たぶん80年代の中頃からテレビで「めんたいロック」と言い出して、地元の当事者(の大半)は「その呼び方やめちゃらんかいな」と感じていた(と思う)。辛子明太子はよく食べてはいたけど、それは専らおかずが足りないときの白めし用だったし。

 

ザ・パッションの時代はそこから10年以上遡る。若き日の井上陽水氏や海援隊がちょくちょく訪れ、鮎川誠とシーナさんのデートの場所でもあった。

写真はシーナさんが他界した翌年、お二人のエピソードを紹介した朝日新聞の記事(一部分)。

夜半にはクローズしていたので「(店で)語り明かし」というのはちょっと盛ってる気はするけど、かかっている音楽にインスパイアされることはあったと思う。ちょっと誇らしいぜサンハウスファンで元バイトの俺。

 

ザ・パッションとその系譜を継ぐノームの森に関わるミュージシャンの話はまた改めて。