「てん」は私の最愛の息子だ。

かわいくてかわいくて仕方ない。

この宝物のような子のために、私は何をしようか。

何をすれば、この子のためになれるだろうか。

 

毎日おいしくて栄養バランスの整った食事を提供する、

広くてふわふわなベッドで寝かせる、

サイズの合った機能的な洋服を用意する、

そんな生活のことだけじゃなく。

 

私が母親だったからこそこの子にしてあげられることを探したい。

例えば自分の得意分野、中国の諸氏百家の知識を伝える事とか、

宮城谷昌光や酒見賢一の作品、司馬遼太郎との違い、

それとも萩原朔太郎と室生犀星・ボードレールやランボーとの比較、

ここらへんをわかりやすく伝えて歴史文学オタクにしてみようか。

いやいや卓球をしたり大会を目指してマラソンを一緒にやろうか、

昔を思い出して二人でイチからバソコンを組み立てようか。。。

 

自分がやりたいことばかりいっぱい思いつく。

 

この子のため、なんて言いながら全部自己満足ネタだな、と気づく。

 

 

そして考えて考えて、出した結論は

「勉強とは何かを教えよう」ということだった。

 

 

この子のペースで、

この子に必要な学習内容を、

この子に適切なタイミングで、

この子だけの方法で与える。

 

それが勉強を楽しむことであり、勉強することの本質を知ることだと。

 

 

そんな途方もないことを、心に決めた。

 

小学校中学校の義務教育期間、そして高校大学、もしかしたら大学院

大人の年齢になるまで、大人の年齢になったあとも、

ほとんどの人は勉強を課され、勉強をし続けることになる。

 

また、学生生活が楽しいかどうか、クラブ活動やその他やりたいことを

思いっきりできるかどうかは、

勉強に対するリソースをどこまで割くかにかかっているとも思う。

 

長い長い勉強にとらわれる期間、有意義に自信をもって過ごすために、

勉強が得意であれば、どれだけ助かるだろう。

 

だけど今目の前にいるこの子はまだやっと歩き始めたばかり。

理解できない内容を与えても私の自己満足だ。

 

 

「今までのイメージや概念を限界までとっぱらって、

とにかく負担なく、おもしろく、楽しくやらせてみよう。」

 

「この子がいきいき勉強に向かえるように、まったく新しい方法を試し続けよう」

 

 

 

私は、勉強することは、脳内世界を広げる手段だと思っている。

脳内でいつまでも楽しく遊ぶために知識を広げて試行錯誤を行う。

はー考えただけでテンションあがる。

 

そんな気持ちを、いつかこの愛しいこの子と共有したい。