このページを開くのも久々で。

なんとか、人生の迷子になりながらも私は元気にやっています。

 

2025年は母の病状が急速に悪化していったところから始まり、

母の生命と尊厳に関わる決断を次々に迫られ、

母が生きている間も母を亡くしてからも自分をずっと責め続け、

あたりまえのことがどんどんできなくなっていって、

それでも仕事も家事もそこそこやり続けて、

あがいてもがいてカウンセリングも何度も受けて、

自分を楽しませることにも努力してみたし、

それでも結局はちっとも楽にならなくて、

あれほど好きだった読書も文字が頭に入ってこなくなってしまい、

好きだった手芸なんかも手につかなくなり、

夜は何度も目が覚め、仕事ではミスばかり、

常にイライラして苦しくてたまらなくて、

四方八方に迷惑をかけている自分がまた嫌になり、

そういうのが10月まで続いて。

 

10月の3週目あたりに、妹と「母の墓参りに行こう」という話になり。

母は母自身の強い希望により、私の家から電車で3時間以上もかかる場所にある共同墓地に眠っている。

なかなか行けなくて、納骨の日を除けば最初の墓参りだった。

私はなんだか泣けて泣けて、何回も何回も母に謝りながらまた泣いて、

そんなになっている人は他に誰もいないから目立って仕方なかったと思うけど、

後悔だか自責の念だかわからないが、とにかく涙が止まらなかった。

 

墓参りの帰り、少し寄り道をした。

お墓の最寄駅から1時間少々離れたところにあるイオンモールに寄った。

なにか目的があったわけじゃなくて、それこそ気分転換に、と思って。

そこにはゲームセンターやフードコート、本屋、ペットショップもあった。

ほんの一瞬通り過ぎただけのペットショップで、小さな白い子犬をみた。

よく見ると白と茶の混ざった毛色で、なんとも可愛らしいシーズーの子犬だった。

 

子供の頃、まだ母と父がどうにか一緒にくらしていたころ、シーズーを飼っていたのを思い出した。

とても賢くて従順な犬で、まだ小学校に上がる前だった私でもひとりで散歩に連れていけた。

両親の離婚と同時に会えなくなってしまい、あのときもたくさん怒ってたくさん泣いた気がする。

あの時飼っていた子は黒と白の柄で、この子犬とはぜんぜん似ていない。

でも、いろんな思いが湧き上がってきて、この子と一緒に暮らしたいなあ、と思った。

 

それは漠然とした思い付きで、そのときは誰にも言わなかった。

一緒にいた妹にも言わず、家に帰ってからもぐるぐる考えるだけで夫に相談もできなかった。

 

「犬が飼いたい」と口にしたのは、その一週間後だった。

夫は反対せず、かといって大賛成でもなかった。

だけど「飼いたいならいいよ、仕事でいない時間のごはんくらい手伝うよ」と言ってくれた。

私にはそれでじゅうぶんだった。

 

お店に電話してみると、まだ売れていなかった。

とはいえ、我が家から車で2時間も離れた場所なので、実際に行けるのはさらに一週間後で、

だからもしも先に飼い主が見つかった場合はあきらめるつもりだった。

 

11月1日、子犬はまだ売れていなかった。

元気いっぱいで、見慣れない私たちにギャンギャン吠えた。

その姿まで可愛くてたまらなくて、もうこの子になら噛まれても吠えられても、

この先どんなに困らされてもいいや、と思って、家族になることに決めた。

 

あの日から2カ月がたって、慣れないことばかりで毎日がドキドキの連続だけど、

夜中に目が覚めて眠れないようなことはもうなくなった。

母のことを思い出して悲しい気持ちになることはまだある。

でもそれも少しずつ減ってきた。

気力もだんだんと戻ってきて、仕事でのミスも目に見えて減った。

文字が頭にきちんと入ってくる。昨日から読書も再開した。

 

夫は愛犬にデレデレになり、飼う前からは考えられないくらい犬のことばかり話している。

ここ数年ずっと暗く沈んでいた家の中に、光が差し込んできたような感じがする。

妹は5年前からチワワを飼っているが、家にいるだけで癒されるとよく言っていた。

いまはそれがよくわかる。

 

だけど、まだ母の多系統萎縮症という病気のことをふと考えるときがある。

原因はいったい何だったのか、どうすればよかったのか。

最後、やっぱり自宅に戻してやるべきではなかったか。

胃ろうをすればよかったのか、人工呼吸器をつけるべきだったのではないか。

同じことばかり、延々考えて、答えなんか誰も出せないんだけど、

それでも考え始めると止まらなくなる。

1年前、まだ母は生きていた。

いまはもういない。

それがたまらなく寂しく悲しく感じられる。

 

明日から、また仕事が始まる。

1日1日、大事にしていこうと思う。

 

 

母が亡くなってから5カ月が過ぎた。

 

ふとした拍子に胸の痛くなるような苦しさは感じるが、

毎日泣くとか喚くとかいうこともなく、ごく普通に生きている。

数か月の荒れ狂った心の波も、カウンセリングだ何だともがいているうちにおさまった。

自分を責めることもやめた。

むしろ、まわりはどう思うにしろ、私は自分なりによく頑張ったと思う。

母に対して良いと思うことを何でもやった。

特にあのホスピスに入所したのは、可能な選択肢の中では最良のものだったと思う。

 

それでも、

最後に入院したときの姿だけは、あのとき入院させた判断だけは、

いまでも自分を責めたくなるくらい最悪の決断だった。

 

母は最期まで自分の病気を理解していなかった。

何度も多系統萎縮症についての説明は一緒に受けてきたのに、

まるで脳が理解することを拒んでいるようだった。

だから、どんな決断でも私が決めるしかなかった。

 

呼吸ができないくらい痰の量が増え、熱がバンバン上がり、

ホスピスからの急な連絡で、医師の診察を希望するかどうかを迫られた。

あのときすでに酸素は入れられていた。

もちろん、断ることもできた。

だけど、まだ、治るかもしれないと思ってしまった。

前回の入院時、似た状況でちゃんと治療を受けたら体調が戻ったから。

だけど、あのときは違った。

診察を受けに行った病院で即入院となり、直後に危篤となった。

医師の判断で飲食すべて止められ、点滴のみでの栄養補給となった。

母は泣いて水を欲しがった。

あのときの顔が忘れられない。あのときの声がずっと頭の中にある。

でも、少しでも何か口にすれば痰が大量に出て呼吸ができなくなる可能性があると言われて、

それでも水をあげようとまで思いきれなかった。

誰に止められても水をあげていればよかった、と思う。

 

そこからも母の病状はどんどん重くなり、病院の対応もあまりにも酷いというか杜撰というか、

とにかく一般病棟で拘束されて放置され、痰を吸引される痛みに泣き叫んでいた母の姿は見るに耐えず、

私は治療を中止して退院させる道を選んだ。

それを伝えたとき、母の目に光が戻ったことをよく覚えている。

 

あとはここにも書いた通りで、

ホスピスに戻って職員の人たちの温かさに守られ、会いたい人すべてに会えたあと、

母は数日で亡くなった。

 

私は母の命を自分が終わらせたのだと、それはいまでもそう思っている。

3月当初はその罪悪感とも痛みともいえない気持ちで、

ああ、もう自分は二度と立ち上がれないだろうなと思った。

だけど、いまは、

母の命を終わらせたのは確かに自分かもしれないが、

母の耐えがたい苦しみを短期間で終わらせたのも自分なんじゃないか、とも思っている。

 

母は精一杯、母なりに自分の人生を生きた。

病気ともよく戦った。

ホスピスにいながらも、私たちを気遣うような優しいところもある母だった。

私が睡眠不足なのを心配して、

動かない体をちょっとだけ動かして自分の寝ているベッドに場所を作り、

隣で寝ていけばいい、と言っていた。

その場所に妹が寝転がり、その妹の隣に私が寝ようとして、謎の争奪戦を繰り広げたこともあった。

また、母はワガママを言って笑わせてくれたこともあった。

ドトールのコーヒーが飲みたい、今日はないのか、とふくれてみたり、

母が大好きなリンツのチョコレートをたくさん持って行ったときには、

1日で全部食べてしまったり、

どうしてもお好み焼きが食べたい、肉まんが食べたい、と言って、

どんなに暑い日でも寒い日でも買い物に行きたがるから、

車いすを押して遠いスーパーまで連れて行った。

いざ遠出をすると、すぐに気分が悪くなってしまって可哀そうだったけど、

それでもどうしても私たちと出かけたいというから、

高額な介護タクシーも使って連れ出したこともある。

私たちが会いにいくと、良く笑った。

一緒に住んでいた時よりずっと、私たちの親子関係は良いものになっていた。

嬉しそうな笑顔、優しい母。

ああ、なんだかこういうのを書いているとまだ涙が止まらなくなってくる。

昔の話をひっくり返すといろいろ別の感情が湧いてくるが、

まあ、もう全部終わったんだからいいじゃないか、と思う。

 

カウンセラーの人が言っていたとおり、いまの私にできることは「母を忘れない」ことだけだ。

ちょうどお盆だし、供養もかねて母のことを書いてみた。

 

でも、なんていうか、もうわりと大丈夫。

いまちょっと泣けてきたし、母を恋しく思う気持ちはあるけど、

自分を責めたり、できなかったことへの後悔みたいなものはちょっとずつ薄れている。

 

このお盆休みは、事前に自分のやりたいことリストを脳内で完成させ、

自宅で快適にひきこもり生活を楽しむべく、

自分専用ソファーにひんやりマットを敷いて部屋の角に設置し、

読みたかった漫画をそろえ、見たい動画を選別し、未読の小説も机上にならべ、

編み物も楽しめるよう編み図と綺麗な糸も準備し、予定通り編み進めている。

お盆休みスタートの日にはヨガにも行って汗を流し、

動画も着々と見て、すでに漫画は13冊読んだ。

あいまにときどき旅行サイトをチェックしては次回のひとり旅についてあれこれ考えている。

植物たちも元気にしていて、玄関外のお花たちは毎日かわいらしい花をひとつふたつと咲かせて楽しませてくれている。

自分を楽しませるにも癒すにも、ある程度の努力が必要なのだと最近知った。

そして、うまくいかないことに対しても「まあいいや」「そういうこともある」と受け流すように意識を向けている。

 

あしたは主人の両親のお墓参りに行く。

お線香も墓石を掃除するための道具も準備万端。

まだまだ毎日暑くて大変だけど、残りのお盆休みもしっかり楽しみたいと思う。

えーと、昨日・・・新幹線の中で書いた広島旅行4の記事が根こそぎ消えてるんだが。
まあ、たいしたこと書いてないからいいか。
どんまい、自分。
 
あ、これだけ書かせて。
昨日14:15くらいに新神戸についたけど、
なんか車内でもずっと警官がひっきりなしに見回りしてて、
ホームついてもあちこち警官だらけで、
「え、絶対やばい事件かなんかあったやん」
と思って震えた。
 
でもまあ、駅から出ないわけにいかないし、
改札階におりてみたら、いっぱいある改札口(あの切符通す機械)が、
外に出る人のための2か所以外全部封鎖されてるわ、
警察と報道陣でごった返してるわ、
改札の外からも内側からも、みんな謎の外国人集団に向けてカメラやスマホかまえてるわ、
すんごい雰囲気でびっくりした。
 
よくわからんけど、とにかく仕事あるし急いでたから、
ひとりだけ普通にスタスタ歩いて改札出ようとしたら、
すれ違ったときにその外国人男性のひとりがめっちゃ優しく微笑みかけてくれた。
が、まったく興味なかったし、なんか怖くて逃げるようにして帰った。
 
もしかして有名な人たちだったの???と思って帰り道に調べたら、
サッカーのバルサの選手たちだった模様。
スポーツ興味ないけど、きっと好きな人だったら嬉しかっただろうに。
でもさ、そんな有名な人たちも普通に新幹線乗るんだ・・・と思うとちょっとびっくり。
 
話はかわって、タイトルどおり、今朝目が覚めたら急に植物が欲しくなった。
猛烈に「お花とか観葉植物がほしい!!!!」ってなった。
数年に一度、そういう気持ちになることがある。
ちょっとした発作みたいなもんだが、そういうとき
いつもは母と一緒にホームセンターとかお花屋さんに行ってたくさん買い込んでいた。
母は植物を育てるのも動物を育てるのと同じくらい好きで、
元気なときは丁寧に世話をして、小さな苗から大輪の花を咲かせていた。
 
最後に鉢植えの花を買ったのがいつだったか、よく覚えている。
母の様子が(認知症的な意味で)かなりおかしくなってきたとき。
少し冷たい態度をとってしまったお詫びもこめて、たくさん買って玄関前の階段に並べた記憶がある。
だけどそのとき、もう母は花に興味を示さなくなっていた。
あんなに大好きだったのに。
母は、もう母でなくなってしまったのではないか。
私が母を壊してしまったのではないか。
とにかく自分を責めた。
私は本当にショックで、悲しくて、そのうちに母の世話に追われるようになり、
花はすべて枯らしてしまった。
のちに放置された花の残骸を処分し、この1年?2年?くらいは空っぽの植木鉢が庭に放置されていた。
 
母が亡くなった時、もう花は二度と買わないと思った。
一緒に植えたり世話をした記憶が悲しすぎるし、寂しすぎるし、ひとりじゃ世話なんかできるわけない。
そもそもこの3月からは、花や観葉植物が欲しいなんて気持ちはカケラも湧かなかった。
 
でも、なんだか今日は本当に欲しくなった。
理由なんかないけど、とにかく自分に花とかそういう植物が必要な気がした。
だから、別に休日でもないのに仕事前に花屋に走り、
花屋のおばちゃんに
「まともに植物を育てたことがなくてもなんとかなるやつください」
と言い、比較的育てやすそうなのをいくつか買って、土もちょっと買って、
あとスーパーで卓上に置けるような小さい観葉植物をいくつか買った。
 
花屋のおばちゃんが、
「まあ、忙しいやろ。水やりなんか夜でええからな」
「時間あったら、真夏なんか朝晩あげたらええけど、無理せんでもええで」
「ウチのも旅行なんかいったら枯れるかなーとか思う時あるし、大丈夫や」
とか言って、めちゃめちゃ植物へのハードルを下げてくれてありがたかった。
いやまあ、売りたいからってのはあるだろうけど、それでも気持ち的に助かった。
 
写真のトリさんの頭の植物は、週に一度霧吹きで濡らすくらいでいいらしい。
 

 
 

 
ほこりをかぶっていた飾り棚もきれいにして、緑を置くだけで、ちょっと気分がよくなった。
 
で、花屋から帰ってきて、ひさしぶりに園芸用手袋をし、帽子もかぶり、スコップ片手に、
玄関の階段下にある庭とも呼べないような狭いスペースの土をひっくり返して花を植え、
またちょっと気分がよくなった。
 
母を思い出して悲しくなったり寂しくなったりするのが怖かったけど、
そんなことはなかった。
むしろ、ここに母がいたら「かわいいなあ、きれいなあ」と言って、
お花さんたちに話しかけながら楽しんでいただろうなと思った。
そういう可愛らしいところのある人だった。
夏になると、何年か続けてふうせんカズラを植えたこともある。
ちいさな緑色の風船がたくさんできるのが面白くて、
毎年毎年、できた風船の中から種をとって、また翌年植えて・・・と楽しんでいた。
今年はもう季節が過ぎてしまったから、来年覚えていたら、その気になれたら、植えようかなと思う。
 
ひとりでバイクツーリングにでかけたマイダーリンも、
いよいよ明日、ご帰還の予定。
きっとたくさんの土産話を聞かせてくれるだろうから、
私も広島の話と植物の話をたくさん聞かせてやろうと思う。