https://www.youtube.com/watch?v=HU0su8bX4VE



駿河の国から更に東の浦賀へ入ったヤマトタケルは、房総へ船で

渡ろうとしました。

しかし、海が荒れて船を進めることが出来ずにいました。


その時、同行いていた后の一人、オトタチバナヒメが

「私が海に入って海の神をしずめましょう。貴方は任務を立派に

果たしてください」

と自ら荒波に身を投じたのです。

すると、たちまち荒れ狂っていた海は静まり、無事に対岸に着くことができました。

7日後、オトタチバナヒメが見につけていた櫛だけが海辺に流れ着き

それを見つけた ヤマトタケルは泣きながら櫛を埋めて墓をつくりました。


やがて東国征伐を終えたヤマトタケルは足柄山の頂上に着いた時、

海を見ながら、犠牲となった オトタチバナヒメを偲んで

「わが妻よ」と呼びかけます。

それから、このあたりは「吾妻(あずま)といわれるようになりました。