こいしの元へ通ってから一週間程経ったころだろうか。

最初の頃は朝食を作って、昼食を作って戻ってくるといった形だったが。

少しずつ、会話も混じってきたり、こいしが料理を口にする回数も次第に増えてきた。

そんなある日の朝、俺は黒い気について相談するために、さとりの家を訪れていた。

「やっぱり、黒い気には気付いていたのね」

リビングのイスに腰掛けた俺の心を読み取った。



「あぁ、時々渦巻くときあるから、心配なんだ」

「私も気になっていたのだけど…。」

「あの黒い気が悪化すれば、こいしは自我をも失ってしまうんだ。俺は一度見たことがあるから」

さとりが苦しく、悲しい表情になる。

「そう…わかっているわ…わかっていながらも、何も出来ない自分がすごく悔しい」

小さくそう言った。

「大丈夫さ、君はたった一人の姉なんだから、君にしかできないことがあるはず」

こいしの心が開いたら、きっとわかるさ。

「ありがとう」

何とか、さとりは笑ってくれた。

「ところで…こいしの部屋に毎日通ってくれて、嬉しいわ」

「おぅ、こいしは一言二言は聞いてくれるようになったよ、作った料理も食べてくれるようになった」

さとりはぱぁーと開いたように笑顔になった。

「あなたを招いて良かったわ。ここまでこいしに近付くのは、あなたが初めてなの」

「そうか・・・ずっと、長い間心を閉ざしていたもんな・・・。」

あの黒い気は長期に渡る孤独や、深い傷で発症してしまうのだろうか…。

妖怪が元々持っている、深遠に潜む闇。

それが悪化した姿。

「とりあえず、黒い気の悪化は止められているはずなんだ」

はずなんだ…けど。

ナズーリンのように、どこかでスイッチを押してしまうかもわからない。

「わかったわ…何か困ったことがあったら言ってね、できる範囲で、あなたの力になりたいから」

さとりは前向きにそう言った。

「あぁ、さんきゅ…な…」

「か、神無?」

心の底で、何かがうごめいた気がして、妙な不安感を覚える。

「いっ、いや…」

大きくなってくる音は、まるであの時の、ミスティアの歌声のように、迫ってくる。


―――どうして、来てくれないの。

「…っ」

一瞬で、驚きの表情の変わった。

「さとり!、こいしの声が聞こえたんだ…」

大きく、イスから立ち上がる。

「えっ…そんな」

さとりは辺りを見渡してみるもののこいしは見つからない。

それはそうだ、俺が聞こえたのは生の声なんかではない。

こいしの心の声だ。

「行かなきゃ…!」

こいしの元へ走る。

椛が助けようとした時のように、全力疾走する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

握り締める拳には汗が浸っていた。

俺はまた、スイッチを押してしまったのかもしれない。

なんてバカなのだろう。


こいしの部屋を開けると、ドアに背中を向けて、定位置に座っていた。

「な、なんだ…なんともないじゃないか…」

こいしの無事を確認して、俺はホッと胸を撫でおろす。

いつもこの時間にはこいしの元へ通っていたから、来なかったことに心配した、だけなのかもしれないな。

「こいし、ごめ…」

部屋に入り、一歩近付こうとした刹那、部屋を埋め尽くす程の黒い気が撒き散らされる。


シナリオライターpaundo2の日記


その光景を目の当たりにして、俺の心臓は鼓動を早めていた。

また…まただ…。

不安と緊張、恐怖が押し寄せてくる。


「また俺は…やってしまったんだ」

スイッチを押してしまった。

ナズーリンの時と同じように。

気付いてあげられなかった。

椛の時のように。

…あの頃ならば脱力したまま、固まっていただろう。

誰かに支えられなければ、誰かに声をかけられなければ、動けない俺だったはずだ。


「こいし!!俺だ!俺はここにいる!!」

今の俺は、みんなのおかげで変われたんだ。

こいしを救ってやれるのは、俺だけなんだ…!

とてつもない早さで黒い気を放っているこいしに近付こうとする。

こんな小さな空間にできるとは思えない風や、熱によって妨げられてしまうものの。

「あの時…も」

両手を握って、癒しの力を使って…。

っ…。


俺は、力を使うのか。

力を使ってしまったら。

もう…本当の自分には…。

「っ…!!」

迷いが生じたと同時に、壁へ吹き飛ばされてしまった。

―――あなたも 



―――みんなと一緒だったの?みんなとは違うと思ってたのに…。

「違うっ!俺は…!!」

俺はまた、こいしの元へ走る。

―――来ないでっ!

「だめだ、こいし!」

―――無意識を操って、あなたを殺すことだっ…

言葉を繋げている、幸い、自我がまだ残っていると思っていた。

しかし、こいしの叫びは、次第に機械音のように崩れていきそうになる。

とても深い闇の熱に、俺の意識も飲み込まれそうになる。


―――殺す 殺してしまえ…

「こいしっ!!君とは色んな話をした、でも、まだまだたくさん話したいことがあるんだ!!家族のこと、今までの出来事…」

阻む闇を切り裂いて、なんとか進む。

熱いし、痛いし、今にも死んでしまいたくなる。

それでも…。

「俺は君と同じだったってこと…!」

―――――殺してしまえば、すべて終わる。

「俺もずっと独りだった。孤独だったんだ…!人一倍、君の痛みがわかるんだよ」

俺も、死んでしまえばすべて終わると思っていた。

この苦しみから解放されるって…。

だけど、だけど…。

「それに、君にはまだ、俺の料理をおいしぃって言ってもらってないじゃないか」


―――死んでしまえば、この苦しみは消えるぞ

黒い気が一つの悪魔と化して、俺の心に溶け込んだ。

悪魔の最終宣告を振り切って、俺は正常をなんとか保ちながら、闇をまとったこいしの体を抱き寄せる。

「俺は死んでもいいさ、誰に殺されてももう悔いはないんだ。」

俺は涙ながら、言葉を繋いでいく。

「だけど…!!人の優しさも、ぬくもりも知らない君が自我を失ってしまうことが…死んでしまうことのほうが俺には苦しいんだ!」

俺は十分、みんなに貰ったんだ。

君にも分けてあげたいくらいに…!

「自分が死を受け入れる苦しみよりも、遥かにつらいんだ…」

強く目を瞑って、涙を流しながら俺は叫んだ。

「だから…頼むよ…戻って来てくれ」

ポロポロと頬に伝う雫は、闇を裂いていく程の光を孕んでいるものだった。