初めてのオランダは一人旅だった。
もちろんヨーロッパは初体験。
1975年の5月、31歳。
アメリカを追いかけるのが、戦後の日本国民が追いかけていたパターンだった時代に、オランダとは珍しかった。このきっかけは「長崎」と「オランダ」の歴史が絡んでいるといえば、なるほどと思われるだろうが、この頃の長崎にはオランダのかけらもなかった。
あるのは「オランダ坂」「出島」などで、オランダとは無縁の存在で、いい意味の勘違いだったと思うし、現在でも長崎にはオランダは無い。
日本でいう「オランダ」は「舶来の」というぐらいの意味で、オランダとは無関係なのだ。
つい先日、復元がすすむ出島跡に行ってみた。修学旅行生など多くの観光客が散策していたけど、彼らはオランダを発見できただろうか?オランダ人とおぼしき二人が、オランダの地図を見ながら談笑していたが、せいぜい自分の町を発見して喜んでいるようだった。
さて、成田発アムステルダム行きのJALは満員だった。オランダ側の招待だったので、ビジネスクラスとは豪勢な旅だと小躍りして前方の座席に座ったら、お隣はオランダのビジネスマンだった。
離陸してシートベルト着用のサインが消えると飲み物のサービスがはじまる。リラックスした隣のビジネスマンが靴を脱いだ。そこで恐ろしい臭いがからだに襲いかかってくるではないか。「勘弁してくれ」と叫ぶわけにもいかず、満席でシート変更はできず、この長い旅の苦痛は生涯忘れることができないことになった。
to be continued
