序章:山中に佇む謎の建物
旅の途中でふと立ち寄った「西山美術館」。観光地として知られているわけではない。ウェブサイトもパンフレットもほとんどなく、あるのは地元の人の「変わった美術館がある」という噂だけだった。
山の斜面にひっそり建つその建物は、コンクリートの塊のようで、どこか神殿めいた威圧感を放つ。入口の門をくぐった瞬間、私はすでに一つの物語に迷い込んだような気がした。
第一章:迷宮のような回廊
館内に足を踏み入れると、最初に感じたのは「迷路」の感覚だった。真っすぐ進んだはずなのに、同じ場所に戻ってきてしまう。階段を降りたはずが再び上階にいる。建築そのものが、訪問者の時間と方向感覚を奪う装置のように設計されているのだ。
展示室は小部屋の連なりで構成され、窓はなく、人工照明だけが頼りだった。外界から切り離されたその空間で、私はやがて「美術館」というより「迷宮」に閉じ込められているような錯覚に陥った。
第二章:ユトリロの白い街
最初に現れたのはユトリロの絵だった。灰色の空、薄汚れた壁、酔いどれ画家が描いたパリ郊外の街角。華やかさはないが、静けさと懐かしさを湛えた白い街並みが広がる。
「どうしてここにユトリロが?」
個人美術館のコレクションとしては異様に本格的で、しかも数が多い。壁一面に並ぶユトリロ作品を前にして、私は彼の酩酊した視線を追体験しているような気分になった。
閉ざされた空間で見るユトリロは、パリ郊外の街角というより、自分自身が出口のない迷宮をさまよっている象徴のように見えた。
第三章:石の部屋
次の部屋に入ると空気が一変した。そこに展示されていたのは「石」だった。庭石や河原で拾ってきたような無骨な塊が、ガラスケースの中でライトアップされ、まるで宝石のように輝いている。
「石の声を聴け」と書かれたパネルが掲げられていた。
最初は失笑したが、やがて妙な感覚に包まれた。石たちは確かに声を持っているかのように並び、静かに存在感を放つ。人間の歴史を超えて悠久の時間を生き抜いた存在。その前に立つと、ユトリロの街並みすら小さな幻想に思えてしまう。
「絵」と「石」。この美術館の核心は、この奇妙な対比にあった。
第四章:収集の狂気
展示解説によれば、西山美術館は館長・西山由之の個人的な蒐集によって成り立っている。美術品だけでなく石の収集も彼のライフワークだという。
人はなぜ石を集めるのか。そこに芸術性があるのか、それとも執着か。ユトリロの絵を大量に買い集めた情熱と、石を愛でる偏愛は、同じ衝動の裏表のように見えた。
私はそこで気づいた。この美術館は単なる「展示施設」ではない。西山由之という人物の内面をそのまま形にした「精神の迷宮」なのだ。ユトリロの街は彼の孤独を、石の部屋は彼の永遠への希求を物語っていた。
終章:出口にて
長い回廊を抜け、ようやく出口に辿り着いたとき、外の光は眩しかった。美術館の中では時が止まっていたかのように感じたが、外界は確かに流れ続けていた。
振り返ると山中にそびえる美術館は、無言で佇む。まるで「来る者を試す迷宮」のようだ。ユトリロと石、儚い街並みと永遠の物質。相反する二つが同居する空間で、私は人間の欲望と孤独の深さを覗き込んだ気がした。
西山美術館は万人向けではない。だが一度迷い込めば忘れられない体験となるだろう。そこは芸術を鑑賞する場であると同時に、一人の人物の執念と狂気を体感する迷宮なのだから。
西山美術館
〒195-0063東京都町田市野津田町1000

