息子、嫁、孫(7歳)と一緒に、おばあちゃんの納棺を行いました。
画像は本物のおばあちゃん。棺の中のおばあちゃんです。最初、お布団安置されていて、白いハンカチがお顔にかけられていましたが、お口は入歯が入っていないので、口がげっそりと沈んでいました。黄綿を使って、頬から膨らませて生前の口元に近づけ「どうですか?普段とお変わりないように口に含み綿を入れさせていただきましたが、もし、もっとふっくらとしたいと、ご希望でしたら言っていただけますか?」と喪主(息子)と嫁に聞きました。「いいです、これで」と息子。
では、お化粧を今からしますが、普段あまりお化粧をされない故人様でしたら、あまり濃いお化粧はしないで、うっすらと整えてみましうか?」
「はい、そうしてください」と嫁。
白いお着物を着終えて、息子は「こんな綺麗なおばあちゃん見たのはじめて、写真撮っていいかな?」
と一眼レフを持ってきて、上から横から下からと何枚も写真を撮ります。
「こちらは、西本願寺で本来なら旅支度をされない宗派となりますが、今では宗派に関係なく旅支度されるお家もあります。どうされますか?」
「はい、お願いします」
「足元より足袋、脚ハン、手甲とおつけしていきます。
喪主のかたより足袋のお紐を結んでいただけますか」
まったく親子というものを考えず、お客様として説明をし、順に紐を結んでもらいました。孫は小さな手で何箇所も紐を結んでくれました。かわいい、、、と思ってもそこで、にこにことしてはいけない、そんな気持ちでした。
「旅のお支度も整いました。今から納棺の儀へと進めさせていただきます」
頭もとを喪主。胴体は私、足元を孫、嫁は向こうで受けてくださいとお願いして、「一、二の三」で棺に納めました。おばあちゃんは結構重くて、息子も「おもー」といいましたが、一番重いのは私です。
頭を少し高くして「皆さんによくみてもらえますように、頭を少し高くさせていただきましたが、どうでしょうか?」
「良いと思います」
「襟にピンクと紫の襟をこのようにのせてみるのはどうでしょうか?」と上にのせてみました。
「いいんじゃない?ねえ、ともはどう思う?」と息子は嫁に聞きます
「いいんじゃない」
襟をおいてから
「ではお顔周りにこのようなピンクの和紙を飾るのはどうでしょうか?白いままでも良いとは思いますが、温かさが出ると思いますが」
息子は再び嫁に聞きます
「良いと思います」
そんな具合にお顔周りが決まり、おばあちゃんの納棺飾りは終わりました。
昨日、夜中に息子からメールで「今日はありがとう、かっこよかったよ」と書いてありました。
息子は普段、私に厳しいことをはっきりずばずばっと言うので、息子からこんなメールをもらえるなんて結構自信がつきました。
今日は葬儀。
おばあちゃんの長男は私に「きれいに化粧してくれてありがとう」と言いました。
私の事は嫌いで、息子のお父さん(私の元夫)の葬儀にも参列するのをいやがったお兄さんでした。
嫁も何年か前に喧嘩をしてから一度も話したことがなかったのに
「私ができることはおばあちゃんを綺麗にしてあげることだけで、ごめんね」
「いいえ、誰にもできることじゃあないですから。綺麗にしてもらってありがとうございます」と言ってくれました。
葬儀は自宅で祭壇も飾らない「家族葬」でした。
でも、どうでもいい故人様だからお金をかけない、のではなく、嫁も息子も目を真っ赤にして、息子は挨拶するときも涙をこらえておばあちゃんが、僕達と一緒に暮らしてくれ、いろんなことを教えてくれました。と語っていました。いろいろな送り方があると思いますが、こういう送り方もこれから増えてくるのだと思いました。
葬儀社にすべてたよらず、自分達で遺影を決めてひきのばしをしたり、納棺は自分達で行う、とか、大切なことは「この人を自分達の手で送り出してあげよう」という気持ちなんだと思います。