パタリロ の ひとりごと -41ページ目

母の生い立ちというか、母が話してくれたことを少々。

母は、高千穂(宮崎県西臼杵郡高千穂町)の生まれです。
子供の頃は、よく家の仕事を手伝わされたそうです。学校から帰る途中で着替えて、田んぼや畑に直行することは当たり前だったようです。

高千穂には、貯水池というか、貯水プールがあるのですが、冬なのに水が溜まっているという理由だけで泳いだことがあるそうです。
そんな母親にボクは育てられました。

ボクがちいさい頃、ボクが障害者なので、将来を心配した母は、ボクと一緒に死のうとしたそうです。そしたら、ボクが「死にたくなったら言うから。」と言ったそうです。記憶にありませんが。

そんな母親も64年という年月を足早に駆け抜けて行きました。


まだいろいろとチャレンジしたかったと思います。母はチャレンジャーでしたから。

母、霊界に旅立つ。

2008.07.10 22:10

母は、眠るように霊界に旅立って行きました。

ボクにとって、母はあまりにも、偉大で、尊敬できる人です。

といって、父をないがしろにしているわけではありません。
父も、また偉大で、尊敬できる人なのです。

そんな2人のもとに産まれてきたボクは、幸せ者です。

母からは、いろんなことを教わりました。

苦労もかけました。

親孝行も途中というか、ぜんぜんしていないような気がします。

あまりにも早すぎる旅立ちでした。

平均寿命が、80歳を越えている時代に、数えで65、満の64ではあまりにも早すぎます。
でも、原因はわかっています。

2007.01.31 に小火をおこしたからだとおもわれます。
その時に、なんともなかった母は、救急車を追い返したそうです。それが、いけなかったと思われます。
次の日にでも病院に連れて行くべきでした。

9月に入院した時に、「いつ、息が止まってもおかしくありません。」と、医者から言われたそうです。

しかし、ある程度回復はしました。

でも、全快は無理でした。急変したのは、先月の23日でした。

入院させるのが遅すぎました。

それだけが、家族の心残りです。

母も家族もよく頑張ったと思います。


今頃は、先に旅だった祖父母、叔父などと話をしていると思います。

来世も今の父母のもとに産まれたいと思っております。

田代まさし

田代まさし、なんか懐かしい!

“田代まさし、出所していた”

という文字を見たとき、すげー懐かしく思えた。
もう自分のなかでは、“田代まさし”という人物は、過去の人になっているということである。

覚醒剤と完全に決別して頑張って下さいね。田代まさしさん。