公演終了からはや半月が経ちました。
すっかり春の訪れを感じられる季節になりましたね。
作品製作陣の3人がそれぞれこの公演を振り返ってその想いを綴ってくれました。それを紹介して最後のブログとさせていただきます。
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作詞 千代
公演が終わって、せっかく機会をいただいたので歌詞を書いたときの状況や感想などを書きたいと思います。私は歌詞を書く人だったんですがこの前の夏休み二ヶ月間を使って歌詞の大部分を書きました。最初は東京、緑に囲まれた寮で書いていました。夜、蝉の声を聞いたりなんかして、あー。夏休みーとか思いながら。その後は台湾に旅行に行ったりバイトしたり長崎に旅行したりして、合間を縫って書きました。ラストスパートというか、作品の最後の部分は実家で書いてて、でも実家は結構都会っていうか、道路が近くにあるからでしょうか、全然進みませんでした。そんな風に一つの作品を書きあげる場所が違ったとしても、のゆの生み出したキャラクターたちとこの作品に命を吹き込めるよう、一貫した世界観を持つことはずっと意識していました。ほんとは夏に秋田の祖父の家で書くのが一番良かったかなぁ、なんて思うんですが、今はその家を売ってしまったのでそれは不可能でした。
 
話がそれました。歌詞を書くにあたって、脚本ののゆが歌詞を書けるなら私は必要ないなと思ってもいましたが、できるなら書きたいな、と思っていて、本当はのゆは書こうと思えば書ける人だと思うんです。でも幸いなことにのゆは私にその機会をくれました。本当にありがたいことです。言い出しっぺとして作品を作るにあたって力になりたいな、と思っていましたし、ミュージカルという芸術で歌われる言葉をずっと書きたかったのです。私は文章を書くのが上手いというわけではなくて。ただ日記を書いたり、思ったことをだらだら書いたりするのが好きなだけでした。先日終わった卒業論文でも、学術的には分かりにく過ぎる文章を書いて担当教授に「友達に推敲してもらったらどう」って勧められたほどです。私の言葉は曖昧で分かりにくいんだと思います。でもそれが、会話を生み出す段になるとまた違うみたいで、話し言葉や内面を吐露する語りはすらすら出てきて、しかもありがたいことに脚本と作曲の2人もいいね、って言ってくれました。中学生の頃はミュージカルというジャンルさえ知りませんでした。でもそんななか音楽の授業でcatsのmemoryを見て、それがどれだけ私の心を打ったか分かりません。歌手が単発で歌う歌よりも、役者が物語の中で歌う歌が好きになってしまったのだと思います。ミュージカルというジャンルをはっきりと認識したのは大学に入ってからですが、大きな劇団の日本語に訳されたミュージカルを観て、私なら歌詞をこう訳すのに、別の言葉を使うのに。そんな気持ちになることが沢山ありました。きっと物語の中の会話や心情の吐露こそ、自分が書きたかった言葉だったのだと思います。観て下さった方の心に少しでも何か残せていたらとても嬉しいです。

余談ですが、卒論の推敲を一緒にしてくれた元ルームメイトが公演を見に来てくれたんですが、「千代ちゃんの言葉だった…」と言ってくれたのは、そんなにわかっちゃうものなのかなあ、と面白かったです。この公演を作詞と振り付けとで支えることができたなら何よりです。できればまた、何か書きたい、やりたいなー、なんて思いますが、できるかな〜。わかりません。最後になりますが、つたないながらも私の言葉と、皆の思いが詰まったこの作品を世界に誕生させることができて、本当に良かったです。見に来て下さった皆様、応援して下さった皆様、プロダクションのみんな、のゆと絵里、本当にありがとうございました。またお会いする日があれば。

作曲 絵里
作曲者兼、歌唱指導兼、ピアノ演奏の片山絵里です。独りよがりに聞こえるかもしれませんが、誤解を恐れずに言うなれば、今回の企画は私の夢から始まったものでした。その夢が叶ったことは筆舌に尽くしがたい喜びです。本企画の締めにあたり、今想うことを書き連ねます。少々自分語りになりますが、よろしければお付き合いください。

実は私は作曲を学んだことはありません。高校2年の冬に友人二人と共に吹奏楽曲を作ったのが一番始めです。理論も何も知らず、見よう見真似でやっていました。その根本は今も変わっていないかもしれません。多少の音楽理論は学び、多くのミュージカル作品を鑑賞する中で学んだことは計り知れませんが、最終的に自己流というところはそのままです。ですから、専門の方からすれば至らぬ点は数多くあったことと思います。しかし、こうしてこの作品を無事にお客様に届けることができ、少しでも誰かの記憶に残るものになった今、傲慢かもしれませんが私は初めて自らを「作曲家」と名乗ることができると思っています。

15歳でミュージカル鑑賞にはまってから、7年がたちます。その間、70以上の作品を観てきました。楽しみ方は人それぞれだと思いますが、私の場合特に音楽への関心が強くありました。セリフを歌で綴るというミュージカル特有の形態は、それまでいわゆる「歌」か「音楽」しか知らなかった私にとってとても魅力的でした。その中でいつからか、「自分で作曲したミュージカルを作りたい」という想いを持つようになったのは必然だったと言えると思います。

しかしこの夢は非常に多くの人の力を必要とするものでした。脚本は書いたことがないし、歌詞も書けるか分からない。また、作品を作ったとして、上演に際してはホールの予約、スケジュール調整、キャスト・スタッフ集め、稽古、集客、など山のような過程があります。今までやってきた学生演劇ではその上演までの過程だけでも大変だったのに、そもそもミュージカル作品本体を作ることにはどれだけ労力がいるのか。これを生業としているわけではなく、学生の本分である学業、さらに自身のキャストとしての集大成である卒業公演での主演が控えていた上で、全てを作曲することは可能なのか。そしてさらに、実は2年前に、オリジナルミュージカルを上演しようとして、実際に作品製作としては9割がたできたものの、諸般の事情により上演を断念したという苦い過去がありました。計り知れないタスクの重さと過去のトラウマ。これらを全て乗り越えて本作品を数百人の人に届けられたということは、いまだに夢だったのではないかとすら思います。

その全てを現実にしてくれたのは「人」でした。私ほど人の縁に恵まれた幸せ者はいないのじゃないかというくらい、素晴らしい人たちに恵まれました。やりたいことはやれば?と言ってくれた千村、その横で、じゃあ脚本を書きたい、と言ってくれ最終的には演出と企画責任者の全てを担ってくれた植田の二人をはじめとして、この企画に関わってくれた全ての人々の力が、ポーズを世界に生み出しました。この感謝をどうやって伝えたらいいか分からない。一人一人を抱きしめてお礼を言いたいくらい。その人たちのおかげで、私が生み出したメロディが口ずさまれ、公演が終わってなお誰かの記憶に一つのミュージカル作品として存在します。こんな贅沢なことってあるでしょうか。私はこの幸せを噛み締めて生きていきます。

最後に、ここまで私個人の想うことを書き綴らせていただきましたが、この作品を製作し、上演することが、私以外の誰かにとっても喜び、楽しみ、幸せとなってくれたことを誇りに思います。ここまでたどり着くのに、あまりに多くの人に計り知れないほどの迷惑をかけてしまいました。言い出しっぺは私、全ての責任は私にあります。それでも、この作品を作り上げる過程で笑顔を見せ、楽しんでくれた一人一人のメンバーを誇りに思います。そして、一つの完成した姿でお客様に観て、多少なりとも楽しんでいただけたポーズという作品を誇りに思います。誰かの人生の一瞬に、ポーズという作品が刻まれた幸せを忘れることはないでしょう。全ての方に御礼申し上げます。そして、最後まで長い独白に付き合っていただきありがとうございました。


原案 のゆ
あっという間に公演から数週間経ってしまいました(最後のブログがこんなに間が空いたのはほぼほぼ私の期末試験のせいです。私はケンと違って余裕を持って試験に行きますけどね😏)。

どうも、原案/演出の植田望裕です。自分がこの物語を考え始めた時にメモをしていたノートや、一人でるんるん描いていた劇のイメージ画を見返してみると、一人で脚本や舞台の構成を練っていた時と比べると、この作品は私の想像をはるかに超えて成長していったと感じます。そうだ、せっかく最後までブログを読んでくださったあなたにだけ特別に、そのイメージ画を一部公開しちゃいましょう!

本編をご覧になった皆様なら、どのキャラクターかもちろんわかりますよね?

全くの偶然から最高の作詞家と最高の作曲家に巡り会うことがなかったら、決して生まれなかった作品でした。インタビューでもちらっと述べましが、この物語書くにあたって最初に決めた、”ミュージカルだからこそ紡げる物語を書く”という目標は、登場人物の心のうちをがっつりと描き出すこと、という手段を持って達成させようとしたのですがはたしてどの程度成功したのでしょうか。どの程度、お客様の心に残る作品を作り上げることができたのでしょうか。脚本家というか原案を作った身としても、またプロダクションのトップというポジションに立たせて頂く演出としても、至らなかった点は多々ありました。ここはこう書いていれば、こんな演出をつければ、こうしておけば、などと公演のことを思い返すたびに考えます。

でも、こんなにも才能あふれる18のふたりの最後のICU歌劇団としての公演を文字通り一から作り上げられたこと、入学から成長を見守ってきた21たちがオーディトリアムのステージで輝く姿を見られたこと、今までも演劇を一緒にやってきたみんなと一緒に再び演劇をできたこと、初めてICU歌劇団の公演やミュージカルに関わったみんなが楽しかったと言ってくれたこと、そして沢山のお客さまから「元気が出た」「前向いて頑張ろうと思えた」「共感した」といった感想を頂けたこと、それだけでもこの公演を創って、上演した意味があったと感じます。

さて、私はオリジナルの楽しさに味をしめたので、そろそろ次の作品の構想でも練り始めようと思います。 
会場にいらっしゃった皆様、支えてくださった皆様、プロダクションメンバーのみんな、そして何より絵里と千代、ありがとうございました。公演は終わってしまいましたけれども、我々の人生も、街の人たちの人生も、まだまだ続いていきます。またどこかでお会いしましょう。
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ここまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。
このブログが、少しでも皆様に公演を楽しんでいただける糧になっていたら幸いです。