5打席目『11月6日』
幼きころを思い出しながらちょっとずつ書こうと思いましたが
やめます!!!!
また気がのったら過去の話をしますね
今日は普通の日記を
今日はSAPPORO-BMX生活改造計画
に最も重要な
いや
最もコアな
いや
最も核になる
いや
もうなんでもいいや(-_-;
とにかく大切な日でした
そうバイト初日でした
私のバイト経験と言えば
スーパーマーケットと回転寿司屋という
いたって普通な
いや
いたってノーマルな
いや
いたってスタンダードな
もうなんでもいいや(-_-;
とにかく普通のバイト経歴でした
なにか特殊な職種をしようと思いましたが
面接に落ち続け
バイトが決まる前に年を越えるかもしれぬと焦り
妥協して
ノーマルなお店でノーマルな仕事をしています
そしてまぁ今日が初日でしたが
たくさんやらせていただきました
正社員さん2人と私だけでしたが
正社員さんが2人とも優しい優しい(ToT)
優しさに感動したのでそのお礼に絶対1日でも12時間でも1時間でも1分でも早く仕事を覚えようと思いました
今日は帰ったら復習とマニュアル読み込むぞ(」▼ロ▼)」
高校のときに先生が言っていました
強くなるためには自分の欠点を見つけること
オレの欠点は。。。。
スピードがないことだ!!!!!
イメージトレーニングと家でできることは練習しよう!!!!
がんばるぞぉ!!!!
最後にある人へのメッセージを
『本当は朝から学校が始まるころまで働き、夜は電話とメールをたくさんしようと思っていたけど、給料、今の従業員の数などを考えると夜働くのがベストだと思う、これからメールも電話もできなくなるよ、ごめんねm(__)mお前がバイトしてたときオレはたくさんワガママ言ったよね『オレとの時間を大切にしてる?』とか言ってたしね、なのにオレはバイトを夜中に入れそうだよ、本当にごめんね、ただでさえ遠距離でただでさえ連絡がとれなくなってるのにもっとダメにしちゃうね、本当にごめん』
以上おやすみ(*^o^*)/~
やめます!!!!
また気がのったら過去の話をしますね
今日は普通の日記を
今日はSAPPORO-BMX生活改造計画
に最も重要な
いや
最もコアな
いや
最も核になる
いや
もうなんでもいいや(-_-;
とにかく大切な日でした
そうバイト初日でした
私のバイト経験と言えば
スーパーマーケットと回転寿司屋という
いたって普通な
いや
いたってノーマルな
いや
いたってスタンダードな
もうなんでもいいや(-_-;
とにかく普通のバイト経歴でした
なにか特殊な職種をしようと思いましたが
面接に落ち続け
バイトが決まる前に年を越えるかもしれぬと焦り
妥協して
ノーマルなお店でノーマルな仕事をしています
そしてまぁ今日が初日でしたが
たくさんやらせていただきました
正社員さん2人と私だけでしたが
正社員さんが2人とも優しい優しい(ToT)
優しさに感動したのでそのお礼に絶対1日でも12時間でも1時間でも1分でも早く仕事を覚えようと思いました
今日は帰ったら復習とマニュアル読み込むぞ(」▼ロ▼)」
高校のときに先生が言っていました
強くなるためには自分の欠点を見つけること
オレの欠点は。。。。
スピードがないことだ!!!!!
イメージトレーニングと家でできることは練習しよう!!!!
がんばるぞぉ!!!!
最後にある人へのメッセージを
『本当は朝から学校が始まるころまで働き、夜は電話とメールをたくさんしようと思っていたけど、給料、今の従業員の数などを考えると夜働くのがベストだと思う、これからメールも電話もできなくなるよ、ごめんねm(__)mお前がバイトしてたときオレはたくさんワガママ言ったよね『オレとの時間を大切にしてる?』とか言ってたしね、なのにオレはバイトを夜中に入れそうだよ、本当にごめんね、ただでさえ遠距離でただでさえ連絡がとれなくなってるのにもっとダメにしちゃうね、本当にごめん』
以上おやすみ(*^o^*)/~
4打席目『ボクの中学生時代』
私は中学時代のことを全てにおいて中々思い出せない。しかし誰かに『こんなことあったよね?』と言われれば『あったあった』とかなりのことを思い出す。
部活のことになれば尚更である。なぜなら私は中学時代での部活は全くいい思い出もなく、楽しかったことも数少ないからだ。しかし誰かに言われればすぐに思い出す、これは不思議なことだ、覚えているが思い出せない。意味不明な感覚である。ちなみにしっかりと自分でも覚えていることは大抵悪いことばかりである
中学に入学した私は早速小学校とは違うという違和感に襲われた。人数の多さ、身体がデかい先輩、学校の大きさ全てにおいてびびってしまった。
もちろん部活でもだ、中学校の部活選びは大切で、私の学校はどの生徒も部活に入部しなければいけない決まりがあり自分が3年間打ち込む部活を無理矢理選ばなければいけないからだ、そのため入学して1、2週間は仮入部期間というものになっており、その期間内なら様々な部活の練習、説明会を見に行ってもいいのである。
私の通った中学校は地区の中でも規模は大きく、全校は700人近くおり部活の種類も多彩だった。その中でも最大の部員数を誇っていたのは野球部だった。
各学年20人近くいて
2、3年生だけでも40人ぐらいだった
野球部に入りたいと思う生徒はだいたい迷いなどなく、他の部活に見向きもせず野球部を見に行くものだった。私もその一人だった、新入生も希望者は20人でどれも小学生のときに大会で見たような人ばかりだった。
仮入部し、先輩の話を聞き、早速校庭5周のランニングを命じられた
当時1周700mという話があったが他の部では650、600、など意味もなく多数の意見があった
そんなことはさておき新入生は走り始めた
この時点で小学生のときの練習とはわけが違うと感じた
3kmなど走った経験のない私はとにかく
完走を目標に走った、完走したかと思えば次は腕立て伏せ30回、腹筋30回、背筋50回それを各3セットを命じられた
もう地獄だった
その間先輩たちは野球部らしい練習をグラウンドで行った
それが2週間延々と強制された、他の部活では実際にその競技に触れさてもらっていたが野球部は陸上部かと思うぐらい走らされた
なにも楽しくなかった
次第に変なライバル意識を持ち各出身小学校ごとにグループを作っていた新入生も次第に会話を交わすようになりうっすら名前と顏がいっちし始めた、先輩達のことも同様に覚え始めた
5周のランニング、3セットの筋トレにもみんな慣れてきて、最初に比べるとかなりのペースの速さでメニューをこなせるようになった。
おっと大切なことを忘れていた
それはあるしきたりとルールである
ルール
仮入部の生徒はいかなる理由でも部活時間は5時までと決まっている
というものだ、ちなみに先輩たちは春の大会前なので特別部活時間延長という名で夜7時まで行っていた
つまり私たち新入生は先輩たちが部活をしているなか途中帰宅せねばいけないのである
しきたりは
我が野球部では先輩たちよりも先に帰る場合はグラウンドの出入口付近で大声で『お先します!!!!』と叫び先輩方から許可されないと帰れないという意味不明なしきたりである。
本文に戻ろう
そしてメニューを4:30ぐらいに終了するぐらいになった新入生たちはとうとうグローブを持ちグラウンド内に入ることが許された、新入生はやっと陸上部的な活動から脱出できたと喜んだ、しかし世の中うまいようにいかない
グラウンド内に入った新入生はグローブを持ち、ベンチに横一列に並ばされた、そして先輩からの信じられない一言をつげられた
『ここでさぁ来いって叫んで』
新入生唖然
しかし怒られるのでとりあえず『さぁ来い、さぁ来い』と叫びました
正直なにを呼んでいるの?
って感じでした
そうして今日もボールを触れずに5:00になりました
新入生は帰らなければいけません
出入口付近にいき
『お先します!!!!!』
と叫びました
しかし先輩は全員
シカト
近くにいた先輩が『聞こえてないからちゃんと聞こえるまで言え』
と言われてまた『お先します!!!!』
またシカト
またまた『お先しまぁす!!!!!』
すると先輩は『聞けねぇ(怒)』『はっ!!??』『なによ!!!???』『はっきりしゃべろや!!!』
といちゃもんをつけてきます
ムカつき過ぎて半泣き状態で『お先しま゛ぁぁ゛~す!!!!!』と叫ぶと
『わかったで早く帰れ(*^o^*)/~』
『バイバイ(^^)/~~~』
『お疲れっ(^_^)/~』
と言ってきます
帰っていいと言われると安心しましたが今落ち着いて考えてみると『1回で聞き取れや(」▼ロ▼)」』と思います
この先輩のいちゃもんで思わず笑いがでたいちゃもんがありました、いくつか紹介します
『お先します!!!!』
『なに語よっ!!!!????』
いや日本語だよって感じ
『お先します!!!!』
『ダメッ!!!!』
そんな断らないでよって感じ
ラストは
『お先します!!!!』
『うるせぇ!!!!黙れっ!!!!』
うわっ理不尽(-_-;
まぁこんな感じで仮入部期間は終わりとうとう本入部に入りました!!!!
部活のことになれば尚更である。なぜなら私は中学時代での部活は全くいい思い出もなく、楽しかったことも数少ないからだ。しかし誰かに言われればすぐに思い出す、これは不思議なことだ、覚えているが思い出せない。意味不明な感覚である。ちなみにしっかりと自分でも覚えていることは大抵悪いことばかりである
中学に入学した私は早速小学校とは違うという違和感に襲われた。人数の多さ、身体がデかい先輩、学校の大きさ全てにおいてびびってしまった。
もちろん部活でもだ、中学校の部活選びは大切で、私の学校はどの生徒も部活に入部しなければいけない決まりがあり自分が3年間打ち込む部活を無理矢理選ばなければいけないからだ、そのため入学して1、2週間は仮入部期間というものになっており、その期間内なら様々な部活の練習、説明会を見に行ってもいいのである。
私の通った中学校は地区の中でも規模は大きく、全校は700人近くおり部活の種類も多彩だった。その中でも最大の部員数を誇っていたのは野球部だった。
各学年20人近くいて
2、3年生だけでも40人ぐらいだった
野球部に入りたいと思う生徒はだいたい迷いなどなく、他の部活に見向きもせず野球部を見に行くものだった。私もその一人だった、新入生も希望者は20人でどれも小学生のときに大会で見たような人ばかりだった。
仮入部し、先輩の話を聞き、早速校庭5周のランニングを命じられた
当時1周700mという話があったが他の部では650、600、など意味もなく多数の意見があった
そんなことはさておき新入生は走り始めた
この時点で小学生のときの練習とはわけが違うと感じた
3kmなど走った経験のない私はとにかく
完走を目標に走った、完走したかと思えば次は腕立て伏せ30回、腹筋30回、背筋50回それを各3セットを命じられた
もう地獄だった
その間先輩たちは野球部らしい練習をグラウンドで行った
それが2週間延々と強制された、他の部活では実際にその競技に触れさてもらっていたが野球部は陸上部かと思うぐらい走らされた
なにも楽しくなかった
次第に変なライバル意識を持ち各出身小学校ごとにグループを作っていた新入生も次第に会話を交わすようになりうっすら名前と顏がいっちし始めた、先輩達のことも同様に覚え始めた
5周のランニング、3セットの筋トレにもみんな慣れてきて、最初に比べるとかなりのペースの速さでメニューをこなせるようになった。
おっと大切なことを忘れていた
それはあるしきたりとルールである
ルール
仮入部の生徒はいかなる理由でも部活時間は5時までと決まっている
というものだ、ちなみに先輩たちは春の大会前なので特別部活時間延長という名で夜7時まで行っていた
つまり私たち新入生は先輩たちが部活をしているなか途中帰宅せねばいけないのである
しきたりは
我が野球部では先輩たちよりも先に帰る場合はグラウンドの出入口付近で大声で『お先します!!!!』と叫び先輩方から許可されないと帰れないという意味不明なしきたりである。
本文に戻ろう
そしてメニューを4:30ぐらいに終了するぐらいになった新入生たちはとうとうグローブを持ちグラウンド内に入ることが許された、新入生はやっと陸上部的な活動から脱出できたと喜んだ、しかし世の中うまいようにいかない
グラウンド内に入った新入生はグローブを持ち、ベンチに横一列に並ばされた、そして先輩からの信じられない一言をつげられた
『ここでさぁ来いって叫んで』
新入生唖然
しかし怒られるのでとりあえず『さぁ来い、さぁ来い』と叫びました
正直なにを呼んでいるの?
って感じでした
そうして今日もボールを触れずに5:00になりました
新入生は帰らなければいけません
出入口付近にいき
『お先します!!!!!』
と叫びました
しかし先輩は全員
シカト
近くにいた先輩が『聞こえてないからちゃんと聞こえるまで言え』
と言われてまた『お先します!!!!』
またシカト
またまた『お先しまぁす!!!!!』
すると先輩は『聞けねぇ(怒)』『はっ!!??』『なによ!!!???』『はっきりしゃべろや!!!』
といちゃもんをつけてきます
ムカつき過ぎて半泣き状態で『お先しま゛ぁぁ゛~す!!!!!』と叫ぶと
『わかったで早く帰れ(*^o^*)/~』
『バイバイ(^^)/~~~』
『お疲れっ(^_^)/~』
と言ってきます
帰っていいと言われると安心しましたが今落ち着いて考えてみると『1回で聞き取れや(」▼ロ▼)」』と思います
この先輩のいちゃもんで思わず笑いがでたいちゃもんがありました、いくつか紹介します
『お先します!!!!』
『なに語よっ!!!!????』
いや日本語だよって感じ
『お先します!!!!』
『ダメッ!!!!』
そんな断らないでよって感じ
ラストは
『お先します!!!!』
『うるせぇ!!!!黙れっ!!!!』
うわっ理不尽(-_-;
まぁこんな感じで仮入部期間は終わりとうとう本入部に入りました!!!!
3打席目『ボクの小学生時代』
さて準硬式野球部を退部した私ですが、退部の電話をかけてから45分後に札幌駅発の室蘭フェリーターミナル行きのバスに乗り込んでいました。
フェリーターミナルに向かう理由は私はとてつもなく無気力になっていたのでこんな状態で一人暮らしなんかしたら間違えなく餓死すると考えられました。そのため大学の長い夏休み(2ヶ月)を実家で過ごそうと実家への帰郷のためでした。私の実家は北海道ではなく東北です。
正直言ってまさかここまで無気力になるとは思いませんでした、無気力の原因は私の唯一のプライド?自信?自慢?目的?が見事に崩れたからだとわかっていました。
そして頭の中で私は私自身の野球歴史を振り返っていました。
私は小学生のときから兄の影響で野球を始めました。兄はセカンドを守る名手でした、小学生の2年生のときに兄と同じチームに入りました。しかし私は小学1年生の時にすでにサッカーのチームに入っていたため、どっちつかずになっていました。とても中途半端でした。
しかしそのまま小学3年生になり次はそろばん教室に通い始めました、そして最悪なことにどれもサボってばかりになりました。
とうとう両親は『全て辞めろ』と怒りをあらわにしました。
私は『そろばんはもう絶対サボらない、スポーツもどっちかは続けさせてくれ』と泣き叫びました。
両親は『絶対だぞ!!!来月までに決めろよ』と言いました。
私は考えました。。。。
正直言ってサッカーが1番好きでした
得意でした
チームでも上手いほうでした
それとは逆に野球は嫌いでした
下手くそでした
プレーする兄はカッコイイが
自分がプレーするのはいやでした
しかし私はサッカーを辞めました
この時なぜサッカーを辞めたのか
私は全く覚えていません
本当に疑問です
謎です
でもサッカーを辞めると両親に伝えた瞬間は覚えています。
ついこないだ両親とその話になったさい、両親にもなぜあの時野球を選んだのかと聞かれました。
両親もサッカーを辞めるとは思ってなかったみたいです。
まぁそれからはサボらずに続けました。
でも下手くそでした。
野球が好きだと自分に言い聞かせ無理矢理野球を続けていました。
野球の好きなフリをしていたのかもしれません。
熱血ぶっていました。
なぜでしょう
野球バカはモテるとでも思っていたのでしょうか?
この理由もよくわかりません
さて同じ学年で野球をしていたのは10人いました
もちろん私は一番下手くそでした
しかし幸運なことにポジションは全員見事にバラけました
1人は外野も内野もピッチャーもやる
オールラウンダーだったので
一番下手でも6年になったらセカンドレギュラーだと思っていました
4年になり同学年で抜群に上手い3人はちょこちょこ試合にでるようになりました
武藤、菅野、佐野(全員仮名です)
5年生が出ていない試合に6年生と4年生の3人が出るということもよくありました
5年生になりその3人の他にもちょこちょこ同学年のやつらが出るようになりました
しかし私はいつもベンチで試合を見ていました
練習は真面目にやっていました
元気いっぱいでがんばっていました
しかし相変わらず下手くそで5年生なのに実戦練習にも入れてもらえず下級生と一緒にグランドの隅っこでひたすら地味な練習をしていました
素手でのキャッチボールや捕ってすぐ投げるキャッチボール、壁に向かって投げてはねかえったのを捕る練習ばっかりでした
1回そのメニューをみんなで行い上級生は実戦練習
下級生はもう一度その練習でした。
飽々してました
そんなある日セカンドの先輩が
ミニバスケットの試合で練習に来なかったため
始めて実戦練習に入れてもらいました
たぶんたくさんエラーしたと思います。いや間違えなくミスだらけだったと思います
しかし覚えているのはラスト1球だけ
セカンドフライをよろけながらもしっかり捕ったことだけはしっかり覚えています
たぶん小学2年から始めて3年間野球をして、野球を通じて本当に心から嬉しかった瞬間だったと思います
あまりにも嬉しくてただの練習なのに興奮のあまり自転車に乗ってきたのに帰り道は乗らないで走って帰りました
でもまた次の練習は下級生と一緒に地味練習でした
それからしばらくして6年生が引退しとうとう私たちの代が最高学年になりました
6年生のお別れ会をかねた親睦試合のあと新キャプテンを決める会議が始まりました
みんなで外野の芝生に座り会議が始まりました、私は武藤がキャプテンで副キャプテンは菅野と佐野だと思っていました。
理由はやっぱり4年生の時からこの3人は別格だったからです。
監督の伊藤さんは『とりあえずみんな誰がいいか言ってみろ』と言いました
引退する6年生がそれぞれ言い始めました
『武藤、佐野、菅野がいいと思う』
『オレも』
『オレもだ』
私も心の中で『オレも』と思っていました
しかし一人の先輩が『キャプテンは武藤だが副キャプテンは田中(私)がいい』
と言いました、私は驚き口をあんぐりしていました
するとその後も『田中はがんばってるしな』
『田中はいいね』
と意見が出ました
そして武藤がキャプテンになり
副キャプテンは菅野と私になりました
私が副キャプテンになる最後の決定打は佐野が『田中は真面目に練習するし、やる気があるし、僕よりもいいと思う』と言う意見と
伊藤監督の『お前らはちゃんと見ていたんだな、どんな試合にも誰よりも声をだし、全員に優しく声をかけ、不満を言わず練習し、道具を大切に扱い、練習には一番早くきて、一番最後に帰る田中をちゃんと見ていたんだな。そうゆう田中を選ぶお前らは素晴らしい。オレも田中がいいと思うぞ』と言う言葉でした
恥ずかしい話ですが私はほめられることに慣れておらず、嬉しくてそのままワンワン泣いてしまいました。嬉しくて恥ずかしくて涙がとまりませんでした。
その日の帰り伊藤監督と少し話をしました。『元気に声を出すこととバントをチーム一上手くなれよ、そして今まで通り真面目に頑張れよ』と伊藤監督は私につげました。
それから小学生最後の年が始まりました。副キャプテンになったところで大した仕事はなく、至って普通でした。変わりない感じでした。しかし練習は多少変わりました、とうとう普通に実戦練習もやらせてもらうようになりました、そして私は伊藤監督につげられた通り、バントの練習に真面目に励み、元気に声を出して練習しました。そのおかげで私は『バントの田中』『川相』と呼ばれるようになりました。ある大会では『バントでスリーベースまで行ったり』『私以外の人が全員ランニングホームランを打って私だけ3犠打』という華やかしい結果を残しました。正直言って試合でスイングした覚えがありません。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎて負けたら引退という、最後の地区大会になりました。
私の所属していたチームは強豪の一つで私たちの代になってからは地区大会では必ず決勝まで上がっていました、そして決勝の相手も毎回同じでした。
しかしその最後の地区大会の準決勝では苦戦をしいられていました。初回に取られた2点から試合は動かずとうとう最終回になっていました、ここ一番の集中力で相手のエラーも絡み1アウト1、2塁。ここで私に打順は私でした。伊藤監督はニコリとしながらバントのサインを出し私はバントをしました。サードとピッチャーの間に転がりお見合い、あせってサードが拾い送球するが悪送球で私は2塁へランナーは全員帰り同点そしてその回私が勝ち越しのベースを踏みなんとか勝利しました。
試合が終わり、父母会、監督、コーチは私を褒めちぎりました。他のみんなは褒められるのに慣れていましたが、下手くそな私はどうしていいかわからないのとこれまた嬉しさと恥ずかしさで泣いてしまいました。
今日のヒーローは田中だなと言うと菅野はテレビのヒーローインタビューをマネてマイクにみたてた拳を私に向けました
チームメイトに肩を叩かれますます嬉しくなり泣いてしまいました
そして次の日は決勝でまたもや同じみの好投手佐藤がいるチームとぶつかりました。過去の戦いは1勝3敗そのうち2敗は延長までやっても結果がつかず抽選での敗北でした。私たちは今日こそは絶対に完全勝利と挑みましたが、今回の大会は準優勝まで県大会にいけるため、相手は完全に適当なメンバーできました。エース佐藤は欠場、ピッチャーは5年生の宍戸でした。
私たちは勝ちましたが全く嬉しくなく納得いきませんでした。
さて最後の大会、県大会
私にとって小学6年生の夏休みのビッグイベントでした
しかし県大会とは厳しいもので
簡単には勝たせてくれませんでした
私は最後のバッターになりました
私が出塁すれば
武藤、菅野の功打順にも関わらず
私は見逃し3振をしました
涙が止まりませんでした
その日の夜
監督と父母が集まっている部屋に6年生1人ずつ呼ばれました、私の番になり部屋に入ると一斉に褒め始めました、伊藤監督は『お前を高く評価している、本当にがんばったな。中学でも野球を続けるならその取り組み方は崩さず真面目に頑張れよ、お疲れっ。本当にありがとな』と言いました、泣きながら私は『中学校で頑張ります』と言いました。
私は引退しました。
小学で野球の楽しみ、辛さ、悔しさを学びました。
努力は人に評価されるということがわかりました
楽しさが1で辛いのが9でも1のために私は野球をやろうと思いました
投手 キャプテン 武藤
捕手 菊池
一塁(投手) 菅野
二塁 田中(私)
三塁 菊池
遊撃 佐野
左翼 佐藤
中翼 津田
左翼 宿子
オールラウンダー 高橋
本当にいいチームだった
中学では
武藤、菊池(捕手)、菅野、菊池(三塁)、佐野、津田と私は野球を続けることになった。
オールラウンダー高橋はバレー部に入りリベロとして活躍
佐藤はサッカー部に入り活躍
宿子は柔道部に入り活躍した
ちなみにそろばんは結局6年生まで続けるも資格取得する前に卒業をむかえた
最後のバッターになったこと、いや見逃し三振したことは今でも後悔している
フェリーターミナルに向かう理由は私はとてつもなく無気力になっていたのでこんな状態で一人暮らしなんかしたら間違えなく餓死すると考えられました。そのため大学の長い夏休み(2ヶ月)を実家で過ごそうと実家への帰郷のためでした。私の実家は北海道ではなく東北です。
正直言ってまさかここまで無気力になるとは思いませんでした、無気力の原因は私の唯一のプライド?自信?自慢?目的?が見事に崩れたからだとわかっていました。
そして頭の中で私は私自身の野球歴史を振り返っていました。
私は小学生のときから兄の影響で野球を始めました。兄はセカンドを守る名手でした、小学生の2年生のときに兄と同じチームに入りました。しかし私は小学1年生の時にすでにサッカーのチームに入っていたため、どっちつかずになっていました。とても中途半端でした。
しかしそのまま小学3年生になり次はそろばん教室に通い始めました、そして最悪なことにどれもサボってばかりになりました。
とうとう両親は『全て辞めろ』と怒りをあらわにしました。
私は『そろばんはもう絶対サボらない、スポーツもどっちかは続けさせてくれ』と泣き叫びました。
両親は『絶対だぞ!!!来月までに決めろよ』と言いました。
私は考えました。。。。
正直言ってサッカーが1番好きでした
得意でした
チームでも上手いほうでした
それとは逆に野球は嫌いでした
下手くそでした
プレーする兄はカッコイイが
自分がプレーするのはいやでした
しかし私はサッカーを辞めました
この時なぜサッカーを辞めたのか
私は全く覚えていません
本当に疑問です
謎です
でもサッカーを辞めると両親に伝えた瞬間は覚えています。
ついこないだ両親とその話になったさい、両親にもなぜあの時野球を選んだのかと聞かれました。
両親もサッカーを辞めるとは思ってなかったみたいです。
まぁそれからはサボらずに続けました。
でも下手くそでした。
野球が好きだと自分に言い聞かせ無理矢理野球を続けていました。
野球の好きなフリをしていたのかもしれません。
熱血ぶっていました。
なぜでしょう
野球バカはモテるとでも思っていたのでしょうか?
この理由もよくわかりません
さて同じ学年で野球をしていたのは10人いました
もちろん私は一番下手くそでした
しかし幸運なことにポジションは全員見事にバラけました
1人は外野も内野もピッチャーもやる
オールラウンダーだったので
一番下手でも6年になったらセカンドレギュラーだと思っていました
4年になり同学年で抜群に上手い3人はちょこちょこ試合にでるようになりました
武藤、菅野、佐野(全員仮名です)
5年生が出ていない試合に6年生と4年生の3人が出るということもよくありました
5年生になりその3人の他にもちょこちょこ同学年のやつらが出るようになりました
しかし私はいつもベンチで試合を見ていました
練習は真面目にやっていました
元気いっぱいでがんばっていました
しかし相変わらず下手くそで5年生なのに実戦練習にも入れてもらえず下級生と一緒にグランドの隅っこでひたすら地味な練習をしていました
素手でのキャッチボールや捕ってすぐ投げるキャッチボール、壁に向かって投げてはねかえったのを捕る練習ばっかりでした
1回そのメニューをみんなで行い上級生は実戦練習
下級生はもう一度その練習でした。
飽々してました
そんなある日セカンドの先輩が
ミニバスケットの試合で練習に来なかったため
始めて実戦練習に入れてもらいました
たぶんたくさんエラーしたと思います。いや間違えなくミスだらけだったと思います
しかし覚えているのはラスト1球だけ
セカンドフライをよろけながらもしっかり捕ったことだけはしっかり覚えています
たぶん小学2年から始めて3年間野球をして、野球を通じて本当に心から嬉しかった瞬間だったと思います
あまりにも嬉しくてただの練習なのに興奮のあまり自転車に乗ってきたのに帰り道は乗らないで走って帰りました
でもまた次の練習は下級生と一緒に地味練習でした
それからしばらくして6年生が引退しとうとう私たちの代が最高学年になりました
6年生のお別れ会をかねた親睦試合のあと新キャプテンを決める会議が始まりました
みんなで外野の芝生に座り会議が始まりました、私は武藤がキャプテンで副キャプテンは菅野と佐野だと思っていました。
理由はやっぱり4年生の時からこの3人は別格だったからです。
監督の伊藤さんは『とりあえずみんな誰がいいか言ってみろ』と言いました
引退する6年生がそれぞれ言い始めました
『武藤、佐野、菅野がいいと思う』
『オレも』
『オレもだ』
私も心の中で『オレも』と思っていました
しかし一人の先輩が『キャプテンは武藤だが副キャプテンは田中(私)がいい』
と言いました、私は驚き口をあんぐりしていました
するとその後も『田中はがんばってるしな』
『田中はいいね』
と意見が出ました
そして武藤がキャプテンになり
副キャプテンは菅野と私になりました
私が副キャプテンになる最後の決定打は佐野が『田中は真面目に練習するし、やる気があるし、僕よりもいいと思う』と言う意見と
伊藤監督の『お前らはちゃんと見ていたんだな、どんな試合にも誰よりも声をだし、全員に優しく声をかけ、不満を言わず練習し、道具を大切に扱い、練習には一番早くきて、一番最後に帰る田中をちゃんと見ていたんだな。そうゆう田中を選ぶお前らは素晴らしい。オレも田中がいいと思うぞ』と言う言葉でした
恥ずかしい話ですが私はほめられることに慣れておらず、嬉しくてそのままワンワン泣いてしまいました。嬉しくて恥ずかしくて涙がとまりませんでした。
その日の帰り伊藤監督と少し話をしました。『元気に声を出すこととバントをチーム一上手くなれよ、そして今まで通り真面目に頑張れよ』と伊藤監督は私につげました。
それから小学生最後の年が始まりました。副キャプテンになったところで大した仕事はなく、至って普通でした。変わりない感じでした。しかし練習は多少変わりました、とうとう普通に実戦練習もやらせてもらうようになりました、そして私は伊藤監督につげられた通り、バントの練習に真面目に励み、元気に声を出して練習しました。そのおかげで私は『バントの田中』『川相』と呼ばれるようになりました。ある大会では『バントでスリーベースまで行ったり』『私以外の人が全員ランニングホームランを打って私だけ3犠打』という華やかしい結果を残しました。正直言って試合でスイングした覚えがありません。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎて負けたら引退という、最後の地区大会になりました。
私の所属していたチームは強豪の一つで私たちの代になってからは地区大会では必ず決勝まで上がっていました、そして決勝の相手も毎回同じでした。
しかしその最後の地区大会の準決勝では苦戦をしいられていました。初回に取られた2点から試合は動かずとうとう最終回になっていました、ここ一番の集中力で相手のエラーも絡み1アウト1、2塁。ここで私に打順は私でした。伊藤監督はニコリとしながらバントのサインを出し私はバントをしました。サードとピッチャーの間に転がりお見合い、あせってサードが拾い送球するが悪送球で私は2塁へランナーは全員帰り同点そしてその回私が勝ち越しのベースを踏みなんとか勝利しました。
試合が終わり、父母会、監督、コーチは私を褒めちぎりました。他のみんなは褒められるのに慣れていましたが、下手くそな私はどうしていいかわからないのとこれまた嬉しさと恥ずかしさで泣いてしまいました。
今日のヒーローは田中だなと言うと菅野はテレビのヒーローインタビューをマネてマイクにみたてた拳を私に向けました
チームメイトに肩を叩かれますます嬉しくなり泣いてしまいました
そして次の日は決勝でまたもや同じみの好投手佐藤がいるチームとぶつかりました。過去の戦いは1勝3敗そのうち2敗は延長までやっても結果がつかず抽選での敗北でした。私たちは今日こそは絶対に完全勝利と挑みましたが、今回の大会は準優勝まで県大会にいけるため、相手は完全に適当なメンバーできました。エース佐藤は欠場、ピッチャーは5年生の宍戸でした。
私たちは勝ちましたが全く嬉しくなく納得いきませんでした。
さて最後の大会、県大会
私にとって小学6年生の夏休みのビッグイベントでした
しかし県大会とは厳しいもので
簡単には勝たせてくれませんでした
私は最後のバッターになりました
私が出塁すれば
武藤、菅野の功打順にも関わらず
私は見逃し3振をしました
涙が止まりませんでした
その日の夜
監督と父母が集まっている部屋に6年生1人ずつ呼ばれました、私の番になり部屋に入ると一斉に褒め始めました、伊藤監督は『お前を高く評価している、本当にがんばったな。中学でも野球を続けるならその取り組み方は崩さず真面目に頑張れよ、お疲れっ。本当にありがとな』と言いました、泣きながら私は『中学校で頑張ります』と言いました。
私は引退しました。
小学で野球の楽しみ、辛さ、悔しさを学びました。
努力は人に評価されるということがわかりました
楽しさが1で辛いのが9でも1のために私は野球をやろうと思いました
投手 キャプテン 武藤
捕手 菊池
一塁(投手) 菅野
二塁 田中(私)
三塁 菊池
遊撃 佐野
左翼 佐藤
中翼 津田
左翼 宿子
オールラウンダー 高橋
本当にいいチームだった
中学では
武藤、菊池(捕手)、菅野、菊池(三塁)、佐野、津田と私は野球を続けることになった。
オールラウンダー高橋はバレー部に入りリベロとして活躍
佐藤はサッカー部に入り活躍
宿子は柔道部に入り活躍した
ちなみにそろばんは結局6年生まで続けるも資格取得する前に卒業をむかえた
最後のバッターになったこと、いや見逃し三振したことは今でも後悔している
