話題の鬼滅の刃の映画を観てきました!


コロナ禍のステイホームで、原作は2〜3回読み返しているけれど、

改めて、アニメシリーズも一気に観てから映画館へ。


涙腺が弱いので、そこで泣く?みたいなところでも涙しながら2時間30分ちょっとをスクリーンで過ごしました。


アニメも、原作もそうですが、改めて見ると主要メンバー皆んな年下だし、

こんな若い子達が、こんなに頑張って…と胸が締め付けられます。


初期のエピソードで善逸が「享年一桁なんてあんまりだ」というようなことを言っていますが、

君たちに置き換えたって、同じだよ!!と泣いてしまいますね。


主人公達は皆それぞれに必死に一生懸命、全力で鬼殺に取り組んでいることが各場面で伝わってきます。

一方で、隊員の中にはそこまでに至らない者たちがいることも触れられています。


有一郎が言っていたように、選ばれた者しか他人に優しくすることはできないように、

選ばれた者だけしか何かに全力をかける事はできないのでしょうか。


海外へ帯同してきて、仕事がなく生活にも慣れてきた今

私は毎日を必死に生きることができていないと感じることが増えました。


何かに絶望したり、心を病んでいるわけではなく、完全な無気力とも違うけど

惰性で出勤していた頃とも違うけど

ぬるま湯に浸かったままお湯から出られない時のような

このままいてもいいんだけど、このままいても仕方がなく、次の行動に移らなくちゃならないような

そんな感覚があります。


それは何かを必死に頑張った後に、疲労から体を動かせないのとはまた違うもので。

アイデンティティロスともまた違うもので。

でもこの感覚がなんなのかは分からないのです。


将来を考える時、楽な方に逃げてはいけない、辛くても成長できると思う道を選ぶべきだと考えていました。

でも、友人はそれは履き違えていると言いました。

本気でやりたいことなら、夢中になれることなら、他人から見れば苦しくて辛いと思う状況でも、本人にとっては辛くないのだと。


私は、本気でやりたいことであっても、状況によっては、辛いものは辛いと考えますが、

やらされているのではなく、やらなくちゃいけないとか、自分の内からやろうと思えるのが違うのかなと思いました。


ここまでは理解できたけど、じゃあ、実際やりたいこと、夢中になれることって何だろう。


そもそも、毎日を必死に全力で生きることは、もっと小さなことからも出来るわけで、

今はそれすらやれていないから全力を出せていないと感じているだけなのかも。

やりたいことも、やらなくちゃいけないことも何もかもが中途半端で嫌になる。

でも、やっていないのは自分自身であって、やろうと思えばやれるのに、なぜかやっていない。

なぜやっていないのか、やらないのかが分からない。


少し前の、自分の存在意義について葛藤していた頃とはまた違う悩みです。


バンコクにはたくさんの方がいて、その分、すごいなと思える人に出会うことも多いように思います。

起業している人、発信している人、他人のためになる活動をしている人。


社会的にすごいと思うようなことでなくても、毎日家族に十分な家事労務を提供している人、

朝早く起きて自分時間を過ごしている人。


今は人生の夏休み期間だと思っているし、他人と比べて自分はダメだなんて思うような事はなく、

他人に褒められたいとか、認められて称賛されたいという気もないんだけれど

自分がやるべきことを自分はやれていない

そう強く思うのです。


でも、自分がやるべきこととか、自分がやりたいことがわからないんだよな。

心からやりたいことって、自然と夢中になるようなことで、必死に探すようなことでもない気がする一方で、

探して探して、ようやく辿り着くこともありそう。


今やりかけているけど、全力で取り組めていないことは、自分のやりたいことではないのか?

それとも、本気になるまでには時間がかかるもので、今は途中なだけなのか?


答えが出るあてもないのに、こんな二択を作っても意味はないけど

考えずにとにかく行動するのも違うなと思って

結局何もしないでずっと同じ地点から動けないでいるのかな。


人生はそれぞれその人が主役の物語だなんて言われるけれど、

何かまだもっとやるべきことがあるように思うこと自体思い上がりなのかもしれないし

本当にもっとやるべきことがあるのかもしれない。


前回、やり残したことをやり直すために生きているとしたら、

私は何をやり残したのか?

どこかで何か変えなければ、同じ結末になってしまう可能性だってある。

やり直しているっていうのは何だか腑に落ちるんだよな。


今までは割と明確なビジョンがあったんだけど、

最近は白紙の地図と睨めっこしている気分。


何かに集中できればこの気分は晴れると思う。


でも、仕事復帰のためのことをしても、

仕事に関係のない趣味をしていても

どこか中途半端な気持ちで。


それは自分が向き合えていないからなのか、

そもそも違うことをすべきなのか。


一度全力で向き合ってみればわかることなんだと思うけど、

そのとりあえずができなくて

何か、きっかけとか、起爆剤とか降ってこないかなって。

宝くじ当たんないかな〜って思う人はダメだ、みたいな何かを読んだことがあるけど、

それと同じことしてちゃダメだよな。


満たされているけれど、このままじゃいけない。


〜するべき、しなければならない、から思考を解放して

興味があることに自由に取り組み

そして極める

ただし、歩幅は小さい


理解できるけど、難しい。


イメージとしては、炭治郎達みたいに、とにかく鍛錬していく感じなんだけど、

私は戦うわけじゃないし、どうやって自分事に落とし込めばいいのか。


なんか、こう、もうしばらくしたらもう少しはっきりしそうなんだけどな。

はっきりしそうで、むしろ悩みすぎて何に悩んでいるのか分からなくなりそうな気もする。