船乗りの私は対馬海峡に漁に出た。韓国との領海線近くまで来たときは午後の3時を過ぎていた。漁も終わり、次の漁場に向かう夕刻には雨が降り出し、しけて来た。小さな漁船は高波をかぶり左右に揺れた。甲板にいた私は、海に投げ出された。幸いにもライフジャケットを着けていたお陰で沈むことはなかった。気が付いた時は韓国船の中だった。「・・・・ヾ(@°▽°@)ノ・・・・」何を言っているか解らない。そして毛布に包まれて寝てしまった。自分は生きていると思った事と、寒気があった事を覚えている。その日の昼過ぎに港に着いた。港では警察みたいな服装の男達に囲まれ、「・・・ヾ(@^▽^@)ノ・・・」、、、ちんぷんかんぷん。多分「何処から来た?」「日本人か?」と聞いているのだろう。そして連れて行かれたのは、どこかの牢獄であった。私は日本人で、船乗りである事と日本の姉に連絡を取ってくれ・・・そう尋問に答えたと思う。二日、三日経っても連絡を取ってくれなかった。どうもスパイと思われているようであった。思えば当時大使館なんて思いもしなかった。そうこうしている内に漁船の会社から大使館に遭難の連絡があり、私は救われた。もしこれが北朝鮮であったらと思うとぞっとする。そんな事件があって精神的に疲れた私は早期退職をし、しばらくしてここに来た。遭難したとき右腕を骨折して冬になると疼くし、あったかい場所で過ごそうとここに来た。・・・彼の話しに私達は聞き入った。「失礼ですが丸尾さんは今おいくつですか?」「もう57です。」「そうですか、お若いですね」「もう痛まないでしょう?」「ええ。。。こちらに来てからは疼きませんね。」・・・・・彼が帰った後は、「ほんとか?」「うそでもないみたい。。。私は彼から聞くのは半年前にも聞いただけど、有った話しみたいよ。」

今は心の中で生き続ける私的な過去の出来事、思い出は、時間が経つにつれ段々と色があせて、遠い過去の事になり、その内衝撃的な事ぐらいしか思い出せなくなってしまう。更にはその時思った心情的なことは全く分からなくなってしまう。って思う。。。

笹木と会ったのはPATTAYAに住む事になって半年経った頃の2007年の5月。連休に工場を立ち上げた事もあって工場と家の往復をしていた頃の日曜日に日本飯屋で昼間会ったと記憶している。彼は今独房の中に居る。少しずつ思い出しながら書いていこう。