
こころを育てる修習プログラム その2Vipassanā 集中実践 ~修行者の心得~アルボムッレ・スマナサーラ長老著 野生の牛のたとえこの状況を説明するために、たとえ話があります。人が野生の牛を捕まえます。それから、首に縄をかけて枕に結びます。野生の牛は森に帰りたくて暴れます。杭に縛られているから、激しい苦しみを感じます。怯えを感じます。 出家精神にならない人の修行も、このような感じになります。 やがてあの牛は、餌も水もなんの苦労もなく得られるし、 周りの人々に大事にされるし、それで森のことを忘れて杭の下で楽しく寝ることにします。じきに、縄も杭もいらなくなります。俗世間への未練を捨てれば、修行は楽です。 このたとえ話の「野生の牛」とは、修行者のこころのことです。修行を始めると、こころが暴れるのです。 野生の牛が村の生活に慣れて、村の人々を信頼することにもなって、首にかけられていたロープも外されたところで、 自由になります。村で生活したり、たまに森に散歩に行ったりすることもできます。森で昼寝して、夜は安心な気分で、 村で寝ることもできます。修行者は解脱に達したら、本物の自由を感じるのです。出家の精神状態をつくる実際は、修行は安穏、安らぎへの道です。何ひとつも苦しくはないのです。修行は一番楽しい時間です。一番安らぎを感じる時間です。身体もこころも、ものすごく平安を感じます。バッサッディ Passaddhi を感じます。Passaddhiとは、軽安・落ち着き のことです。すごい安穏な状態になるのだと約束をしている が、現実には、修行者は苦しみを感じるのです。修行を止めたい、という気分に悩まされます。人のこころは俗世間 への未練に引っ張られているのに、修行は正反対の解脫 の方向へこころを引っ張っているのです。苦しいでしょう。この状態なら、人はどこにも進めないでしょう。こころを 自らの力で戒めなくてはいけないのです。仏道を楽にしてあげることは、指導者にはできません。修行に励む前に出家の精神状態を作りなさい出家になりなさい、とアドバイスしたのは この問題を解決してあげるためです。 出家精神になることも修行者自身でやらなくてはいけないのです。こころを出家させる僧衣を着れば出家ということではないのです。僧衣を着ていても、在家の人々よりも俗世間的であることが ほとんどです。そういう人たちは、相当な苦労をします。 俗世間のことをやりたいけれども、やったら社会から非難される。そのため、非難されないように、バレないように、 あらゆる工夫・カラクリを駆使しながら、俗世間のことを 行っています。これは非常に大変なはずです。酒を飲んで、 酔っ払っていながら「酒は一滴も飲んでいない」と主張 するような感じです。本人は巧妙に隠しているつもりでも、 周囲からは見透かされています。出家とは着ている衣服や髪型の問題ではありません。 修行者は、こころを出家させてほしいのです。一切、 俗世間から離れるのです。実践会が終了するその時まで、 出家してください。実践会が終了したら、在家世界に戻れるのですから。捨てた俗世間を妄想しないそして、こころをチェックするのです。修行中に、何か苦しみが生じたら、何かイヤな気持ちや苛立ちが生じたら、 それはすべて、俗世間のことなのです。一瞬のうちに妄想と思考が割り込むことは、よくあることです。妄想と思考は、 一切、俗世間的です。覚りに達していないのに、出世間的な思考ができますか?――できるはずがないのです。たとえで考えてください。宇宙の無重力がどんな感じか わかりますか?――経験しない限り実感できません。地球にいる限り、地球の引力に引っ張られています。「宇宙 空間ってこんな感じ?」 「無重力はこんな感覚?」など、 ただ想像するだけで、経験はできません。それと同じです。「私は、解脱はこういうものではないかと、 やっとわかりました」などといった話は、笑い話にもならない 妄想です。修行中に出る思考も妄想も、すべて俗世間のことです。 出家したあなたには関係のないことです。その3につづく🙏