ドアがノックされた。

「アリス、かな…」

このどす黒い曇天の中を一人で走っていったのだから、心配して来て当然かも、しれない。

それにアリスなら、僕の半分もかからないでこちらへ移動することも出来るだろう。

僕は震える膝を何とか抑えて、玄関を弱々しく開ける。

そこには―――

雨に打たれて濡れてしまっている長い髪の毛。

まつげからも雫が垂れてしまっている。

水に濡れた白いワンピースが体に張り付いて、ラインが見える。

目は伏せられていて、その瞳にはもう、希望がないことがよくわかった。

僕は、少しだけ開けて見えた彼女の姿を再確認すると、全て開けた。

すると、彼女は小さな一歩で家に入ってきて。

「ルカ、ちゃん…」

その目の端から流れているのは、涙なのか、雨なのか僕にはわからなかった。

「ア、アルマ、エルマ…」

僕の体はボロボロのはずなのに、アルマエルマを一目見た時から、機能を取り戻しつつあった。

「アルマエルマ、ずっと探してんだ、頼む、早まったりしな…」

雨で冷め切った肌が押し付けられるような感触。

視界からアルマエルマは消えていた。

変わりに視界の端に、紫色の髪が見える。

「ルカちゃん、私に、ください…」

耳元で言われたので確実だと思うが、こう僕には聞こえた。

「え、え…っと…えっ?」

「私に、ルカちゃんを、ください!!」

アルマエルマは涙交じりの声でそう言って。

こんなアルマエルマの声音は、初めて聞いた。

「私には、もうルカちゃんしか、いないから…」

きゅっと僕の腰に回された手の力が強くなる。

僕はその言葉を聞いて驚きよりも先に、安堵の方が強かった。

最悪の事態を想定していたためだと思う。

「私の何もかもをあなたにあげるから、あなたを私に、ください…」


「…うん」

当然の答えを僕は口にした。

遠まわしの言い方だけど、アルマエルマはここにいたいんだ。

だったら、思う存分いさせてあげたい。


「でも、ずぶ濡れだから、さ、お風呂入ってくれば、風邪…引いちゃ、うよ…」


そこで、僕は自分の体重を支えきれずに、アルマエルマへと預ける形になってしまった。

「あ、あれ…どうしたんだろ…」

なんだか意識が遠のいていくような、感じがした。

腕から、足から、体から力が消えていくような感覚。


「ルカちゃんっ!?」

おぼろげに見えるアルマエルマの顔。

彼女はゆっくりと額を、僕の額に押し付ける。


「あっついわ…っ!?ルカちゃん熱があるんじゃ…」

「そう、なの、か、な」


やっぱりだめだめだなぁ、僕、肝心なところで何も出来ないなんて…

その思いを最後に、プツンと真っ暗になった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

どうして気付かなかったかしら。

私は雨に濡れていて違和感がなかったけど、ルカちゃんも相当濡れてしまっている、

服もボロボロだ。

ルカちゃんは数時間前まで魔王城にいたのに、こんなところにいること自体、もう既に無理をしてしまっているのに。

「それより、早く、温かくしないとっ…」

タオルを何とか見つけて、ルカちゃんの全身を拭いて、布団へ寝かせてあげるけど、ルカちゃんはまだ苦しそうに胸を上下させていた。

心配だ、心配で心配で仕方ない、そのはずなのに。

私のことをボロボロになってまで、疲れて倒れそうになってまで、熱を出してまで探してくれるなんて。

こんなこと思っちゃいけないのはわかっていても、とても嬉しかった。

それだけで信じられる。

もう他人は信じないと、あの泉で誓ったけど。

彼だけは確かな人に思える。

…信じられる。

――――――――――――好きでいられる。


熱が下がったら、また他愛もない話したい…。


「ルカちゃん、きっと私が治してあげるから」

そう声に出して、心に誓った。

でも…。


私は人の風邪を治す方法なんて全く知らなかった。

今まで生きてきて、私は一体何をしていたんだろうと思った。

家の中を探索して、自分に何か出来ることを探してみるけど、全く思いつかないのだ。

「…」

いつも元気をくれるルカちゃんはやっぱり眠ってしまっている。

ちょっとだけ心細かったけど。

寝ているルカちゃんを眺めていると、少しだけ元気が出てくる。

この人の為に頑張ろうって思える。

「よしっ」


ルカちゃんが起きた時の為におかゆを作ってあげたい。

だから買い出し行こうと外へ出てみると、分厚い雲に覆われている黒い雲から、零れた光が見えた。

丁度、雨脚が弱まってきたところなのか、住人のおばあちゃんが出てきていた。

「あら、あなたは…」

四天王である私の顔は、知られているみたいだった。

でも、今、私は四天王なのかな…。


視線を外して。

「あの…おかゆを作りたいんです、ルカちゃんに、だから、教えて、もらいたいです…」


最後の方は何だかゴニョゴニョしてしまったけど、何とか伝わっただろうか。

そう考えて少しだけ視線を彷徨わせた後、おばあちゃんを見ると、彼女は笑っていた。

「そういうことかい。いいよ!」

気前良く、承諾してくれた。

「本当ですかっ」

ぱぁぁと嬉しさがこみ上げてくるのがわかった。

「まずは買い出しに行かないとね、ほら、こっちおいで」

「は、はい」

四天王だからといって、遠慮せずに接してくれた。

それは、私にとっても嬉しいことだった。

おばあちゃんは私の手を引いてお米を買いに行き、野菜等も購入した。

本当はルカちゃんの傍にずっといて、看病したかったけど。

それだけじゃだめだと思った。

「これで材料を大丈夫だよ、後は調理方法だけど…」

おばあちゃんはそう言うと、ルカちゃんの家へと入っていく。

この人はルカちゃんと長い知り合いなのかもしれない。

そうだ、ルカちゃんには両親がいなかったはずだし、面倒を見てくれたのはこの人だったのかも…?

台所へ立ち、材料の準備を始めるおばあちゃんの背中を見て、そんなことを思った。

私はルカちゃんの部屋の扉を開けて、様子が見れるようにする。


それからおかゆの、簡単な調理方法を丁寧に教えてくれた。

私はメモしながら、おばあちゃんが料理している姿を自分と重ねる。

ふふっ。

あぁ、こんな温かいモノ、どうして気付かなかったんだろう。

メモをしながらそんなことを考える。

今まで人と繋がることがなかった私のせいでもあるけど。

孤立してしまった私に気兼ねなく接してくれる人が、こんな近くにいるなんて…。

「ルカとはどういう関係なんだい?」

私は少しだけ体がビクッとなった。


「い、いえ、ただの友達…」

「本当かぁい?」

悪戯っぽい笑みを浮かべるおばあちゃんに、私はたじたじになってしまった。