母は16年前から「アルツハイマー」に認定され、今は、一人で出来ることが少なくなっちゃいました。私は小学生の時から、家族のご飯を作ってました。
母はミシンの仕事をしていて、いつもラジオを聴きながら、夜中遅くまで仕事をしていました。
私は音楽大学(短大)に行かせてもらいましたが、母の夜なべのおかげで、受験のときは、ピアノの先生2人、ソルフェージュの先生と、声楽の先生、英語の先生で、昭和53年頃に1週間で2万はレッスン代をつぎ込んでもらっていました。
母は本当は外に出て働きたかったのですが、ずっとミシンを踏んで私が卒業と同時に結婚してミシンを踏むことを辞めました。というか、踏めなくなってしまったのです。
考えることが出来なくなったのです。
それから、私も母の事を馬鹿にして「なんでこうなっちゃたんだろう、色々相談したいのにそれも出来ない」そう思っていました。妹達も母のことを「嫌だ」と思うようになり、父だけが「こんなふうになっても、お前達の母なんだから、馬鹿にしないでくれ」と一人で面倒をみていました。
3年ほど前は、父も「もう母さんを施設にやらなければ、自分も参ってしまう」と私に泣き言をいいました。それから私は会社務めを辞めて、職安のほうから介護の勉強を受け資格を取り、母の面倒を見る為に岐阜に戻る決心をしました。
でも、父は「戻ってくるな」といいました。
介護の勉強をして、認知症のことが少しわかってきました。
父も認知症の勉強会に積極的に出たり、前向きに認知症と戦っています。
私は、週に1,2回、父が楽になるように、母を温泉に連れて行ったり、ご飯を作ったりしてきます。
今は父が買い物に行って、夕飯も作り食べさせています。
それでも100%完璧は無理。
行くと、「お父さん、何日同じ服着てるの!これとこれを着なさい。と父を叱っています。
今日も、父にがみがみ言ってしまいました。
それでも父は文句も言わず、黙って聞いています。
77歳と76歳になる両親ですが、もしかしたら、次は会えないかもしれない、とほんの少し考えたりもします。
最初、父の仕事を楽にすることが目的だったのに、母を温泉に連れて行くことが、なんだか楽しくなっているのです。
温泉にいけば、皆が私に「大変だけど頑張ってお母さんを連れてきてやってね」とか「昔、お母さんと此処で色々な話をしたのよ~」とか、必ず励ましてもらえるのです。
最初は、父の見えないところで母を叱ったり、遅く歩く母を引きずるように引っ張ったこともありました。でも、今は手を引かないで先に歩くと、一生懸命付いてきます。それがなんか哀れでもあり、
かわいくもあり、「こっちだよ~」と呼ぶと安心したように一生懸命小走りに来ます。
家にいると、まるで廃人のように無表情な母が外に出ると母に生きる気力が出てくるみたいです。
私に対しても心使いがあるのです。だから認知症でもすべて脳が破壊されているのではなく、わかっている部分とそうでない部分があるのですが、機能している部分を見つけることは、「まだ母は大丈夫なのかもしれない」と気がつくことがあるのです。
私と父の認知症に対しての戦いなんです。もし、負けて施設に入れてしまえば、もう心を閉ざしてしまい、母はすぐ寝たきりになり、もう父のことも忘れてしまうのかもしれません。
母も認知症と戦っているのかもしれません。
赤ちゃんのママでもあるのですが、自分の実の母のママになったり、息子のママになったり、猫達のママになったり、、、、
私の今の状況を皆に話したくて思い切って書いてみました。
今日は、母につけまつげつけて遊んでみました。
母は「おかしくないかね?」と聞いていました。
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