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意識が手元に戻っていく。

もう取り戻すことができないかもしれないその感覚を、この手で掴んだことに泣きそうになりつつ。

ゆっくりと瞼を持ち上げると、なんともないような人の家の一角だった。

そこで、もしかしたら以前のように夢を見ていただけなのかもしれないと思ったのだが。

手足を縛られていること、頭と腹部にじんわりとした痛みが戻ってくることに現実だと理解する。

すぐ傍では、パピー姉が横になって僕を睨みつけていることに気づく。

「…僕を一体どうする気?」

「お前は殺して、人間達への見せしめにする」

「僕達が君の種族を殺してしまった、復讐ってところか」

「パピーから事情は聞いているみたいだな」

パピー姉は起き上がると、僕の視線を打ち返すような鋭い視線を通す。


「私達の母は違ったのさ」


突然にパピー姉はそういう風に切り出す。

「違った…?」

「私達の母は、他の奴らとは違って人間との共存を望んでいたのさ」

「ということは、君達の母親が、この種族の代表だったのか?」



「あぁ…」


パピー姉はつらそうに顔をそらす。

「お前達人間にわかるか…。歩み寄ろうとした私達を討伐された、母の気持ちが」


「…」


「母さんは…!!討伐された後、生き残った奴らからも敵とみなされた。当然、私達姉妹もだ」


味方なんて、もう存在しないんだ、同じ種族からも見放されたんだから。

そう悲しく呟くパピー姉に対して、まるで、以前、パピーの種族の話をされた時のような驚きが積もった。

人間と歩み寄りを優先した結果、自らの種族を危機に陥れてしまったパピーの母親は、当然種族からも…。

そんな姿を、村から迫害受けていた、人間であり、天使でもあった僕の母と重ねてしまう。

「僕の母さんと僕も、同じだった」


「はっ…」

パピー姉は先ほどの鋭い視線とは数段、柔らかい視線を向ける。


「僕の母さんは天使だった。それでも人間であろうとして、病に倒れて。人間には受け入れられず、息絶えてしまった」


「ちょっと待て、お前の母親が天使だと…?」

てことは、お前も天使なのか?そう疑問を呈する。

「半分ね。」


「あの頃は、僕も人間を恨んでいたかもしれない。でも、母さんは最後まで人間であろうとしたんだ。

だったら、母さんが愛した人間達を恨むのは、全く別物だと感じたんだ」




「だから、私達を討伐した人間達を、母の意思を継いで愛せばいい、そう言いたいのか」


「そうは言っていない。でも、僕と君達には幾分か似ているところがあるはずなんだ」


どこで、その歯車が狂ったのか、僕にはわからないけど。

「お前達と同じにされては困る、それに、お前は天使なんだろう?人間達へ、魔物は邪悪なものという思想を植え付けたのはイリアスだ」


「僕の母はそうは考えなかったから、人間であろうとしたんだと思う」

「…」

パピー姉は寂しそうな視線を僕へ送る。


攻撃性がない、同情のようなものに溢れていた視線。

「お前は怖くなかったか、全ての生物から拒絶されてしまうことに」

弱々しく質問を投げかけるパピー姉。

「最初は怖かった。周りにいるのが全部敵だったから。それでも、きっと僕には生きていかなければならない道があると考えたんだ


だから、僕は魔王であるアリスと出会うこともできたし、魔物達と一緒に、イリアスを撃破することができたんだ。

一人が欠けては絶対に成し遂げられなかったはず。

それは、僕が人生を歩まずに挫折してしまっても同じことだよ」

「……イリアスを撃破しただと」

パピー姉は驚きで自身の腕を震わせていた。

「でまかせにきまっている、あのイリアスを撃破したなんてっ!!」


え、一体何を言っているんだ?

イリアスを倒したのは一ヶ月も前のことだぞ。

「イリアスは私達の最大の敵だ。結果的に母さんをあんな姿にした…。それなのに、もう、イリアスはいない…」

今まで研いできた刃をどこへ向ければいいのか、力なくうなだれていたパピー姉。

もしかしたら、この閉鎖されている土地に住んでいるが故に、世情に疎いということか…?

「だったらもういい、私達が生きている意味も、もう無いだろう」


「そんなはずわっ!」

「黙れっ!…イリアスを撃破したというのなら、世界でも有名な勇者なのだろう?…お前を殺して、私達も死ぬとしよう」

最後の、世界へのあがきを歴史に刻んでやる。

憎しみに満ちた声色で吐き捨てると、パピー姉は出ていこうとする。

「待て!!パピーは、お前の妹はどうするんだ!?」

「ふん、うちの妹も、もう絶望で固まっているだろう。死を受け入れていい具合にな」

そう言うと背を向けて、家から出て行ってしまった。

後に残された僕はただ、パピーの心配をすることしかできない。

くっ、パピーが絶望するって一体・・・!?

それに、どうしてパピーは僕を騙すような真似をしたんだ。

そういえば、先程、イリアスのせいで結果的に母があんな姿に…。と言っていた。

何かイリアス絡みで事件があったのか…!?

違う。

それより、早く、早く、ここから出てパピーの元へ急がなければならない。


もしかしたら、パピーがすぐにでも殺されてしまうかもしれない。

いや、殺されるんじゃなくて。

自分から殺されるように申し出ることすらありえる。

絶望している者は、命さえも差し出してしまうはず。

僕がそうであったように。

騙されたとか騙したとか、僕にはもう関係ない。

パピーが生きているだけで十分だ。

純粋無垢な彼女は、疑うことを知らない。

その場の納得だけで、確実にありえてしまう。

心の焦りが生まれていることに気づいた僕は、少し冷静になれと案じる。


エルベティエは必ず、どんな状況でも冷静に判断していたはずだ。

頭に血が上りすぎているかもしれない。

そうだ、僕には手足が縛られていてもできることがある。

どうして今まで気付かなかったのか。

精霊達がいるはずだ。

『そうだよ、私達がずっといるよ!』

と、頭の中でイメージとして出てきたのはシルフ。


『シルフ、この縄を、風の力を借りて切ることができるかな』

『わかった~』

僕の周りに軽い風が巻き起こり、手足が解放された。

『ありがとう、シルフ』

『うん、また何かあったら言ってねぇ~』

緊迫した状況でも、のんびりとしゃべり続けるシルフに少しだけ癒された気がした。


『うん、じゃあ…』

僕はシルフの力を使って、足音をたてずに家を開ける。

足と地面との間に風を巻き起こして、まるで次世代の移動機のようにスムーズに移動する。


ヒントをもらったのはエルベティエの移動法。

しかし、常時風を巻き起こしているというだけあって、力の消耗が激しい。

長時間の使用は控えたほうがいいだろう。

素早い動きで集落からパピーを探し出すことに集中した。

もう、ここの集落にはパピー達以外に生き残りがいないようだ。

日常的にはとても悲惨に思える現状も、今の僕にとってはありがたかった。

すると、人の家がちらほらと立ち並ぶ集落とは別に、山に空いている洞窟から物音が聞こえた。

すぐに洞窟の入口あたりまで向かい顔を出すと、暗闇の中で蠢くものが見えた。

パピーか、それともパピー姉か。



慎重に近づいていくと、その小さな人影は僕へ気づいて振り向く。