日曜日の午後。
今日は午前中の礼拝に続いて、久しぶりに午後の英語礼拝にも参加。
そこで、まず定番の賛美を英語でする時に事件は起こった。
プロジェクターが写らない=すなわち歌詞が見えない、、、しかも英語なのに。
そこで、妻と私は対照的な行動に出た。
妻は、プロジェクターが写らないのが気になったようで、何とか写らないだろうか
と積極的な行動を取っていた。
対する私はというと、心を騒がせたくないので、黙って時には目をつぶっていた。
結果として、礼拝中に色々と試行錯誤をかなりしたが、プロジェクターは写らなかった。
夜、家で妻と話した。あの場面では、どう対処すべきだっただろうかと。
どちらが正しいとは言えないと思う。
私は黙って何も行動を取ろうとしなかったので、周りから注目を浴びることもないし、
おそらく周りから悪者扱いされるリスクは少ない。
しかし、妻の取った行動は礼拝を下手すると中断させ集中しづらくなり、結果として
写らなかったら行動はムダになってしまうように思えた。
夜、よく妻に聞いてみるとその時、賛美奉仕をしていた先生だけが歌うというそのつらい
心境だったり、プロジェクター担当の責任を考えていたようだ。
私はリスクを恐れ行動は取らない。
妻は一歩踏み出し行動したのだから、勇気ある行動だったと思う。
どちらが本当に愛があり、神様から受け入れられるのはどちらだろうか。
無関心を装った自分か、それとも周りを気遣い、行動を取った妻か。