初めての投稿は母の日について。
仕事を休職してタイで生活するにあたり、仕事がない分、毎日時間を持て余すことだろうと、渡航前から渡航後にしたいことをあれこれ考えていました。
その中の一つが、文章を書くこと。
1年と数か月の時を経て、重い腰を上げて初登校します。
重い腰を上げるきっかけとなったのは母の日。
実家の母親にも贈り物をしましたが、ここで書きたいのは夫側のお母さんのこと。
お母さんは他界されており、お仏壇やお墓はなく、私自身海外在住ということもあり、折を見て手を合わせにいくということが難しい状況です。
友人の中には、ネットで注文したお花などを日本のお家に届ける人もいますが、パパさん男一人のお家にお花を送っても、逆に迷惑になりそうなので、自己満足とは承知の上で、お花を買って、自分たちの部屋に飾りました。
時々、見にいくお花売り場ですが、入った瞬間に目が合った薔薇を即決で購入。
中心に行くほど色が濃くて、花びらは多重でフリフリ。
とっても可愛い。
母の日関係なくお花を飾ったりしますが、この薔薇を見ているとなんだかお母さんのことを思い出しました。
実際にはお母さんと関われた時間はとても短く、期間にして3年程、お会いしたのも数えられるくらい。
短い間でしたが、お母さんは私によくしてくれたし、短い間なのに、私はお母さんに少し迷惑をかけてしまったと反省している点もあります。
結婚の挨拶に伺った時が初めましてで、その時、パパさんからは「良くも悪くも干渉しない」と言われたのは今でも印象に残っていて、義実家とは良くも悪くもあまり関わりがないまま過ごすのかなあなんて思っていました。
自分の家族の在り方と、義実家の家族の在り方のは違うとわかり、自分がどんな風に振る舞えばいいか少し戸惑いました。
今は亡き大叔母の「自分の親と同じように旦那さんの親を大切にしなさい」という声掛けもあり、自分の親にすることは夫の親にもさせていただいて、迷惑なようだったらやめようという結果に。
(大叔母との話もいつか書けたらいいな)
そうして、母の日、父の日は両家ともに送ろうと決めました。
夫に確認すると、そんな行事はしたことがないそうで、最初はプレゼントを受け取ってもらえなかったり、実は迷惑なんじゃないかと内心心配しながら、プレゼントを選びお渡ししていました。
でも、そんなこと考える必要なかったんだなと思わせてくれることがあって。
お母さんが亡くなった時、お別れ会で夫とパパさんが伝えてくれました。
お母さんは綺麗好きで、リビングにはあまり物を置かない人だったけど、私が送ったシャネルのハンドクリームをとても気に入ってくれて、ずっと飾っていてくれたそうです。
今思い出しても、そんなお母さんの思いに対して、私は嫁として十分だったかなとか、素直に嬉しい気持ちとか、色々と感じます。
私が一番後悔しているのは、「お母さん」と呼べなかったこと。
今思えば、どこかのタイミングで、お母さんと呼んでもいいですか?と一言聞くだけなのに、当時は聞けなかったし、どこかのタイミングがまだまだ先にあると思っていました。
具合が悪いことは知っていたけど、訃報を聞いた時には、まさか、と思いました。
お母さんはまだまだお若かったし、とっても活動的な方で、お仕事もタフにこなしていたので、より若く感じていたのかもしれません。
実は一度だけ「お母さん」と呼んでみたことがあるのです。
今でも恥ずかしかった思い出として、具体的に覚えているのですが、お母さんと夫の兄弟もいる前で、お母さんに呼びかける時に、お母さんって言ったんです。
なぜかというと、いつかお母さんと呼びたいという思いは前々からあって、今日こそは言うぞ!という意気込みでお家にお邪魔した日だったからです。
でも事前に呼称を変更するなんて話はしていないし、緊張して小さい声で言ったものですから、お母さんからえ?と聞き返されてしまい、自信をなくした私はまたいつもの呼称に戻してしまったのです。
今思えば、お母さんって私が呼ぶのを待っててくれて、嬉しい意味で、今なんて言ったの?という意味で言われた可能性もあると思える状況だったのに、聞き返されて恥ずかしい、やっぱりダメだったかもと思ってしまった自分に対してやるせない気持ちです。
外国で暮らしていると聞き返されることがたくさんあって、みんな日本人みたいに丁寧に聞き返したりしません。
ア゛?ハァ?みたいな感じで聞き返してくる。
今だったら、お母さんって絶対に呼べるのに、もう叶わないので、この気持ちはブログにて昇華させて、次に進もう。
お母さん、いつもありがとう。