「明日っつーのは、明るい日って書くの。ね?わかるでしょ?生きてれば、明るい日が、くんの。」

私が死にたいと相談した相手は、最も死から遠い人でした。








私が住んでいた清江町は、一般的に『過疎地域』と称される。

端の方に行けば、限界集落も少なくない。



商店街を歩けば、私より身長が小さな老人ばかり。

私の通った中学校は1クラス13人。サッカーも野球も、1チームしか作れない、少人数。


毎朝の通学で使うバスの中で聞く会話は、高校生の惚気話でもなく、OLの愚痴でもなく、お年寄りの『医者の話』と、『友達の訃報』。


そんな環境に育ったせいなのだろうか。

私の「生きたい」という、心の火はいつの間にか消えて、ひょろひょろと細い煙を一筋、残していた。

「小野さん、明日、新しく東京からいらっしゃる先生をご紹介しますね、面白い先生なのよ、楽しみにしてて?」


「はい。お願い、します。」


このまま、私は帰る途中で車にでも跳ねられるのではないか、それとも、病院の外にあるコンビニに入った強盗が、たまたま私と鉢合わせし、殺してしまわないか。

是非、そうであって欲しい。

そうやって、私は死ななければならないのだ。

と、願ってみたところで、こんな過疎地域に走る車は少なく、また、こんな所にあるコンビニにも、わざわざ強盗に入る人はいなかった。入ったところで盗るほどの売り上げもないだろう。


いつ、死ぬんだろうなぁ。
希死念慮、と呼ばれるそれは、病気であるらしい。


なんでこんなふうになってしまったのだろうか。夕焼けが映えるオレンジ色の空を低く飛ぶ鳶を見上げ、明日は雨か、と呟いてみても、答えは出なかった。