https://www.youtube.com/watch?v=Mg-1w4d9vr4


私は73歳の主婦です。
ある日突然、「膵臓癌」と告知されました。
「なんで私がこんな病気になったんだろう?

私が何か悪いことしたとでもいうの?」
そう言って夫に泣きわめきました。
夫は「一緒に戦おう」と言ってくれました。
しかし、病院にパート務めしていた私は、

膵臓癌は手術の出来ない、治らない
癌と知っていました。
夫がご飯を作って「食べなきゃ、病気に負けちゃうぞ」

と言ってくれたのに
私は「治らないんだから食べる必要ないのよ」
そう言って手もつけませんでした。
「怖い」という気持ちで毎日、涙がとまりません。

そんな時、気がまぎれるからと、デイケアに行って見ましたら
ボランティアの人が、明るく歌っています。
「健康だから楽しいんだろうね」
そう思ってその場にいるのも嫌でした。

そのボランティアの人は、納棺師だそうです。

「島倉千代子さんの からたちの小径を歌って見ましょう、

これは島倉さんが力をふりしぼっって

亡くなる3日前にレコーディングされた歌です。
死を向かえるとき痛みも強く、沈静のため、

モルヒネをどんどん増やしていけば、

意識もなくなってしまいます。

とても綺麗事ではすまない、壮絶な戦いだと思います。
沈静を行えば、もう歌えなくなるどころか、

話すらできなくなるため、きっと島倉千代子さんは苦しい中、

この歌を歌いあげて、それから鎮静を開始したのかも、、、
きっと、島倉千代子さんにとって歌がすべて、

この歌は残された人へのメッセージなんでしょうね。

最期まで自分らしく生きることの凄さ。
私たちもご自分の死をかんがえるというこちは、

どう生きるか、を考えることだと思います。



こんなに大切に思ってくれていたのに、

私ったら自分の不幸ばかり恨んでました、
お父さんだって辛いんだよね、これからもよろしくお願いします。」
そういうと、夫は
「わがまま言ってくれていいんだよ、

今まで俺がお母さんに甘えてきたんだから
これからはうんと甘えてくれ」
そう言ってくれました。

「今度はいつ納棺師のボランティアがくるのかしら?」

とデイケアに聞きました。
その時までに「からたちの小径」を覚えて、

みんなをびっくりさせてやろう
そう思い、家でCDを何度も聞いて、

お父さんとカラオケボックスに行って
練習しました。
そして1ヶ月、私はみんなのまえで、

先生のキーボードの伴奏で歌いました。
みんなびっくりしていました。
「よく覚えたねーがんばったねー」

そう納棺師さんもいってくれました。
「実はね、私は癌を1ヶ月前に宣告されて、余命
半年と言われ、怖くていつもないていました。

先月、ここで納棺師の人に
島倉千代子さんの強さを話していただき、

自分もないてばかりでこの世を去るのは
つまらない、そう思うようになったのです。

そして主人に、いままでのこと、これからのこと、話しあいながら、

私は一人でいきてきたわけじゃあなく、

これからもひとりじゃあないってわかりました。



お正月にみんなが集まって、一緒に温泉に行ったんですよ。
お父さんがみんなにはなしてくれたんですよ。

子供たちも孫たちも本当に
いい子達ばかりで、私を大事にしてくれて、、、
ほんと、楽しい思い出ができました。
意識があるうちは、またボランティアに来たいから、よろしくね」

そうおっしゃったのが最後でした。
次のボランティアにはもう一人で起きていられないほどになってしまい、
お雛様を飾る頃、帰らぬ人となってしまわれたのです。

不思議なことに、ボランティアでこの歌をうたっていると、よしこさんの歌声が聞こえてくるような気がします。





そうおっしゃった言葉が、家に帰っても頭を離れません。
「お父さん、ごめんなさいね、私のこと、