日本人の一人として

日本人の一人として

自分は日本人です。日本人の一人として、日本という国に生まれたことを良かったと思う一人として、世の中について思うことを書いていきます。

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日本という国は、どんな国なんだろう。

それは、実は、学校ではなかなか教えてくれないこと。



自分が大人になったとき、自分が子供の頃に教えてもらえなかったと気付いた、

自分が生まれ育った、自分の国、日本国のこと。




知れば知るほど、「なぜ?」という思いが強くなる。

どうして、これを教えてくれなかったの?

こんなに、こんなに大切なことを。



物事を考え、思いを馳せ、それらを今に投影して生きることができる、人間という生き物。

ならばなおさら僕たちは、もっと知らなければならないと思うんです。

自分たちの国の少し前が、どういう状況であったのかを。

自分たちの国の今が、どういう状況であるのかを。

自分たちの国の未来が、どうすべきであるのかを。



僕も、もう若くはないです。

だからこそ、何かに書いて発露しなきゃ、という思いに駆られました。

こんなとこに書いても、誰が読むかもわからんし、どうということはないかもしれないけど、

でも、とりあえず書いていこうと思うのです。



僕は、日本人です。

僕は、日本という国に生まれたことを喜ばしく思い、その喜ばしさと同じ大きさで、

日本という国を形作ってきた先達の皆さんに対して、深い敬意を持つ者です。

彼らが筆舌に尽くしがたい苦難の末に残した、今の日本というこの国を、

100年、1000年とつなげていくための、今がある。

バトンは、今僕たちが持っています。

だから、今僕たちは知らなければならないと思っています。


「何を知らないのか」 を。








今、中韓どころか、欧米まで騒いでいる、安倍首相の靖国参拝問題。

これが「問題」となってしまうことにすら、おかしいと思う。

その故を下記します。





江戸末期。

それまでの鎖国体制から脱却し、ほんの数十年の間に、日本は近代国家の仲間入りを果たします。

日清戦争はともあれ、日露戦争に奇跡的ながら勝利し、世界でも一目置かれる存在になります。

当時は世界的に、列強による植民地競争の真っただ中。

欧米列強は地球のそこかしこで領土争いをしていました。

やがて力をつけた日本は、東南アジアにおいてそれに関わり始めます。

近いという地の利は大きく、日本は、欧州の国々を東南アジア、アジアから追い出していきました。

大義名分としては、東南アジア諸国の独立を奪還し、アジアの共栄を目指す、というもの。

つまり「大東亜共栄圏」です。この言葉自体は、学校で習います。

でも、日本にとっての大義名分だとまでは教えられなかった。


実際に日本は各地で勝利し、東南アジア諸国を解放して回ります。

これが侵略であったのか、解放であったのか、その是非の正しくは今からは明らかに

定められるものではないと思います。

ただ現実として、それから70年ほど経った今でも、それらの国々の人たちは、

日本は救国の英雄だ、として、友誼を持っていてくれています。


しかし、世界的に見ても甚だ目立つ形で「出る杭」だった日本。

やがて、列強諸国から睨まれるようになり。日本包囲網が形成されます。

ABCD包囲網がそれです。


その包囲網が次第に厳しくなっていき、

「小国であることを受け入れ生き延びるか、または滅びろ」

というほどにまで、日本は追い詰められます。


そうして、日米開戦。

高い技術力と高い練兵力を活かし、当初こそ破竹の勢いであったものの、

物量に劣る日本はやがて劣勢に。

そして敗戦を迎えます。



今の世界は、ちょっと極端かもしれないけど、

「あのときの日本(とドイツ)を止めた国々」

が牛耳って、動かされていると言っていい。



だからこそ、彼らは、

安倍首相の靖国参拝を非難するのです。



しかし待ってくれ。

私たちからしたら。

江戸の終わり、技術で劣る日本が、列強から植民地化されることを必死に防ぎ、

必死に新しい技術を学び、欧米から見下されながらも教えを請い、

追いつけ、追い越せで必死の努力をした末に、

たった100年程の間に、見事に立ち上がり力をつけ、

やがて、近隣諸国に伸びていた欧米列強の侵略の手を払いのけるほどになった。

そうした中、既得権益を欲しいままにしていた欧米列強からさらに虐げられ、

戦争に突入。

日本という国を守るため、天皇陛下への信奉の元、一丸となって戦った。



結果、それが敗戦となり、それまでの日本について、戦勝国から全否定されてしまうことは、

それが即ち戦争であり敗戦ということなのだから、致し方ないこと。

その国に生きる者として、これは受け入れないといけない。

そしてあの戦争が、正しかったものだなどとは断じてない。

どれほど当時に正義があったとしても、戦争は良いことではないことは明らかだ。

だけど、その戦争を起こした責任が、敗者の側にだけあるのだということと、

当時のどちらが善か悪かという問いに対する、勝者からの一方的な決め付けを、

今の僕たちが流されていいものではない。

特に、その敗者の側の国にその後生まれた僕たちが、

勝者の側からの一方的な決め付けだけを刷り込まれ染まりきってしまうことは、

色々な意味で残念であり、おかしなことであり、愚かなことだと心から思う。



戦争の是非はともあれ、

私たち日本人の先達たちは、江戸末期から1945年の8月まで、およそ50年の間、

日本という国の繁栄を願い、

日本のために戦い、やがては国の滅亡から救うために戦い、

多くの人たちが命を落としていった。

彼らが命を賭けて育て、守ろうとしたこの国に、今、僕たちは生きている。

ならば、彼ら先達に対して、戦争の肯定だとか否定だとかは別の問題として、

彼らのおかげで今の僕たちがあるのだということに純粋に感謝をし、

彼らが命を賭けて守ったこの国を、僕らの次のバトンへ渡せるまで、

平和で良い国であるための一助となることを伝えたい。

その場所が、靖国神社であるのです。


今の世を生きる僕たちが、靖国神社を訪れ、先達に哀悼と感謝をささげ、

「今の世代の僕たちも、皆さんの努力を活かせるよう、頑張ります」と祈ること。

それは至って自然なことであり、誰に咎められるものでもないと、強く思うのです。


即ち。

この国の宰相たる首相が、靖国神社を参拝し、先達に上にあるような祈りを捧げることは

いたって当然のことであり、日本人であるならば、常識的なこととさえ言っていい。

それを「問題視」するのは、「日本のポテンシャルを恐れる人々」

と言い換えられると思います。

私たち日本人が、団結することを恐れているのです。

「愛国心」を持つことを恐れているのです。

それを「右傾化」などという言葉にすり替え、まるでそれが悪いものであるかのように

社会に流布し、刷り込もうとしている。

日本の大メディアがそうであり、日本人のアイデンティティを奪うことに加担しているのだから、

甚だ救いが無い。なんということだ、と嘆くしかない。

でも、時代は変わった。

洗脳者からの一方的な情報提供に拠らずとも、自分で情報を探し得られる時代になった。

だから僕たちは変われる。変わろうとしている。

右傾化とは、その、当たり前の流れに戻ろうとする動きのことだと思っています。

何一つ悪いことなんてない。





日本は、日本人は、世界的にも希有な能力を持つ国家と民族だと言いきれます。

ただし、そのために欠かせないもの、それが「愛国心」でした。

どれほど有能でも、利己に走る者ばかりでは、集団としては機能しない。

だから、戦後の何十年もかけて、僕たちからそれを奪おうとしているんです。誰かが。

僕たちから「愛国心」を奪うために、僕たちを染めている。

その一環が、「靖国神社問題」だと思うのです。



世界中で「愛国心」という言葉にネガティブな印象を持つ国なんて、日本しかない。

普通は、尊いことであり、称えられる言葉であるはずの「愛国者」という言葉。

別に僕自身だって、日本の為に戦争をしたいわけじゃない。

痛いのは嫌いだし、死ぬのは嫌だ。

でもそんな次元とは別のところで、僕は僕自身を日本人だと認識し、

今自分が生きているこの世があることのルーツと意味と、

その途中に関わってきた大勢の人たちの思いや行動、犠牲、献身を思うと、

たまにでも、靖国神社に行って、

「ありがとうございます。見守っていてください。がんばります」

と短く念じることに、なんの違和感も感じない。

というか、そうしない人についてとやかく思うことなんてないし、

自由な国になったのだから、強制されることはない。

でも、行くことについて、なんでこんな当たり前のことが、問題視されるのか、不思議でならない。

愛国心だなんていうほどおこがましいものではないだろう。

靖国に眠る人々が持っていた強い愛国心に比べたら、僕のものなんて何でもないもの。

でもそれでも、自分を日本人として認識していることは、

必要で欠かせないものだと思う。

その象徴たる存在が、靖国神社だと思うんです。

自分が日本人であることを、改めて思いなおせる場所、みたいな。




中国がどうとか、韓国がどうとか、そんなことはどうでもいいというか、関係ない。

僕は日本人だ。

だから、靖国に行って、短く祈る。そうありたい。

安倍さんだって、同じなはずだ。

いろんな国や、外国の人々が、日本人が愛国心を持つことを恐れるのはよくわかる。

日本人は有能で、まとまると大きな力を持つ、そうした実績があるからだ。



私たち日本人も、一人ひとりが、このことについて良く考える必要があると思う。

いろんな意見があるだろう。いろんな結論があるだろう。

でもそこに至るまでの過程で、知るべきことは、正しく知っておかねばならないと思う。

その上で出された判断ならば、何も言わないし、それでいい。



「自分は何を知らないのか」

それを知る努力は、今の日本人にとても必要なことだと思うのです。


僕は僕なりに、知らなかったことを知った。

そして思うんです。

「今年も、どっかで、行かなきゃなぁ、靖国」と。


だって、日本人なんだもの。

至ってシンプルです。