素早い足音の直後。

お腹の方から胸にかけて、上へ向かって肉を引きちぎるような生々しい音が自分の体から聞こえる。


「僕は信じていたよ…君がそこで留まってくれ、る、魔物だって…」

背中と同じように、腹部からも大量の血液が流れて、僕はもう立っていることすらできない。

今はめり込んでいる爪に全体重を乗せてなんとか立っているようなもの。

そのせいで徐々に肉に食い込んでいく。

「君…は、誰も、信じられなかった、だから、怖かったんだろ…。でも、僕は信じてた、よ」

腹部から、腕が小刻みに震えているのがわかる。

あのドラゴン族の腕力なら、人間の胴体などすぐに真っ二つにできるはずだ。

でも、彼女はそれをしなかった。

それが唯一の救いである。

「こ、これ、が…殺すって、こと、なのか…」

ゆっくりとした動作で震えている腕を抜くと、大量の血液が吹き出す。

自身の血の塊に飛び込むように、倒れるしか、僕はできなかった。

パピー姉を見る。

目を見開き、小刻みに震える自身の体を抱いていた。

「な、何か策があるって、思ってた…私の爪なんか弾き返す、策が…」

そう思ったパピー姉の爪は、糸も容易く僕の皮膚や血管を引き裂いた。

「ルカ、ルカっ!!!」

ついに駆け寄ってきたパピーが僕の傷の手当てをしようとするも。

既に手遅れに近い。

「そんなっ!そんなぁぁっ!!」


パピーは自分の無力を嘆くかのように叫ぶ。

ドラゴン族はもともと攻撃に特化した種族だ、治癒なんて魔法が存在しないとは言えないが、普及していないこの世界では…。

もう…。

「いや、嫌だ…私、殺したのか…嘘、嘘だ…」


そうか、彼女は一人だってまだ殺したことがないんだ…。

良かった…。

意識が段々と遠のいていきそうになるのを、背中と腹部の遅れてやってきた痛みが、なんとか引き止めていたと言っても過言ではない。


「僕は君を、信じた…だか、ら、今度は、僕を信じ、て、欲しい…」

そんな言葉も届いていないのか、パピー姉は首を横に振り、口を抑えて後ろへ下がっていく。


-------------ガシッ




-------------ガシッ








そこで、鳴り響くはずのない第三者の足音が聞こえる。

僕達は揃って視線を、洞窟の入り口へ移す。

…ここにいるはずのない。



僕と共に戦ってくれた四天王の一人。



------------グランベリアが立っていた。


これはとてもまずい状況だとすぐに、勘が気づく。

もうすでに自分の意識がこの体にあるのかすら危うい。

「…これは、貴様がやったのか」

血の塊に倒れ伏している僕を見つめて、グランベリアはそう呟く。

その問いは、パピー姉にかけられたもの。

しかし、視線は僕を方をずっと向いている。

「だ、だ、め…だめ、だ、グ、ラン」

引き裂かれた内部から血液が喉まで登ってきて、吐血した。

「う、嘘だ…、私が、やったなんて、わ、私がっ…」

自分が殺める寸前まで追い込んでしまったことを再確認したのか、ガクガクと震え始める。

「そうか、それだけわかれば十分だ」


---------次の瞬間






グランベリアは既に飛び上がっていた。

そんな動作すら見せなかった。

気づいた時には剣を抜き、自身の首の後ろへ回し、両手で持つ構え。

人間では認知すらできない速度。

確実にパピー姉の首を取ろうとしている。

今まで見たことのない表情をしていた。

あれだけクールなグランベリアの目が限界まで見開かれ、その剣を振り払うだけで生物の命を掴み取るような死神のごとく。

僕は咄嗟にシルフの名前を呼んで、限界を超えた速度で二人の間に割って入る。

「なっ…」

もう、僕は自分が何で動いているのかすらわからない。

動力源すらもうすでに失っているはずなのに。

武器が何一つとない僕は、自身の体でパピー姉を守るしかなかった。


当然のように脇腹が深くえぐり取られる。


もうすでに自分が人間の形をしているのか不思議なくらいだ。

洞窟の入り口付近へ吹き飛ばされると、明け方の光が差し込んでいる。

「ルカっ!!」

「いやぁぁっ!!」

グランベリアと、パピーの悲痛な叫び声が聞こえる。

そして、またここにいるはずのない人影が…。

「……ルカっ!!」

「これはひどい…既に死んでいても不思議ではないぞっ!!」

「エルベティエちゃんはルカちゃんの体を包んでこれ以上の出血を抑えて!!」

四天王 四人の緊迫した声が聞こえた。

ど、どうして、ここに…。

あれ、僕、まだ上半身と下半身、繋がっているのか…。

もしかしたら、グランベリアが咄嗟に力を弱めてくれたのだろうか…。だったら、いいなぁ。

「人間、どうしてそこまでして…」

もうすでに、痛みすら感じない。

人が感じる痛みの限界を超えてしまっているということなのか。

それとも、痛みを司る神経がすでにやられてしまっているのか。

「大、丈夫…君が、信じてくれまで、死ぬなんてでき、ないから…」

肺に溜まった血液を吐き出すように、吐血してしまう。

「喋るでないっ!!ヤマタイ村へ連れて行くぞっ!転送魔術を組んだ!」

「わかったわ、すぐに行くわよ」

地面に魔法陣のようなものが展開される。

そのまま、この場にいる全員が転送され、景色は緑が豊かなものに変わった。

「…達、すぐに運ぶ出すのじゃ。治療魔術を…」

「……同胞達、ルカの血液を元に、同じ液体を作り…」

「…ルカっ」

「人間…」

「…ルカちゃん、絶対に生き……」

「…すまない、ルカ、私が……」

僕は安堵すると同時に、魂が抜けていくように感じられた。





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昔の夢を見た。

僕と母さんがまだ、この村の人達から疎外されていた時。

あぁ、パピー達はこんな気持ちだったんだな。

どうして、薬を貰えないのだろうか。

僕達がよそ者だからだろうか。

誰を信じていいかわからない。

幼い僕には深いことまでわからなかったはずだ。


でも、成長してしまえばどれだけひどい状況だったのかわかる。

僕達は次第に周りの環境が変わっていったから良かったけど

パピー姉はそのままなんだ、幼い頃の疑心暗鬼のままなんだ。


だったら、
長く付き合って行くしかないだろう…。


彼女が誰も信じられないのなら、僕が信じてあげよう。

僕はあの土壇場でそう思った。

それは今もそう。

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