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テントメーカーPaulのつぶやき

タイトルの由来
テントメーカーとは聖書に出てくるPaul(日本語ではパウロ)が、テントを作りながら=仕事をしながらキリストの教えを伝え、要は仕事しながら他の活動=人生のミッションも遂行していく人のことを言います。

日曜日の午後。


今日は午前中の礼拝に続いて、久しぶりに午後の英語礼拝にも参加。


そこで、まず定番の賛美を英語でする時に事件は起こった。


プロジェクターが写らない=すなわち歌詞が見えない、、、しかも英語なのに。


そこで、妻と私は対照的な行動に出た。


妻は、プロジェクターが写らないのが気になったようで、何とか写らないだろうか


と積極的な行動を取っていた。


対する私はというと、心を騒がせたくないので、黙って時には目をつぶっていた。


結果として、礼拝中に色々と試行錯誤をかなりしたが、プロジェクターは写らなかった。


夜、家で妻と話した。あの場面では、どう対処すべきだっただろうかと。


どちらが正しいとは言えないと思う。


私は黙って何も行動を取ろうとしなかったので、周りから注目を浴びることもないし、


おそらく周りから悪者扱いされるリスクは少ない。


しかし、妻の取った行動は礼拝を下手すると中断させ集中しづらくなり、結果として


写らなかったら行動はムダになってしまうように思えた。


夜、よく妻に聞いてみるとその時、賛美奉仕をしていた先生だけが歌うというそのつらい


心境だったり、プロジェクター担当の責任を考えていたようだ。


私はリスクを恐れ行動は取らない。


妻は一歩踏み出し行動したのだから、勇気ある行動だったと思う。


どちらが本当に愛があり、神様から受け入れられるのはどちらだろうか。


無関心を装った自分か、それとも周りを気遣い、行動を取った妻か。