ふぅん、シチジデシゴトオワルジカンアル?
いつも仕事帰りに寄るコンビニエンスストアの店員の宋さんが少し困った表情で鼻から空気を漏らして言う。
宋さんはとても可愛い。コロッケを頼んだまま他事を考え始める私に笑顔でカネダセと言ってくれる。
マイノリティと親しくなる傾向があるのは僕が島で生まれたことに起因するのかもしれない。インターネットなんてものが無い時代。情報はとても限られていたし、遅かった。朝刊が夕方届き、漫画雑誌は翌日届き、テレビのチャンネルは1と3だけ、あとは砂嵐。
皆が僕を知っていたし、僕も皆を知っていた。島で唯一乾電池を売っている商店のおやじは同級生の父親で、島に一人だけいる警察官は商店のおやじの弟でその妻は僕の父の妹だ。
島に高校はなく、ほとんどの者は中学を卒業すると島を出て本土の高校に通い、何人かは父の船に乗り魚を捕った。高校を卒業しても戻ってくる者はほとんどおらず、大学を卒業して戻ってきた者はいない。
都会では自殺する。音楽室で鈍重なダイアトーンのスピーカーが言った。
臨時採用のまま長年勤めて今年定年を迎える音楽教師が書類や楽譜を整理しながら流していた曲だ。
都会では、自殺する。都会、では自殺する。都会、では、自殺する。
とかいではじさつする、はあと。いや、そうじゃない。
島では?
車検のない軽トラックを免許のない少年が運転して港の親父たちに昼飯を届け、親父たちは税金が掛かる物は盛大に自作し、へべせ?と言えば相手構わず性交が始まる。
島での生活。
境界が曖昧だった。
けたたましく吠える犬。窓から外を見ると鶏を襲いに来た山犬を飼いならした元山犬が追いかけていく。
先生、これ掛けていい?そう言って戦闘機の尾翼が描かれたアルバムを女に見せた。
ん、ん、ん、とちらりとアルバムに視線をうつし女が頷く。
異物。女が唐突に言う。
職員室にな、おらなあかん時間があるんや。そう決まっとる訳やないけどね。
音楽教師なんてただでさえ珍獣みたいな扱いやのに私なんてその上、ソノウエ臨時やろ?リ、ン、ジ。そういう立場の人間が暗黙の了解みたいな場所にいるってえらい気持ち悪い。
器用って言い方失礼やない?それなりに対価と言うものを支払ってきたと私は思っとるの。ピアノの弾き始め、手が大きいとは言えん私はこの和音出すのに半年かかった。女が鍵盤を押さえた。規則的なうなりを伴った不穏な音が響き、やがて消える。
あなたこの島を嫌っとるでしょ?嫌っとるというかおさまりの悪さを感じとるように見える。ほかの子たちはそうでもなさそうやけれど。
皆島を出てく。あなたもそう。島を出りゃ島の事なんて皆忘れちゃうしそれでええのよ。でもあなたはそうはならんかもしれん。あなたが感じとるおさまりの悪さはあなたがこの島そのものだからなのかもしれん。
そう言って女はピアノの蓋を閉めた。
さっき言っといてなんやけど、あなたは器用に見える。見える、ね。
本当に欲しいものを見つけた時、あなたがのたうち回るほどの飢えを感じた時、それはもう誰かのものであなたの手には入らないかもしれない。深く暗い隔絶した場所で苦も無く手に入れたガラクタに囲まれながらその手で握り潰して壊してしまいそうなほど激しく強く求めるものの名をずっとずっと叫び続ける。そんな風にはなってほしくない。
あんなうなりの有る和音ってどうやって出すの、と僕は聞いた。
チューニングが狂ったピアノを弾くのよ。そう言って女は資料室に消えた。
コンビニエンスストアの隣のバーの立てつけの悪い扉を力任せに開けるなり、崩れ落ちながらお酒頂戴、お酒!と叫ぶ。力の限り。
カウンターに突っ伏していたマスターだかママだかわかんねえ蠢く物体がびくっと蠢く。
ガラス割れるからそれやめてって言ってるでしょ、蠢く物体は左足を引きずりながらカウンターの中にはいると、ジンライム、ライムは腐っているからライム無し、つまりジン。そう言っていつもの青いボトルとグラスをドンとカウンターに置いた。
なんだかうれしそうね。蠢く物体が言う。
宋さんに誘われたんだよ、僕が答える。
隣の宋さん?
隣の宋さん。
そうなの?
そうなの。
壁の時計に目をやる。七時を少し過ぎた
宋さんが立てつけの悪い扉を開けて入ってくるところを想像する。
宋さんはとても可愛い。