全く反映されていませんでした。(というよりまた打ち直さなければいけない状態)
ですので第二弾の様子はまた時間を見つけてアップしたいと思いますので少々お待ち下さい!
ちなみに一緒に行っているMEANING隼人くんのブログ(第二弾の様子)はこちら↓
http://www.meaning666.com/blog/2011/08/-nb.html
そしてお知らせです、嬉!
2ヶ月にいっぺんのペースくらいで行きたいねと話していた被災地支援も今回はお互いのライブやレコーディング等、多忙極まりない生活だったので前回から約3ヶ月程あいてしまいましたが第三弾が決定致しました!!
今回は11/13の夜中に出発して、16日に戻ってくる予定です。
新メンバーは以下
川ちゃん (MEANING/GUITAR)
イノマン (MEANING/DRUM)
コウスケ (反好旗/VOCAL)
そしてワタクシ
チン (THINK AGAIN/DRUM)
ハヤト (MEANING/GUITAR,VOCAL)
の合計5人で行ってきます !
物資の送り先、募集する物資、など今回は今回でまた前回とは内容が変わっているので改めて近日中に発表したいと思います!
それでは皆様、協力して頂ける人も見守ってくれる人も、宜しくお願いします!!
第二弾の救援物資の旅の記事を書いてアップしていたつもりだったのですが、全く反映されていませんでした。(というよりまた打ち直さなければいけない状態)
ですので第二弾の様子はまた時間を見つけてアップしたいと思いますので少々お待ち下さい!
ちなみに一緒に行っているMEANING隼人くんのブログ(第二弾の様子)はこちら↓
http://www.meaning666.com/blog/2011/08/-nb.html
そしてお知らせです、嬉!
2ヶ月にいっぺんのペースくらいで行きたいねと話していた被災地支援も今回はお互いのライブやレコーディング等、多忙極まりない生活だったので前回から約3ヶ月程あいてしまいましたが第三弾が決定致しました!!
今回は11/13の夜中に出発して、16日に戻ってくる予定です。
新メンバーは以下
川ちゃん (MEANING/GUITAR)
イノマン (MEANING/DRUM)
コウスケ (反好旗/VOCAL)
そしてワタクシ
チン (THINK AGAIN/DRUM)
ハヤト (MEANING/GUITAR,VOCAL)
の合計5人で行ってきます !
物資の送り先、募集する物資、など今回は今回でまた前回とは内容が変わっているので改めて近日中に発表したいと思います!
それでは皆様、協力して頂ける人も見守ってくれる人も、宜しくお願いします!!
【帰路】
仮眠を取って夜中に出発する予定だったが連日の疲れが溜まっていたせいか気付いたら朝だった。出発する準備をしてお世話になったフジナミ家やおばあちゃん、周りのご近所さんに挨拶をして陸前高田を後にした。みんな「今度は物資持ってこなくていいから遊びに来てね」そう言ってくれた。「また必ず戻ってきます(物資は持っていきますけどね)」と約束して車を出した。
帰りの車で何を話しただろう。主に「第二弾」の作戦会議みたいな内容だったと思う。こう言ってしまうと語弊があるかもしれないが「燃えた」。勿論、色々な人が色々な形で支援してくれて出来た今回の旅だったから、それが不十分だったというとまた違う失礼な話になってしまうが、まだまだ足りない。出来る事はいくらでもあるし、もっともっと喜んでもらいたい、笑顔になってもらいたいと思った。本当に大きくもあり小さな一歩でしかなかったという点で僕らは次の旅の事、そして長いスパンでの未来の話を考えた。
4か月経った今でも瓦礫の6割が手つかずで残っている状態、未だに断水している地域もあるし、水道から出る水が到底飲めるものではない(飯を作ったり、湯を沸かす事にも使えない)地域もある。僕らが東京でしている生活がどんなに贅沢なものかと思い知った。僕らは自分達の出来る範囲を少し飛び出したところくらいで少しづつやっていこうと思う。東北の人達が未来に希望を持てるように。
【あとがき】
長々と書かせて頂きました、最後まで読んでくれた方ありがとうございます。
書き始めたら「あれも書かなきゃ、これも書かなきゃ」と止まらなくなってしまいこの量になってしまいました、これでもかなり省略して、簡潔にまとめたつもりではありますが笑。これを読んで何か感じてくれたら、そして少しでも行動してみよう、協力してみようという気持ちになってくれたら嬉しいです。しっかりと行動をしている人達に比べて、僕らは知識も少ないし、まだまだ何も出来ていません。でもこんなに無知で力の無い僕らでもこんなアクションが起こせるんだという事も知ってもらいたいし、みんなの何かを始める「きっかけ」になってくれたらそれ以上の事はないです。
この旅が終わった後も達成感はあったものの、無力感もそれ以上にありました。今でも苦しんでいる人はたくさんいるし、テレビや会話の中でも段々と流行りが終わったかのように触れられなくなってきていますが、被災地ではまだ何も終わっていません。これから10年先、20年先、何年かかって復興できるかわからないし、問題は山積みです。原発問題、放射能、被ばく問題、食品汚染、風評被害、国が行う形だけの復興支援、責任転嫁、情報隠蔽、遅すぎる対応、本当に考えなきゃいけない事はたくさんあります。上の世代のバンドマン達が色々と行動していたり、疑問を投げかけていたり、なんらかのアクションを起こし続けています。僕らはその二番煎じだし、知識も行動力もまだまだ劣っているけど、僕 らは僕らのやり方でやっていこうと思います。
自分達の未来は自分達で作りましょう。何もせず、ため込んだ知識だけで不平、不満を言うだけでは何も変わりません。
自分で考えて、自分で動いて、自分でアクションを起こして、自分で変えていきましょう。
同じ時代の同じ日本にいる僕らが助け合えないなんてそんな悲しい事は無い。立ち上がって、戦いましょう!
仮眠を取って夜中に出発する予定だったが連日の疲れが溜まっていたせいか気付いたら朝だった。出発する準備をしてお世話になったフジナミ家やおばあちゃん、周りのご近所さんに挨拶をして陸前高田を後にした。みんな「今度は物資持ってこなくていいから遊びに来てね」そう言ってくれた。「また必ず戻ってきます(物資は持っていきますけどね)」と約束して車を出した。
帰りの車で何を話しただろう。主に「第二弾」の作戦会議みたいな内容だったと思う。こう言ってしまうと語弊があるかもしれないが「燃えた」。勿論、色々な人が色々な形で支援してくれて出来た今回の旅だったから、それが不十分だったというとまた違う失礼な話になってしまうが、まだまだ足りない。出来る事はいくらでもあるし、もっともっと喜んでもらいたい、笑顔になってもらいたいと思った。本当に大きくもあり小さな一歩でしかなかったという点で僕らは次の旅の事、そして長いスパンでの未来の話を考えた。
4か月経った今でも瓦礫の6割が手つかずで残っている状態、未だに断水している地域もあるし、水道から出る水が到底飲めるものではない(飯を作ったり、湯を沸かす事にも使えない)地域もある。僕らが東京でしている生活がどんなに贅沢なものかと思い知った。僕らは自分達の出来る範囲を少し飛び出したところくらいで少しづつやっていこうと思う。東北の人達が未来に希望を持てるように。
【あとがき】
長々と書かせて頂きました、最後まで読んでくれた方ありがとうございます。
書き始めたら「あれも書かなきゃ、これも書かなきゃ」と止まらなくなってしまいこの量になってしまいました、これでもかなり省略して、簡潔にまとめたつもりではありますが笑。これを読んで何か感じてくれたら、そして少しでも行動してみよう、協力してみようという気持ちになってくれたら嬉しいです。しっかりと行動をしている人達に比べて、僕らは知識も少ないし、まだまだ何も出来ていません。でもこんなに無知で力の無い僕らでもこんなアクションが起こせるんだという事も知ってもらいたいし、みんなの何かを始める「きっかけ」になってくれたらそれ以上の事はないです。
この旅が終わった後も達成感はあったものの、無力感もそれ以上にありました。今でも苦しんでいる人はたくさんいるし、テレビや会話の中でも段々と流行りが終わったかのように触れられなくなってきていますが、被災地ではまだ何も終わっていません。これから10年先、20年先、何年かかって復興できるかわからないし、問題は山積みです。原発問題、放射能、被ばく問題、食品汚染、風評被害、国が行う形だけの復興支援、責任転嫁、情報隠蔽、遅すぎる対応、本当に考えなきゃいけない事はたくさんあります。上の世代のバンドマン達が色々と行動していたり、疑問を投げかけていたり、なんらかのアクションを起こし続けています。僕らはその二番煎じだし、知識も行動力もまだまだ劣っているけど、僕 らは僕らのやり方でやっていこうと思います。
自分達の未来は自分達で作りましょう。何もせず、ため込んだ知識だけで不平、不満を言うだけでは何も変わりません。
自分で考えて、自分で動いて、自分でアクションを起こして、自分で変えていきましょう。
同じ時代の同じ日本にいる僕らが助け合えないなんてそんな悲しい事は無い。立ち上がって、戦いましょう!
【3/11以来の大きな地震】
前日は飯を喰って早々と就寝していた。疲れも溜まっていたし、すぐに落ちた。

そして翌朝の早朝6時頃、大きな地震で目を覚ました。東京では喰らった事の無い尋常じゃない揺れに二人は飛び起きた。少しするとサイレンの音が鳴り響き、津波注意報が流れた。「只今地震が発生しました。津波の恐れがあるのですぐに高台の方へ避難して下さい」と。東京にいる時にニュースで頻繁に見ていた地震速報、それはこんな形で頻繁に起きている事を知った。泊めてくれたフジナミ家のおばあちゃんは「いつでも外に逃げ出せるように居間で寝ている」と話していたがこういう意味だったんだと知る。僕ら若者ですら恐怖を感じるくらいの大きな余震に子供、老人は余計そう強く思っているのだろう。
【高田保育園】
今朝の地震で1m50cmの津波が来ていた。ちなみにテレビのニュースでは「50cmの津波」と報道されていたが実際は1m50cmだった。こんな事ですら正確に報道されない日本はどうなっているんだ?この津波により海側の海面は上がり、土砂崩れなどで通行止めされていたり、堤防が決壊しているこの地では普段なら防げるはずの事さえも直撃を喰らってしまっていた。
そして昼過ぎに動けそうな状況になったので行動を開始した。この日はまず米崎小学校を訪れ、色々と話を聞いた。出来れば物資を直接配りたかったが、それは少し無理そうな雰囲気だったので諦めて物資を先生たちに預け、別の日に子供達に配ってもらう事にした。また夕方に物資を持って戻ってくる約束をして、次は高田保育園に向かった。
高田保育園に着くと先生たちに案内され、広めの部屋でお菓子やおもちゃを用意して待っていた。

(完全なる余談だが僕らが来る直前に菅野美穂が来ていたらしい、そんなニアミスがあるのかと悔しさに涙をのんだ。会いたかった。)少しすると年長さんたちがやってきた。

お菓子やおもちゃを配ると(おもちゃは全て広げて並べ、好きなのを選んでもらった)、みんな楽しそうにどれにするか迷い、決めるとそれを持って喜んで帰っていった。その後、家族が迎えに来るまで少し時間があるということで自分とハヤト、そしてフジナミの3人で子供たちと1時間くらい遊んだ。基本的に肩車しまくった笑。子供達の勢いは止まらず、ホントに降ろしては持ち上げ降ろしては持ち上げをひたすら繰り返していた。

先生が「○○くーん、お迎え来たわよー」と声をかけると一人一人帰っていく。今まで「今肩車したばっかだろ!笑」とやたら肩車にアグレッシブな子供を迎えに来たのが父でも母でもなく、おじいちゃんだったのに少し深読みをしてしまった。思い違いなのかもしれないが、これを見て「もしかすると親が亡くなってるのかもしれない、、、」そう思うとやりきれない気持ちになった。例えば、普段小さい子供と話している時、話の流れで「お父さんお母さんは○○なのー?」と大勢の人が普通に質問を投げかけるだろう。自分もきっとそうだ。しかしこういう場所では向こうからそういう話を話してくるまで話さないようにしないと、そんな何気ない会話にすら気を張っていないと子供の心を傷つけてしまう 結果になるかもしれないと知った。(幸い今回はそういったミスはなかったが。)
子供達は何も知らない、子供達には何もわからない、でも実際に親や家族がいなくなってしまったり住む家が無くなってしまったり、考えられない「現実」を押し付けられている。子供達はみんな、都内にいる子供達と見たところ変わらない表情をしている。でも実際はお昼寝の時間(保育園ではお昼寝の時間は子供達にパジャマに着替えさせてお昼寝させるという)に震災のトラウマでパジャマに着替える事が出来ない子供がたくさんいるという。安心してパジャマを着て寝る事も出来ない。しっかり受け止めて考えてもらいたい。この子達の現実を、この子達の未来を。

僕らがこの旅で次の「第二弾」から、より「子供」に的を絞ろうと考えた。
【買い出し、そして米崎小学校】
高田保育園を後にし、一度高速近くのスーパーまで買い出しに行った。先ほど訪問した米崎小学校に届ける為の物資を買い込んだ。車で片道約2時間かかるスーパー、山を2つくらい越えて行かなきゃ着かないこの場所にはたくさんのものがあった。というか全く被害を受けていない様子だった。こんなにも近くに、こんなにも普通に生活を送っている人がいるのか、と何か不思議な違和感を感じたのを覚えている。

そして予想以上に時間がかかってしまって小学校に着いたのは夜の9時くらいだったと思う。電話すると「玄関先に置いておいてください」との事だったので玄関まで物資を運んだ。東京と違い、ここでの夜の9時はもう夜中という感覚らしい。勿論街灯すらないこの被災地では当たり前なのかもしれないが。そして玄関先まで物資を運ぶと、電話に応えてくれた先生が待っててくれていた。こんな時間まで見ず知らずの奴らが物資を届けるからといった電話で待ち続けていてくれたのだ。僕らは申し訳ない気持ちにもなったが、この旅最後の場所となるこの小学校でこの先生に会えて良かったと思った。勿論物資は喜んでくれて話も少し聞けた。
この先生だけではなく、これまでに被災地で会った人達は口を揃えて「僕らはまだいい方です。もっと大変な人はいっぱいいる。子供達が一番かわいそうです。」と言っていた。子供の話は上で話したが、被災地で暮らす人達はみんな常に他人を心配して団結して暮らしている。東京ではこんな事はあり得ない。電車の乗り降りで我先にと人を蹴散らしていく人、迷惑をかえりみず自分の欲を優先する人、自分の利益のために人を蹴落とす人、利己的な社会が当たり前のように根付いている。もう一度自分の行動を考えてみよう。勿論自分も考え直したし、これからも変わっていかなきゃいけないと強く思う。もっと人は助け合って生きていかなきゃいけない。間違う事もあるし、感情で人を傷つけてしまう事も少なくない。でもその度に自分の行動を考え直してみればもっと変わっていけるハズだ。
話がそれてしまったが、最後に先生が「なぜ見ず知らずの人達が私たちにこんな事をしてくれるのですか?」と聞かれた。この言葉はこの旅で何回か言われた言葉だ。そう思わず聞いてしまうくらい見ず知らずの人が何もしていない状態だという事、これが自分が受けた印象だった。被災地の人達は一致団結しているが、他の地域の人が何もしていない現状があるのだ(勿論やっている人はたくさん知ってるし全員とは言いません)。これだけ日本中で誰もが知ってる大震災の話、1億2000万人くらいの人が生きている日本で、誰も何も感じていないのか?そう思うと「復興」は遠く感じた。

前日は飯を喰って早々と就寝していた。疲れも溜まっていたし、すぐに落ちた。

そして翌朝の早朝6時頃、大きな地震で目を覚ました。東京では喰らった事の無い尋常じゃない揺れに二人は飛び起きた。少しするとサイレンの音が鳴り響き、津波注意報が流れた。「只今地震が発生しました。津波の恐れがあるのですぐに高台の方へ避難して下さい」と。東京にいる時にニュースで頻繁に見ていた地震速報、それはこんな形で頻繁に起きている事を知った。泊めてくれたフジナミ家のおばあちゃんは「いつでも外に逃げ出せるように居間で寝ている」と話していたがこういう意味だったんだと知る。僕ら若者ですら恐怖を感じるくらいの大きな余震に子供、老人は余計そう強く思っているのだろう。
【高田保育園】
今朝の地震で1m50cmの津波が来ていた。ちなみにテレビのニュースでは「50cmの津波」と報道されていたが実際は1m50cmだった。こんな事ですら正確に報道されない日本はどうなっているんだ?この津波により海側の海面は上がり、土砂崩れなどで通行止めされていたり、堤防が決壊しているこの地では普段なら防げるはずの事さえも直撃を喰らってしまっていた。
そして昼過ぎに動けそうな状況になったので行動を開始した。この日はまず米崎小学校を訪れ、色々と話を聞いた。出来れば物資を直接配りたかったが、それは少し無理そうな雰囲気だったので諦めて物資を先生たちに預け、別の日に子供達に配ってもらう事にした。また夕方に物資を持って戻ってくる約束をして、次は高田保育園に向かった。
高田保育園に着くと先生たちに案内され、広めの部屋でお菓子やおもちゃを用意して待っていた。

(完全なる余談だが僕らが来る直前に菅野美穂が来ていたらしい、そんなニアミスがあるのかと悔しさに涙をのんだ。会いたかった。)少しすると年長さんたちがやってきた。

お菓子やおもちゃを配ると(おもちゃは全て広げて並べ、好きなのを選んでもらった)、みんな楽しそうにどれにするか迷い、決めるとそれを持って喜んで帰っていった。その後、家族が迎えに来るまで少し時間があるということで自分とハヤト、そしてフジナミの3人で子供たちと1時間くらい遊んだ。基本的に肩車しまくった笑。子供達の勢いは止まらず、ホントに降ろしては持ち上げ降ろしては持ち上げをひたすら繰り返していた。

先生が「○○くーん、お迎え来たわよー」と声をかけると一人一人帰っていく。今まで「今肩車したばっかだろ!笑」とやたら肩車にアグレッシブな子供を迎えに来たのが父でも母でもなく、おじいちゃんだったのに少し深読みをしてしまった。思い違いなのかもしれないが、これを見て「もしかすると親が亡くなってるのかもしれない、、、」そう思うとやりきれない気持ちになった。例えば、普段小さい子供と話している時、話の流れで「お父さんお母さんは○○なのー?」と大勢の人が普通に質問を投げかけるだろう。自分もきっとそうだ。しかしこういう場所では向こうからそういう話を話してくるまで話さないようにしないと、そんな何気ない会話にすら気を張っていないと子供の心を傷つけてしまう 結果になるかもしれないと知った。(幸い今回はそういったミスはなかったが。)
子供達は何も知らない、子供達には何もわからない、でも実際に親や家族がいなくなってしまったり住む家が無くなってしまったり、考えられない「現実」を押し付けられている。子供達はみんな、都内にいる子供達と見たところ変わらない表情をしている。でも実際はお昼寝の時間(保育園ではお昼寝の時間は子供達にパジャマに着替えさせてお昼寝させるという)に震災のトラウマでパジャマに着替える事が出来ない子供がたくさんいるという。安心してパジャマを着て寝る事も出来ない。しっかり受け止めて考えてもらいたい。この子達の現実を、この子達の未来を。

僕らがこの旅で次の「第二弾」から、より「子供」に的を絞ろうと考えた。
【買い出し、そして米崎小学校】
高田保育園を後にし、一度高速近くのスーパーまで買い出しに行った。先ほど訪問した米崎小学校に届ける為の物資を買い込んだ。車で片道約2時間かかるスーパー、山を2つくらい越えて行かなきゃ着かないこの場所にはたくさんのものがあった。というか全く被害を受けていない様子だった。こんなにも近くに、こんなにも普通に生活を送っている人がいるのか、と何か不思議な違和感を感じたのを覚えている。

そして予想以上に時間がかかってしまって小学校に着いたのは夜の9時くらいだったと思う。電話すると「玄関先に置いておいてください」との事だったので玄関まで物資を運んだ。東京と違い、ここでの夜の9時はもう夜中という感覚らしい。勿論街灯すらないこの被災地では当たり前なのかもしれないが。そして玄関先まで物資を運ぶと、電話に応えてくれた先生が待っててくれていた。こんな時間まで見ず知らずの奴らが物資を届けるからといった電話で待ち続けていてくれたのだ。僕らは申し訳ない気持ちにもなったが、この旅最後の場所となるこの小学校でこの先生に会えて良かったと思った。勿論物資は喜んでくれて話も少し聞けた。
この先生だけではなく、これまでに被災地で会った人達は口を揃えて「僕らはまだいい方です。もっと大変な人はいっぱいいる。子供達が一番かわいそうです。」と言っていた。子供の話は上で話したが、被災地で暮らす人達はみんな常に他人を心配して団結して暮らしている。東京ではこんな事はあり得ない。電車の乗り降りで我先にと人を蹴散らしていく人、迷惑をかえりみず自分の欲を優先する人、自分の利益のために人を蹴落とす人、利己的な社会が当たり前のように根付いている。もう一度自分の行動を考えてみよう。勿論自分も考え直したし、これからも変わっていかなきゃいけないと強く思う。もっと人は助け合って生きていかなきゃいけない。間違う事もあるし、感情で人を傷つけてしまう事も少なくない。でもその度に自分の行動を考え直してみればもっと変わっていけるハズだ。
話がそれてしまったが、最後に先生が「なぜ見ず知らずの人達が私たちにこんな事をしてくれるのですか?」と聞かれた。この言葉はこの旅で何回か言われた言葉だ。そう思わず聞いてしまうくらい見ず知らずの人が何もしていない状態だという事、これが自分が受けた印象だった。被災地の人達は一致団結しているが、他の地域の人が何もしていない現状があるのだ(勿論やっている人はたくさん知ってるし全員とは言いません)。これだけ日本中で誰もが知ってる大震災の話、1億2000万人くらいの人が生きている日本で、誰も何も感じていないのか?そう思うと「復興」は遠く感じた。

