東日本大震災から2年。
私は2年前、湯灌の会社を辞めて、
職業訓練で介護の勉強も終え、映画「おくりびと」に上手く乗り
マスメディアの力を利用して湯灌の会社を立ち上げ、
忙しい社長に憧れ、その人が手伝ってほしいと言った言葉に有頂天になり、
毎日1時間以上も車で走ってその会社に勤務している頃でした。
3ヶ月そこで働きましたが、少し私の思い描く「納棺師」と違っていた「社長」
に嫌気がさして、3月いっぱいで辞めさせていただくことに決めたところでした。
震災直後、私はすぐに名古屋市役所に電話をしました。
「私は5年ほど、湯灌、納棺のお仕事をしてきて、遺体は見慣れているし、
何か、お手伝いできることがないかと思っています。
でも、今実際にどういう状態なのかわからずに、むやみに行くこともできません。
行って役に立たず足手まといになるのなら行っても仕方ないのですが、
市から向かう部隊に混ぜてもらうわけにいかないかと伺いたいのですが、、、」
その時、役所は「NPO団体が行っていますのでその団体に聞いてみます」
と言われ、待っていますと
「そういうことは役所の人間がやりますので、あなたにお願いすることはありません」
と断られ、そこで私の思いは折れてしまったのです。
映画を見て、西田敏行さんがボランティアで遺体安置所で働くことになり、
葬儀社に勤めた経験で硬直を骨を折らずに取る方法とか、ご遺族に言葉かけを
する方法とか、「そうそう、そうそう」と思いながらみていましたが、
実際に遺体を見慣れていない人がいきなり、そういう現場で働くよりも、ある程度、
関係の仕事をしている人のほうがいいかもしれません。
映画の中でも自衛隊の人たちが次々に遺体を収容して安置所に運ぶのですが
みんな疲れてしまい、夢にも死体が出てくる、とか言っていました。
週刊誌でもそのようなことが書いてありました。
そうそう、やはり映画の中でもボランティアの人には食事が出ないとか、やっぱり
週刊誌に書いてあった通りだ~
そうすると、ボランティアに人は何を食べればいいのかな~?
お店があるわけでもなし、カップヌードルなんかを持って言ってもお湯が出なければ
食べることもできないし、、、
泥まみれになって働いたあと、お風呂にも入れないとなると1日2日は働けてもそれ以上は
体力が続かないんじゃないかな~
そんな甘ちゃんではボランティアに行かなくて正解だった?
というか、何かできることをしたいと思う気持ちを萎えさせる体制より、
ボランティアも有償にして、雑魚寝で結構なので、寝る場所、食べることの保障
があれば、もっと沢山のプロフェッショナルな人がボランティアに来るのでは、、、
私だけかな~こんなこと言うの。
映画の話に戻りますが、
涙が不思議なんですが、ほっぺから出てくるのです。
目から出ている感じがないのに、頬を伝い顎、首に流れてきました。
震災のあと、テレビで見た話ですが、
お母さんを必死に瓦礫のなかから探しだしたドキュメンタリーを見ました。
お母さんの車を探して、その中からお母さんの遺体を見つけた、、
とか、ネットでも写真が流れたよね。
死体安置所の様子とか、階段に座ったままの老人の遺体とか、、
もし、自分が震災に遭ってその死に様をネットで流され、興味本位で見る人に
見られるってどう思う?
「みせもんじゃないぞ」って言いたくなっちゃうけど、私も見たってことは
不謹慎にもその仲間になっていたのかも。
あーそうそう、最近はお寺離れで、お経も読まない葬儀もOK
病院から火葬場にいく「直火葬」でしたっけ?
そんなのもあるってこれも週刊誌ネタですが、、、
映画の中で、その地域もお寺さんが安置所に訪ねてこられて
手作りの祭壇の前でお経を読まれるシーンがありました。
途中、お寺様のお経が涙で嗚咽になりそうなところ、お寺様が
涙声でお経を読んでいたところが、急に私の頬からどんどん
涙があふれるのです。
凄く心のこもった安置所に響き渡るいいお経でした。
あと、西田さんが、何度も遺体に言葉かけをしていました。
「言葉をかけると、お顔が変わってくる」と言っていました。
私は、施工中は言葉をかけることはしませんが、故人様のお顔に
「仏様」をイメージしてお顔を作ります。
眉と眉の間に苦しそうな「眉間の皺」があれば、
それはマッサージクリームで皺を伸ばして取ります。
口は含み綿を頬の上に向けて入れると口角が上がり、
微笑んでいるような口元になります。
眉はなるべく本人の眉を整える程度にしますが、丸く
三日月眉をイメージします。
唇は少し唇をふっくらと描きます。
お顔のお化粧が出来上がると「綺麗!」と言ってもらうことも嬉しいですが
「お母ちゃんの病気をする前の顔に戻った!」
といってもらえると、
「あーよかった」と思うのです。
2年前、私は向こう見ずに震災の現場に行き、はたして西田さん(本当は別の人ですが)と
一緒に仕事が出来たでしょうか?
「シッシッ」と追い払われていたでしょうか、、、、